左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護事件」であるといわれるが、実際には、朝廷内における「房琯一派」は、肅宗、宦官、賀蘭進明・第五琦の連合から朝廷からはじき出されたのである。この事について、杜甫の《乾元元年華州試進士策問五首》の訳註解説の中で詳しく述べているので参考にしてもらいたい。

 
 2014年10月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
108 《金陵酒肆留別》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <108> Ⅰ李白詩1280 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4948 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
20-(21)§11-1 《上宰相書 -(21)》韓愈(韓退之)ID 793年貞元9年 26歳<1199> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4979 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州啟殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守) 》 杜甫index-15 杜甫<849> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor19-504《菩薩蠻三首,其二》十巻 毛熙震Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-687-19-(504) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4982 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


765

年永泰元年54-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守) 杜甫index-15 杜甫<849> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500

 

 

 

757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房琯を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房琯の一党とされて、華州司功参軍に出される。杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護事件」であるといわれるが、実際には、朝廷内における「房琯一派」は、肅宗、宦官、賀蘭進明・第五琦の連合から朝廷からはじき出されたのである。この事について、杜甫の《乾元元年華州試進士策問五首》の訳註解説の中で詳しく述べているので参考にしてもらいたい。

 杜甫と房琯について杜甫の詩文は以下のようにある。

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

 

杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63

855 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

856 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首)

 

●文

奉謝口敕放三司推問状

◍祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

○房大尉 宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152   悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて邠州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月廣徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

764年広徳二年春、閬州より成都に赴こうとして房琯の墓に別れる情をのべた詩『別房太尉墓』がある。作者の文集中に広徳元年九月に作った「故相国清河房公を祭る文」がある。(全唐文にあるものを別に紹介する。)

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1)》 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500 

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(2) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4160 杜甫詩1500-1501-2-1003/250054

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(3) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4165 杜甫詩1500-1501-3-1004/250055

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(4) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4170 杜甫詩1500-1501-4-1005/250056

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(5) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4175 杜甫詩1500-1501-5-1006/250057

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(6) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-6 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4180 杜甫詩1500-1501-6-1007/250058

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(7) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-7 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4185 杜甫詩1500-1501-7-1008/250059

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(8) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4190 杜甫詩1500-1501-8-1009/250060

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(9) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4195 杜甫詩1500-1501-9-1010/250064

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(10) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4200 杜甫詩1500-1501-10-1011/250065

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(11) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4205 杜甫詩1500-1501-11-1012/250066-#1

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(12) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-12 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4210 杜甫詩1500-1501-12-1013/250066-#2

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500

 

 


756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1)》 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2)》 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3)》 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4)》 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(5)》 杜甫 房琯関連 1-(5) 杜甫<1502-5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4365 杜甫詩1500-1502-5-1044/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(6)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(6) 杜甫<1502-6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4370 杜甫詩1500-1502-6-1045/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(7)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(7) 杜甫<1502-7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4375 杜甫詩1500-1502-7-1046/2500

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(8)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(8) 杜甫<1502-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4380 杜甫詩1500-1502-8-1047/2500

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9)》 杜甫index-14 764年 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

 

 

 

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首Q-1 -(1)》 杜甫index-14 764年(1)Q-1-#1 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4230 杜甫詩1500-765-1017/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (2) Q-1-#2》 杜甫<766>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4235 杜甫詩1500-766-1018/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (3) Q-1-#3》 杜甫index-14 764年 (3) Q-1-#3 杜甫<767> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4240 杜甫詩1500-767-1019/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (4) Q-2-#1》 杜甫index-14 764年 (4) Q-2-#1 杜甫<768> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4245 杜甫詩1500-768-1020/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (5) Q-2-#2》 杜甫index-14 764年 (5) Q-2-#2 杜甫<769> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4250 杜甫詩1500-769-1021/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (6) Q-2-#3》 杜甫index-14 764年 (6) Q-2-#3 杜甫<770> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4255 杜甫詩1500-770-1022/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1》 杜甫index-14 764年 (7) Q-3-#1 杜甫<771> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260 杜甫詩1500-771-1023/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3-#2》 杜甫index-14 764年 (8) Q-3-#2 杜甫<772> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 杜甫詩1500-772-1024/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (9) Q-3-#3》 杜甫index-14 764年 (9) Q-3-#3 杜甫<773> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4270 杜甫詩1500-773-1025/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (10) Q-3-#4》 杜甫index-14 764年 (10) Q-3-#4 杜甫<774> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275 杜甫詩1500-774-1026/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (11) Q-4-#1》 杜甫index-14 764年 (11) Q-4-#1 杜甫<775> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4280 杜甫詩1500-775-1027/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (12) Q-4-#2》 杜甫index-14 764年 (12) Q-4-#2 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4285 杜甫詩1500-776-1028/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3》 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1》 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (15) Q-5-#2》 杜甫index-14 764年 (15) Q-5-#2 杜甫<779> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4300 杜甫詩1500-779-1031/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (16) Q-5-#3》 杜甫index-14 764年 (16) Q-5-#3 杜甫<1509-16> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4305 杜甫詩1500-1509-16-1032/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (17) Q-5-#4》 杜甫index-14 764年 (17) Q-5-#4 杜甫<1509-17> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4310 杜甫詩1500-1509-17-1033/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (18) Q-5-#5》 杜甫 <1509-18> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4315 杜甫詩1500-1509-18-1034/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (19) Q-5-#6》 杜甫index-14 764年 (19) Q-5-#6 杜甫<1509-19> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4320 杜甫詩1500-1509-19-1035/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (20) Q-5-#7》杜甫<1509-20> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4325 杜甫詩1500-1509-20-1036/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (21) Q-5-#8》 杜甫<1509-21> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4330 杜甫詩1500-1509-21-1037/2500index-21

乾元元年758年 《乾元元年華州試進士策問五首 (22) Q-5-#9》 杜甫<1509-22> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4335 杜甫詩1500-1509-22-1038/2500index-21

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

 

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首

いまはなくなった宰相房琯公の霊枢が閬州より仮り埋めからだして洛陽の方へ帰葬されるということをきいてよんだ詩。

Index-15

765年永泰元年 杜甫54歳 63首

855

 

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

遠聞房太守,

856

 

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

丹旐飛飛日,

製作年:765年  永泰元年  54

卷別: 巻十四 卷二二九  文體: 五言律詩  

詩題: 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一  

作地點: 雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)  

及地點:  閬州 (山南西道 閬州 閬州) 別名:閬、巴城      

東都 (都畿道 河南府 東都) 別名:東京      

陸渾山 (都畿道 河南府 陸渾) 別名:方山  

 

 

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首の一)

 

其一    

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)その一

遠聞房太守,歸葬陸渾山。

はるかに聞くところによると大尉房公はご自身が若いころ10年もの間勉強された故郷の陸渾山へ帰葬されることのようだ。

一德興王后,孤魂久客間。

房琯公は中興の天子の後にあたって不易の一徳をいだいてはいるものの流寓諸客のあいだにさびしい魂を迷わせておられた。

孔明多故事,安石竟崇班。

房琯公は諸葛孔明のようにいろいろの故事をもっておられる、謝安石のようにとうとう死後にその位を高められるというようにおなりになった。

他日嘉陵涕,仍霑楚水還。

自分はいつぞやお墓におわかれをするとき嘉陵江に涙をそそいだことであったが、いままたその涙が楚地の水をうるおしてゆくことになった。

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の一)

房大尉の 陸渾の山に帰葬すと遠く聞く。

一徳は興王の后なり、孤魂は久客の間にあり。

孔明は故事多く、安石は 竟に崇班なり。

他日 嘉陵の涙、仍お楚水を霑して還らんとす。

 

其二    丹旐飛飛日,初傳發閬州。風塵終不解,江漢忽同流。

        劍動新身匣,書歸故國樓。盡哀知有處,為客恐長休。

 


 

『承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)其一      

遠聞房太守,歸葬陸渾山。

一德興王后,孤魂久客間。

孔明多故事,安石竟崇班。

他日嘉陵涕,仍霑楚水還。

 

(下し文)

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の一)

房大尉の 陸渾の山に帰葬すと遠く聞く。

一徳は興王の后なり、孤魂は久客の間にあり。

孔明は故事多く、安石は 竟に崇班なり。

他日 嘉陵の涙、仍お楚水を霑して還らんとす。

 

(現代語訳)

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)

はるかに聞くところによると大尉房公はご自身が若いころ10年もの間勉強された故郷の陸渾山へ帰葬されることのようだ。

房琯公は中興の天子の後にあたって不易の一徳をいだいてはいるものの流寓諸客のあいだにさびしい魂を迷わせておられた。

房琯公は諸葛孔明のようにいろいろの故事をもっておられる、謝安石のようにとうとう死後にその位を高められるというようにおなりになった。

自分はいつぞやお墓におわかれをするとき嘉陵江に涙をそそいだことであったが、いままたその涙が楚地の水をうるおしてゆくことになった。

 

(訳注)

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首 其一

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首の一)

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)

(1)この第一首は房琯を思い雲安の地においてふたたび涙をそそぐことをいう。永泰元年雲安にあっての作。

○承聞 「聞くを承く」、聞だけでもよろしいが東を加えたのはさらに尊ぶためである。

○故房相公 没故した元の宰相 房琯。

○房大尉 宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき肅宗に上皇承諾の使者として霊武に行き宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152

悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153

)によって房琯を貶されて邠州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

764年広徳二年春、閬州より成都に赴こうとして房琯の墓に別れる情をのべた詩。作者の文集中(全唐文)に広徳元年九月に作った祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)には杜甫の房琯に対する思いが一番よくわかるものである。

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

殯 はかりうめ、はひらく、かりうめの場所をあけてはりだす。廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052 

詩がある。それはかりうめの墓である。

○東都 洛陽。

 

遠聞房太守,歸葬陸渾山。

はるかに聞くところによると大尉房公はご自身が若いころ10年もの間勉強された故郷の陸渾山へ帰葬されることのようだ。

○房大尉 房琯は卒して太尉を贈られた。

○陸渾山 河南府嵩県の東北にある山、洛陽から遠くない。籍は河南の人、宰相房融の子で、わかくして学を好み、東平の呂向とともに十年間りくこん山に隠れていたことがある。今没してその山に葬られようとするのである。

・洛陽の陸渾荘にやった継母の盧氏と幼い弟妹たちからの連絡はない。洛陽が奪回されて半年以上もたつのに何の連絡もないのだ。『得舎弟消息』「乱後誰帰得、他郷勝故郷。直為心厄苦、久念与存亡。汝書猶在壁、汝妾已辞房。旧犬知愁恨、垂頭傍我牀。」

得舎弟消息 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 289

重過何氏五首 其五 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 72

・王維が藍田の宋之問の別荘を購入している。宗之問の死から30年経過していてほとんど手入れをされていない状態のものであった。王維は二十数年かけて整理し輞川集を完成させた。杜甫・王維関連年表参照。しかし王維の輞川荘は長安の東南50km藍田にある。

この杜甫の詩の宋之問の別荘は洛陽の北西河南省偃師県にある。高級官僚であるし、武則天は洛陽にほとんどいたので、むしろ偃師県に別荘の利用が多かったかもしれない。宋之問と杜甫の祖父の杜審言と交友があった。

杜甫は、741年開元 二十九年、首陽山の下に室を築き、遠祖当陽君(晋の杜頚)を祭った。また、このとき、陸渾荘を建て,妻を娶る。世話になったおばの死からの喪明けの年とすべてが重なるが、これら一連をやり、李白の後を追って旅に出ることになる。『過宋員外之問舊莊』「宋公舊池館,零落首陽阿。枉道祗從入,吟詩許更過。淹留問耆老,寂寞向山河。更識將軍樹,悲風日暮多。」

過宋員外之問舊莊  杜甫

 

一德興王后,孤魂久客間。

房琯公は中興の天子の後にあたって不易の一徳をいだいてはいるものの流寓諸客のあいだにさびしい魂を迷わせておられた。

〇一徳 儒者の基本、一徳とは守りを変えず、一筋に徳を保つことをいう、ここの意は房琯が徳操のあったことをいう。

○興王 中興の天子、粛宗をいう。

○孤魂 地方にさまよって居った房琯の精神、魂は生者の魂をさす。

○久客 地方に流寓していた他の人人。

 

孔明多故事,安石竟崇班。

房琯公は諸葛孔明のようにいろいろの故事をもっておられる、謝安石のようにとうとう死後にその位を高められるというようにおなりになった。

○孔明 諸葛亮の字、以て房琯に此する。後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明。司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。

○故事 晋の陳寿、筍巌らと諸葛亮の故事二十四篇を定めてたてまつった。故事とは過去の行事をいう。諸葛亮は春秋時代の晋の文公の故事を引いて、劉琦に外に出て身の安全を図るよう薦めた。諸葛亮の文章を陳寿が編纂した『諸葛亮集』なる書物があったが現存していない。諸葛亮は『兵法二十四編』を死の直前に姜維に托している。これらを踏まえているということ。

○安石 東晋の謝安の字、これを房琯に此する。東晋の名宰相。字は安石。陳郡陽夏(河南省太康県)が本籍の人であるが,会稽(浙江省)上虞(じようぐ)に寓居して,早くから大人物と目されながら王羲之らと風流自適の生活を楽しみ,40歳を過ぎてはじめて出仕した。中央に地位を占めてからは,東晋を奪おうとする桓温(かんおん)の野望をくじき,383年(太元8)には甥の謝玄らを派遣して,南下する前秦苻堅(ふけん)の大軍を淝水(ひすい)に破った(淝水の戦)。行書にも巧みで教養豊かな彼のおおらかな政治のやり方は,貴族政治の典型とされる。

○克崇班 崇班はたかい位をいう、増が卒して大尉を贈られたのは崇班である、訪安も卒して太博を贈られた、故に相い比する。

 

他日嘉陵涕,仍霑楚水還。

自分はいつぞやお墓におわかれをするとき嘉陵江に涙をそそいだことであったが、いままたその涙が楚地の水をうるおしてゆくことになった。

○他日 異日、往日の意。

○嘉陵涙 嘉陵は嘉陵江、閬州の西漢水をさす、ここは閬州の房琯の墓にそそいだ涙をさしていう。

○仍 やっぱりということ。

○楚水 楚地の水、夔州府より下流の長江のことを楚水といっている。この地より房琯の枢舟(びつぎぶね)が経過するはずの処をいう。

○還 ゆくというほどの意であるが、洛陽は杜甫の故郷でもあるゆえにかえるといっている。

 

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の一)

房大尉の 陸渾の山に帰葬すと遠く聞く。

一徳は興王の后なり、孤魂は久客の間にあり。

孔明は故事多く、安石は 竟に崇班なり。

他日 嘉陵の涙、仍お楚水を霑して還らんとす。