禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。
765年永泰元年54歲-36 《禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》杜甫index-15 杜甫<836> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4915 杜甫詩1500-836-1154/2500765年永泰元年54歲-36
忠州の禹廟に謁してよんだ詩。永泰元年秋、下江の際の作。
年:765年永泰元年54歲
卷別: 卷二二九 文體: 五言律詩
詩題: 禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕
及地點: 禹廟 (山南東道 忠州 臨江)
禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕
(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)
禹廟空山裡,秋風落日斜。
人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。
荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。
荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。
雲氣生虛壁,江聲走白沙。
廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。
早知乘四載,疏鑿控三巴。
禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。
(禹 廟)
禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。
荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。
雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。
早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。
『禹廟』 現代語訳と訳註
(本文) 〔此忠州臨江縣禹祠也。〕
禹廟
禹廟空山裡,秋風落日斜。
荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。
雲氣生虛壁,江聲走白沙。
早知乘四載,疏鑿控三巴。
(含異文)
禹廟空山裡,秋風落日斜。
荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。
雲氣生虛壁【雲氣噓清壁】,江聲走白沙。
早知乘四載【案:去聲,即乘輴等乘字義。】,疏鑿控三巴【流落控三巴】。
(下し文)
(禹 廟)
禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。
荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。
雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。
早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。
(現代語訳)
(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)
人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。
荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。
廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。
禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。
(訳注)
禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕
(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)
禹(う、紀元前2070年頃)は中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者。名は、文命(ぶんめい)、大禹、夏禹、戎禹ともいい、姓は姒(じ)、夏王朝創始後、氏を夏后とした。
禹廟空山裡,秋風落日斜。
人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。
○禹廟 夏の禹王を祀った廟、忠州臨江県の南、眠江を過ぎること二里、江の南岸屏風山に在る。
荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。
荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。
○荒庭 あれている廟のにわ。
○垂橘柚 だいだい・ゆずの実が枝からたれている。
○古屋 屋というが、よごれている屋壁をいう。
雲氣生虛壁,江聲走白沙。
廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。
○虚壁 虚谷の崖壁。
○江声 揚子江の流れる水おと。
〇白沙 江岸の白沙。
早知乘四載,疏鑿控三巴。
禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。
○早知 禹の事蹟についてはとっくにそれを知っていた。
○乗四載 「史記」の夏本紀によれば、禹は陸行には車に乗り、水行には船に乗り、泥行には橇(そり)に乗り、山行には檋(底に鉄くぎをうった足駄)に乗ったという。
○疏鑿 疏は通に同じ、江の水はきをつけること、聖は山をうがって穴をあけることをいう。晋の郭璞の「江賦」に、「巴東の峡は、夏后疏鑿す」とあるのにもとづく。
○控 班固の「西都賦」に、「准湖を控引して、海と波を通ず」とみえる。控は水を引くことをいう、「禹貢」の「眠山より江を導く」の導の字の意に用いる。