禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

 
 2014年10月5日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
100-#2 《長干行,二首之一 #2》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <100-#2> Ⅰ李白詩1273 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4913 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
20-(8) 《上宰相書 -(8)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1186> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4914 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-36 《禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》 杜甫index-15 杜甫<836> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4915 杜甫詩1500-836-1154/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-491《南歌子二首其一》巻九 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-674-19-(491) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4917 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

765年永泰元年54-36 《禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕》杜甫index-15 杜甫<836> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4915 杜甫詩1500-836-1154/2500765年永泰元年54-36

 

 

忠州の禹廟に謁してよんだ詩。永泰元年秋、下江の際の作。

年:765年永泰元年54

卷別:  卷二二九        文體:  五言律詩

詩題:  禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕

及地點:        禹廟 (山南東道 忠州 臨江)        

 

 

禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕

(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)

禹廟空山裡,秋風落日斜。

人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。

荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。

荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。

雲氣生虛壁,江聲走白沙。

廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。

早知乘四載,疏鑿控三巴。

禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

(禹 廟)

禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。

荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。

雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。

早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。

 

云亭 

 

『禹廟』 現代語訳と訳註

(本文) 〔此忠州臨江縣禹祠也。〕

禹廟

禹廟空山裡,秋風落日斜。

荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。

雲氣生虛壁,江聲走白沙。

早知乘四載,疏鑿控三巴。

 

(含異文)

禹廟空山裡,秋風落日斜。

荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。

雲氣生虛壁【雲氣噓清壁】,江聲走白沙。

早知乘四載【案:去聲,即乘輴等乘字義。】,疏鑿控三巴【流落控三巴】。

 

(下し文)

(禹 廟)

禹廟 空山の裏、秋風 落日斜めなり。

荒庭 橘柚垂れ、古屋 竜蛇を画く。

雲気 虚壁に生じ、江声白沙に走る。

早く知る四載に乗じて、疏鑿三巴より控せしを。

 

(現代語訳)

(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)

人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。

荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。

廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。

禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

禹廟〔此忠州臨江縣禹祠也。〕

(忠州臨江縣にある禹廟の祠に謁して詠んだ詩)

禹(う、紀元前2070年頃)は中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者。名は、文命(ぶんめい)、大禹、夏禹、戎禹ともいい、姓は姒(じ)、夏王朝創始後、氏を夏后とした。

 

禹廟空山裡,秋風落日斜。

人もいない山のなかに南の廟があって、いまは秋風のおりに夕日が斜めにさしている。

○禹廟 夏の禹王を祀った廟、忠州臨江県の南、眠江を過ぎること二里、江の南岸屏風山に在る。

 

荒庭垂橘柚,古屋畫龍蛇。

荒れた庭には橘柚の実が垂れさがり、ふるぼけた屋壁には竜蛇が画いてある。

○荒庭 あれている廟のにわ。

○垂橘柚 だいだい・ゆずの実が枝からたれている。

○古屋 屋というが、よごれている屋壁をいう。

 

雲氣生虛壁,江聲走白沙。

廟外では虚谷の崖壁に雲気がわきおこり、白い沙岸には江流の声がとどろきつつはしっている。

○虚壁 虚谷の崖壁。

○江声 揚子江の流れる水おと。

〇白沙 江岸の白沙。

 

早知乘四載,疏鑿控三巴。

禹が洪水を治めるため四種ののりものに乗って何処へでも行く、江山の疏鑿をやり、三巴の方面から水をみちびいたということは自分はつとに知っていたのだが、ここに来て、目の当たりその遺蹟を見るのである。

○早知 禹の事蹟についてはとっくにそれを知っていた。

○乗四載 「史記」の夏本紀によれば、禹は陸行には車に乗り、水行には船に乗り、泥行には橇(そり)に乗り、山行には檋(底に鉄くぎをうった足駄)に乗ったという。

○疏鑿 疏は通に同じ、江の水はきをつけること、聖は山をうがって穴をあけることをいう。晋の郭璞の「江賦」に、「巴東の峡は、夏后疏鑿す」とあるのにもとづく。

○控 班固の「西都賦」に、「准湖を控引して、海と波を通ず」とみえる。控は水を引くことをいう、「禹貢」の「眠山より江を導く」の導の字の意に用いる。

〇三巴 後漢末苛の劉璋は巴を分かち、永寧を以て巴東郡と為し、鑿江を巴郡と為し、閬中を巴西郡と為した、これを三巴と為す。
巫山十二峰003