周顗が新亭で、眼をあげて眺めた様に眺めると異郷の風景が物悲しくひしひしと胸に迫ってくる、茂陵に隠れて書を著した司馬相如のように、自分も朝廷の左拾遺から引っ込んで、消渴の病を永らく患って、詩文を暖めた。
765年永泰元年54歲-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54歲-44
765年永泰元年54歲
卷別: 卷二二九 文體: 七言律詩
詩題: 十二月一日,三首之二
作地點: 雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)
及地點:
新亭 (江南東道 潤州 江寧)
金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平、槐里
十二月一日,三首之一
今朝臘月春意動,雲安縣前江可憐。
一聲何處送書雁,百丈誰家上水船。
未將梅蕊驚愁眼,要取楸花媚遠天。
明光起草人所羨,肺病幾時朝日邊。
(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩である)その一
今朝は、まだ、十二月になったばかりというに、春の気配が動き出しているようで、ここ雲安縣の前の長江の様子も、可愛らしいと思えるようだ。
雁が一声鳴いて飛んでゆくが、何処に書簡を届けるのだろうか、百丈の闌で、舟を引っ張ってゆくのは何処の邸宅にゆくのだろうか。
春の気配があるといっても、さすがに開いていない梅の花ではわたしの愁眼をおどろかすことはできないけれど、正月の酒に山椒の花を入れて飲むのであるが、その代用として、遠き長安の空に向かって咲いている「楸花」を入れて酒を呑むということにしよう。
郎官になっているので、明光殿で詔勅の起草をせねばならないので人に羨ましがられるけれども、今、自分は肺病を患っているから、どれだけ太陽が上り下りするのを見れば、参朝できるのであろうかわからないのである。
(十二月一日,三首の一)
今朝 臘月 春意動く,雲安 縣前 江憐れむ可し。
一聲 何れの處に書を雁に送らん,百丈 誰が家に 水の船に上らん。
未だし梅蕊を將って 愁眼を驚かさざらしむ,楸花【しょうか】を取って遠天に媚びんと要す。
明光 起草 人の羨む所なり,肺病 幾時か 日邊を朝せん。
十二月一日,三首之二
寒輕市上山煙碧,日滿樓前江霧黃。
負鹽出井此谿女,打鼓發船何郡郎。
新亭舉目風景切,茂陵著書消渴長。
春花不愁不爛漫,楚客唯聽棹相將。
(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、早くこの地を離れたいと詠う)その二
寒さが軽くひろがり、この市街地の上には山にかけて緑色の煙が上がっている。太陽の光は、十分楼閣前に照りかがやき長江の霧が黄ばんで見える。
塩を背負って運んで井からでてくるのはこの地の谿女である。太鼓をたたいては船を出発させているのは、何処の若者だろうか。
周顗が新亭で、眼をあげて眺めた様に眺めると異郷の風景が物悲しくひしひしと胸に迫ってくる、茂陵に隠れて書を著した司馬相如のように、自分も朝廷の左拾遺から引っ込んで、消渴の病を永らく患って、詩文を暖めた。
ここでの春は、花が爛漫と咲こうと咲くまいとそんなことは心配することではない。自分は早く三峡を下り、楚の国の旅人として船頭と合いの手たちの舟を漕ぐ音を聞きながら、それを心にとめて行きたいと思っているのだ。
(十二月一日,三首之二)
寒輕るくして 市上 山煙碧りに,日滿ちて 樓前 江霧黃なり。
鹽を負いて 井を出づ 此の谿女,鼓を打ちて 船を發す 何の郡郎ぞ。
新亭 目を舉ぐ 風景切なり,茂陵 書を著して 消渴長し。
春花 爛漫たらざるを愁えず,楚客 唯だ聽く 棹 相い將いるを。
『十二月一日,三首之二』 現代語訳と訳註
(本文)
十二月一日,三首之二
寒輕市上山煙碧,日滿樓前江霧黃。
負鹽出井此谿女,打鼓發船何郡郎。
新亭舉目風景切,茂陵著書消渴長。
春花不愁不爛漫,楚客唯聽棹相將。
(下し文)
(十二月一日,三首之二)
寒輕るくして 市上 山煙碧りに,日滿ちて 樓前 江霧黃なり。
鹽を負いて 井を出づ 此の谿女,鼓を打ちて 船を發す 何の郡郎ぞ。
新亭 目を舉ぐ 風景切なり,茂陵 書を著して 消渴長し。
春花 爛漫たらざるを愁えず,楚客 唯だ聽く 棹 相い將いるを。
(現代語訳)
(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、早くこの地を離れたいと詠う)その二
寒さが軽くひろがり、この市街地の上には山にかけて緑色の煙が上がっている。太陽の光は、十分楼閣前に照りかがやき長江の霧が黄ばんで見える。
塩を背負って運んで井からでてくるのはこの地の谿女である。太鼓をたたいては船を出発させているのは、何処の若者だろうか。
周顗が新亭で、眼をあげて眺めた様に眺めると異郷の風景が物悲しくひしひしと胸に迫ってくる、茂陵に隠れて書を著した司馬相如のように、自分も朝廷の左拾遺から引っ込んで、消渴の病を永らく患って、詩文を暖めた。
ここでの春は、花が爛漫と咲こうと咲くまいとそんなことは心配することではない。自分は早く三峡を下り、楚の国の旅人として船頭と合いの手たちの舟を漕ぐ音を聞きながら、それを心にとめて行きたいと思っているのだ。
(訳注)
十二月一日,三首之二
(病気で、雲安の長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めのころ、気分転換に作った詩で、早くこの地を離れたいと詠う)その二
杜甫は、県令の厳某に頼んで、長江を臨む小閣を借り受け、療養し始めた。病状はよくならず、翌年春まで続く。持病の喘息、と神経痛で足が動かない状況であった。この時の詩が妙に明るいのはめいった気分を改めたかったのであろう。
寒輕市上山煙碧,日滿樓前江霧黃。
寒さが軽くひろがり、この市街地の上には山にかけて緑色の煙が上がっている。太陽の光は、十分楼閣前に照りかがやき長江の霧が黄ばんで見える。
負鹽出井此谿女,打鼓發船何郡郎。
塩を背負って運んで井からでてくるのはこの地の谿女である。太鼓をたたいては船を出発させているのは、何処の若者だろうか。
負鹽 塩井がある地域で女子が出来上がった塩を背負って運ぶ。
新亭舉目風景切,茂陵著書消渴長。
周顗が新亭で、眼をあげて眺めた様に眺めると異郷の風景が物悲しくひしひしと胸に迫ってくる、茂陵に隠れて書を著した司馬相如のように、自分も朝廷の左拾遺から引っ込んで、消渴の病を永らく患って、詩文を暖めた。
新亭舉目 晋の周顗 五胡の乱、武昌で挙兵した(王敦の乱)。この時、首都建康にいた王導は、劉隗により反乱者の同族として処刑されかけるが、周顗の取りなしにより事なきを得ている。
西晋末に起こった北方異民族(匈奴)の王・劉聡による叛乱のこと。八王の乱が起こり、晋室の勢力は後退し、五胡(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五民族)が自立するようになり、やがて南匈奴の劉淵が漢王と称して自立。やがて、皇帝の位に就いた。劉淵の子・劉聡は、西晋の都・洛陽を陥落させ、懐帝を漢の都・平陽に拉致して、二年後に殺した。やがて、西晋は滅び、その後亡、五胡十六国時代になる。その契機の変乱。
『晉書・列傳・王導』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。周顗中坐而歎曰:「風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)導愀然變色曰:「當共力王室,克復神州,何至作楚囚相對泣邪!』衆收涙而謝之」。
北方の人士、乱を江南に避けるもの十に六、七なり。王導など暇日に新亭に出でて飲宴す、周顗中座して嘆じて曰く、「風景は殊ならず、目を舉ぐれば江河之異有り。」と。
皆 相い視て涕を流す。惟だ(王)導 愀然として色を變じて曰く:「當に共に力をあわせ王室に,神州を克復すべし,何ぞ相い對して楚囚の泣を作すに至らんや!」と。衆 涙を收めて之に謝す」。
風景切 異郷の風景が物悲しくひしひしと胸に迫ってくることをいう。
茂陵著書 茂陵に隠退した漢の司馬相如は、武帝に提起するための遺稿として「封禅の書」を書いたと言うが、この書物は私にとっての「封禅の書」である。
杜甫『琴台』
茂陵多病後,尚愛卓文君。
酒肆人間世,琴台日暮雲。
野花留寶靨,蔓草見羅裙。
歸鳳求凰意,寥寥不複聞。
(琴台)
茂陵 多病の後なるも,尚お卓文君を愛す。
酒肆【しゅし】人間【じんかん】の世,琴台【きんだい】日暮の雲。
野花 寶靨【ほうえん】を留め,蔓草【まんそう】羅裙【らくん】見る。
歸鳳は凰意を求めしも,寥寥【りょうりょう】複た聞かず。
司馬相如が晚年になって茂陵に退居した。持病が出て辛くなったためであった。しかし、その後は浮気をきっぱりと止め、妻の卓文君には深い愛情を持った。
ふんどし一つで卓文君と酒屋をしていた琴台のころのことは太陽が傾きかけたところに雲がかかったようなことかもしれないのではある。
確かに、その頃は野の花を首飾りにしていたかもしれないし、蔦蔓や草花でもって薄絹やスカートとしなければならなかったのかもしれない。
司馬相如と卓文君のように鳳凰鳥は鳳凰にふさわしい大望を持っているものでそこに帰着するものである。しかしこんなことは数少ない事例であって、ふたたびそのような出来事を聞くことはないのである。
琴台 杜甫 <432> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2105 杜甫詩1000-432-615/1500
春花不愁不爛漫,楚客唯聽棹相將。
ここでの春は、花が爛漫と咲こうと咲くまいとそんなことは心配することではない。自分は早く三峡を下り、楚の国の旅人として船頭と合いの手たちの舟を漕ぐ音を聞きながら、それを心にとめて行きたいと思っているのだ。
春花不愁不爛漫 春の花が爛漫と咲こうと咲くまいとそんなことは心配することではないということ。心は、花に向わないということ。
楚客 杜甫は、東蜀、山南東道 / 夔州 / 雲安にいる。三峡を下って楚の国の客となる。