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765年永泰元年54-50 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-15 杜甫<850 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4985 杜甫詩1500-850-1168/2500

 

 

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首の一)

 

其一   

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)

遠聞房太守,歸葬陸渾山。

はるかに聞くところによると大尉房公はご自身が若いころ10年もの間勉強された故郷の陸渾山へ帰葬されることのようだ。

一德興王后,孤魂久客間。

房琯公は中興の天子の後にあたって不易の一徳をいだいてはいるものの流寓諸客のあいだにさびしい魂を迷わせておられた。

孔明多故事,安石竟崇班。

房琯公は諸葛孔明のようにいろいろの故事をもっておられる、謝安石のようにとうとう死後にその位を高められるというようにおなりになった。

他日嘉陵涕,仍霑楚水還。

自分はいつぞやお墓におわかれをするとき嘉陵江に涙をそそいだことであったが、いままたその涙が楚地の水をうるおしてゆくことになった。

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の一)

房大尉の 陸渾の山に帰葬すと遠く聞く。

一徳は興王の后なり、孤魂は久客の間にあり。

孔明は故事多く、安石は 竟に崇班なり。

他日 嘉陵の涙、仍お楚水を霑して還らんとす。

 

其二

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)その2

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

あなたの姓名を記したはたがひらひらとひるがえる時、そのはたがこのごろやっと閬州から出発したと伝え聞いた。

風塵終不解,江漢忽同流。

兵馬の塵はあくまで解決することにはなっていないし、あなたと江漢の流れを同じくして舟をうかべることは不思議な御縁であると考えるところだ。

劍動新身匣,書歸故國樓。

今回運ばれる新しいお棺のなかには故房琯公の身にはあなたが使っていた剣がうごきだそうとしている。あなたの書物は故郷の楼にかえるのである。

盡哀知有處,為客恐長休。

わたくしはこのような理不尽な朝廷が何もしない事態で哀哭しつくすべきところがどこであるのかよくわかっている、旅客の身となっているからその場所(陸渾)で正規の葬儀で正規に哭することはできずに終わるのではあるまいかと恐れている。

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の二)

丹旐【たんちょう】 飛飛たる日、初めて 閬州を発すと伝う。

風塵 終に解けず、江漢 忽ち流れを同じくす。

剣は動く 親身の匣、書は帰る故国の楼。

尽哀すべき 処有りるを知り、客と為って恐らくは長く休せん。

 

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蜀中転々圖


『承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

其二    

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

風塵終不解,江漢忽同流。

劍動新身匣,書歸故國樓。

盡哀知有處,為客恐長休。

 

(下し文)

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の二)

丹旐【たんちょう】 飛飛たる日、初めて 閬州を発すと伝う。

風塵 終に解けず、江漢 忽ち流れを同じくす。

剣は動く 親身の匣、書は帰る故国の楼。

尽哀すべき 処有りるを知り、客と為って恐らくは長く休せん。

 

(現代語訳)

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)その2

あなたの姓名を記したはたがひらひらとひるがえる時、そのはたがこのごろやっと閬州から出発したと伝え聞いた。

兵馬の塵はあくまで解決することにはなっていないし、あなたと江漢の流れを同じくして舟をうかべることは不思議な御縁であると考えるところだ。

今回運ばれる新しいお棺のなかには故房琯公の身にはあなたが使っていた剣がうごきだそうとしている。あなたの書物は故郷の楼にかえるのである。

わたくしはこのような理不尽な朝廷が何もしない事態で哀哭しつくすべきところがどこであるのかよくわかっている、旅客の身となっているからその場所(陸渾)で正規の葬儀で正規に哭することはできずに終わるのではあるまいかと恐れている。

 

<!--[if !vml]-->三者の思惑が合致 

(訳注)

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首 其二

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首の二)

(以前宰相であった房琯公の仮埋葬していたのを東都洛陽に還されるということを耳に致したのでこの詩を作った。)

(2)この第二首は洛陽陸渾に帰って哭そうと欲することをいう。

 

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

あなたの姓名を記したはたがひらひらとひるがえる時、そのはたがこのごろやっと閬州から出発したと伝え聞いた。

○丹旐 銘旐、これは死者の姓名を記したはたをいう。のぼりのような場合もあり。

 

風塵終不解,江漢忽同流。

兵馬の塵はあくまで解決することにはなっていないし、あなたと江漢の流れを同じくして舟をうかべることは不思議な御縁であると考えるところだ。

○風塵 兵馬の塵。

○江漢 江は長江、漢は西漢水、すなわち嘉陵江。

○同流 房琯の枢舟と杜甫自身の舟とが同じ流れにうかぶことをいう。

 

劍動新身匣,書歸故國樓。

今回運ばれる新しいお棺のなかには故房琯公の身にはあなたが使っていた剣がうごきだそうとしている。あなたの書物は故郷の楼にかえるのである。

○剣動 房公の霊、兵乱を平らげようと欲するかのごとくであることをいう。

○新身匣 匣は剣を入れた新しいはこ、身とは公の屍のことをいう。

○書 書籍、公の愛読したもの。この二句は房琯の二つの実績、一つは剣で、二つは書ということ。

○故国 故郷の河南をいう。

 

盡哀知有處,為客恐長休。

わたくしはこのような理不尽な朝廷が何もしない事態で哀哭しつくすべきところがどこであるのかよくわかっている、旅客の身となっているからその場所(陸渾)で正規の葬儀で正規に哭することはできずに終わるのではあるまいかと恐れている。

○尽哀 一哀を尽くして哭すること。一哀は、「礼記」の檀弓上、曾子問篇にみえる。

○有処 処とは陸津山の公の墓地をさすが、杜甫がわざわざなく場所があるといっているのは、朝廷が763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されており、たしかに途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月広徳と改元)閬州の僧舎に卒したとはいえ、本葬儀に対して朝廷がかかわるべきである。太尉を贈られたのであれば朝廷がかかわる必要があるということをいうのである。作者の旧荘もまた陸渾にあるゆえに陸渾の地と解するのは単純すぎる。763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1)》 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500 

を全13回にわたって通訳しているので参照されたい。

○長休 休は休止である、『禮記』五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきたのであること、したがってここで哭せんと欲することが『儀礼』にのとったものでなければ泛ばれないというものである。そのまま哭することを得ずしてやむことをいう。房琯の名誉の為にも朝廷は再考ねがいたいということを思っているのだ。

 

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首 其の二)

丹旐【たんちょう】 飛飛たる日、初めて 閬州を発すと伝う。

風塵 終に解けず、江漢 忽ち流れを同じくす。

剣は動く 親身の匣、書は帰る故国の楼。

尽哀すべき 処有りるを知り、客と為って恐らくは長く休せん
房琯は全隊を三軍にわけた 

757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房琯を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房琯の一党とされて、華州司功参軍に出される。杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護事件」であるといわれるが、実際には、朝廷内における「房琯一派」は、肅宗、宦官、賀蘭進明・第五琦の連合から朝廷からはじき出されたのである。この事について、杜甫の《乾元元年華州試進士策問五首》の訳註解説の中で詳しく述べているので参考にしてもらいたい。

 杜甫と房琯について杜甫の詩文は以下のようにある。

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

720 《陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】》 蜀中転々 杜甫 <627>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3445 杜甫詩1000-627-883/1500五言律詩

721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》 蜀中転々 杜甫 <628>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3450 杜甫詩1000-628-884/1500

722 《得房公池鵝》 蜀中転々 杜甫 <629>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3455 杜甫詩1000-629-885/1500

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052

 

杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63

855 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

856 承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

(故房相公靈櫬,閬州より殯をき 東都に歸葬すと承聞して作有り,二首)

 

●文

奉謝口敕放三司推問状

◍祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

○房大尉 宰相房琯、大尉はその贈官である、琯、字は次律、玄宗が蜀に幸したとき宰相に拝されたが、陳涛斜の敗戦(悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152   悲青坂 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 153)によって房琯を貶されて邠州刺史となった。上元元年礼部尚書に改められ、ついで出されて晋州刺史とされ、八月漢州刺史に改められた。763年寶應二年四月特進・刑部尚書に拝されたが、途中で病にかかり、763年廣徳元年八月(宝応二年七月廣徳と改元)閬州の僧舎に卒した。六十七歳、太尉を贈られた。

764年広徳二年春、閬州より成都に赴こうとして房琯の墓に別れる情をのべた詩『別房太尉墓』がある。作者の文集中に広徳元年九月に作った「故相国清河房公を祭る文」がある。(全唐文にあるものを別に紹介する。)

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1)》 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500 

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(2) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4160 杜甫詩1500-1501-2-1003/250054

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (5) Q-2-#2 杜甫index-14 764年 (5) Q-2-#2 杜甫<769 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4250 杜甫詩1500-769-1021/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (6) Q-2-#3 杜甫index-14 764年 (6) Q-2-#3 杜甫<770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4255 杜甫詩1500-770-1022/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (7) Q-3-#1 杜甫index-14 764年 (7) Q-3-#1 杜甫<771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4260 杜甫詩1500-771-1023/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (8) Q-3-#2 杜甫index-14 764年 (8) Q-3-#2 杜甫<772 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4265 杜甫詩1500-772-1024/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (9) Q-3-#3 杜甫index-14 764年 (9) Q-3-#3 杜甫<773 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4270 杜甫詩1500-773-1025/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (10) Q-3-#4 杜甫index-14 764年 (10) Q-3-#4 杜甫<774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4275 杜甫詩1500-774-1026/2500index-21

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乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (13) Q-4-#3 杜甫index-14 764年 (13) Q-4-#3 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4290 杜甫詩1500-777-1029/2500index-21

乾元元年758 《乾元元年華州試進士策問五首 (14) Q-5-#1 杜甫index-14 764年 (14) Q-5-#1 杜甫<778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4295 杜甫詩1500-778-1030/2500index-21

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757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

 

承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作 二首

いまはなくなった宰相房琯公の霊枢が閬州より仮り埋めからだして洛陽の方へ帰葬されるということをきいてよんだ詩。

Index-15

765年永泰元年 杜甫54歳 63

855

 

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

遠聞房太守,

856

 

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

丹旐飛飛日,