(成都にいる時に高適の詩を聞き、六月になって、改めて哀しみをこの詩に詠った)君は金華省へ登ったというのであるが、まだ改革の何もできていないではないか、それなのに、故人となり、黄泉の国の修文郎になったのと同じで、どこが違うというのだ。

 

 
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765年永泰元年54-34 《聞高常侍亡〔自注:忠州作。〕》 杜甫index-15 杜甫<834 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4905 杜甫詩1500-834-1152/2500

 

 

 

年:765年永泰元年54-34

卷別:    卷二二九              文體:    五言律詩

詩題:    聞高常侍亡〔自注:忠州作。〕

作地點:              成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

交遊人物:高適    詩文提及

 

 

聞高常侍亡〔自注:忠州作。〕

(成都にいる時に高適の詩を聞き、六月になって、改めて哀しみをこの詩に詠った)

歸朝不相見,蜀使忽傳亡。

君が朝廷に召還されて帰った時には、会うことが出来なかった。君の死をつたえる使者は、朝廷からすぐに蜀に差し向けられ、傳えられた

虛歷金華省,何殊地下郎。

君は金華省へ登ったというのであるが、まだ改革の何もできていないではないか、それなのに、故人となり、黄泉の国の修文郎になったのと同じで、どこが違うというのだ。

致君丹檻折,哭友白雲長。

もし君が生きて朝廷改革を進めることができたなら、わが天子を三皇五帝の上に致し、朱雲のように丹庭を清め、あの紅い手摺まで折ったことであろうが、惜しいことに、君を哭しているけれど、ここには白雲が遠くまで、長く連なっているだけなのだ。

獨步詩名在,祗令故舊傷。

これからは、君の詩と名声が独り歩きを始めるということがあるだけで、我々は、ただ、君という旧友を哀傷させられるだけなのである。

 

(高常侍が亡するを聞く)

歸朝しとき相い見ず,蜀使のとき忽ち亡を傳う。

虛しく金華省を歷て,何ぞ地下の郎に殊ならん。

君を致して 丹檻 折れん,友を哭して 白雲 長からん。

獨り步みて 詩名 在り,祗だ 故舊 傷ま令む。

 

 

『聞高常侍亡』 現代語訳と訳註

(本文)

聞高常侍亡〔自注:忠州作。〕

歸朝不相見,蜀使忽傳亡。

虛歷金華省,何殊地下郎。

致君丹檻折,哭友白雲長。

獨步詩名在,祗令故舊傷。

 

 

(下し文)

(高常侍が亡するを聞く)

歸朝しとき相い見ず,蜀使のとき忽ち亡を傳う。

虛しく金華省を歷て,何ぞ地下の郎に殊ならん。

君を致して 丹檻 折れん,友を哭して 白雲 長からん。

獨り步みて 詩名 在り,祗だ 故舊 傷ま令む。

 

 

(現代語訳)

(成都にいる時に高適の詩を聞き、六月になって、改めて哀しみをこの詩に詠った)

君が朝廷に召還されて帰った時には、会うことが出来なかった。君の死をつたえる使者は、朝廷からすぐに蜀に差し向けられ、傳えられた

君は金華省へ登ったというのであるが、まだ改革の何もできていないではないか、それなのに、故人となり、黄泉の国の修文郎になったのと同じで、どこが違うというのだ。

もし君が生きて朝廷改革を進めることができたなら、わが天子を三皇五帝の上に致し、朱雲のように丹庭を清め、あの紅い手摺まで折ったことであろうが、惜しいことに、君を哭しているけれど、ここには白雲が遠くまで、長く連なっているだけなのだ。

これからは、君の詩と名声が独り歩きを始めるということがあるだけで、我々は、ただ、君という旧友を哀傷させられるだけなのである。

 

yuugure02 

(訳注)

聞高常侍亡〔自注:忠州作。〕

(成都にいる時に高適の詩を聞き、六月になって、改めて哀しみをこの詩に詠った)

高常侍 親友の高適のことで、左散騎常侍の役職にあった。65年永泰元年正月に卆した。廣徳元年、蜀より召還せられ、刑部侍郎となり、左散騎常侍に転じ、没後禮部尚書を送られる。

成都の幕府、草堂で書かなかったのは、朝廷改革について、露見してはいけないためである。

 

歸朝不相見,蜀使忽傳亡。

君が朝廷に召還されて帰った時には、会うことが出来なかった。君の死をつたえる使者は、朝廷からすぐに蜀に差し向けられ、傳えられた

歸朝不相見 この時の事情は《》に述べている「天涯春色催遲暮,別淚遙添錦水波。」(いまこの天涯という蜀の春景色は次第に変わっていて、自分の人生、日一日と晩暮もせまり来たるということである。この時に君と直接おあいしてお別れをすることができないけれど、遠く錦江の波に添えて涙をお送りするのである。)

廣徳2年764-66 《奉寄高常侍〔寄高三十五大夫〕》 杜甫<742 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4040

 

虛歷金華省,何殊地下郎。

君は金華省へ登ったというのであるが、まだ改革の何もできていないではないか、それなのに、故人となり、黄泉の国の修文郎になったのと同じで、どこが違うというのだ。

虛歷 朝廷内の改革(杜甫と房琯・鄭虔・高適・荷将軍らで、賀蘭進明・第五琦の誤った経済政策、仁徳のない金権政治、宦官勢力らを改革、征圧することを目指していた)がまったく進んでいないことをいう。杜甫にとって、高適、厳武の死は、朝廷復帰の道を完全に断たれたことになる。

金華省 漢の未央宮にあった門下省と同じ行政省に喩えた。杜甫はこの省を改革のかなめの省と考えていた。

地下郎 修文郎は詩文章を作成する役であるが、それが黄泉の国であるということ。

 

致君丹檻折,哭友白雲長。

もし君が生きて朝廷改革を進めることができたなら、わが天子を三皇五帝の上に致し、朱雲のように丹庭を清め、あの紅い手摺まで折ったことであろうが、惜しいことに、君を哭しているけれど、ここには白雲が遠くまで、長く連なっているだけなのだ。

致君 君子を三皇五帝(堯舜禹)の上に致すこと。

丹檻折 漢の朱雲の故事。漢の孝成帝が、朱雲の強いいさめを怒り、朝廷から引きずり出そうとしたとき、朱雲が欄檻(らんかん)につかまったため、それが折れたということから、① 厳しくしかったり、こらしめの体刑を加えたりすること。② 強くいさめること。厳しく諫言(かんげん)すること。丹は丹庭(朝廷)を清め、改革すること。

哭友 高適を哭する。

白雲長 今となって、高適とつながるものは、白雲であるが、それもただ長く、はるか遠いものとなったという意味。

 

獨步詩名在,祗令故舊傷。

これからは、君の詩と名声が独り歩きを始めるということがあるだけで、我々は、ただ、君という旧友を哀傷させられるだけなのである。

 

蜀中転々圖

 

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