杜甫《去蜀》自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

 
 2014年11月2日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
121 《越女詞,五首之五》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 <121> Ⅰ李白詩1301 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5053 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorブログ
23 《知音者誠希》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1214> Ⅱ韓昌黎集 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5054韓愈詩-23
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ765年永泰元年54歲-62 《草堂逸詩拾遺。去蜀》 杜甫index-15 杜甫<862> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5055 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-519《南鄉子十首,其二》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-702-20-(519) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5057 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


765年永泰元年54-62 《草堂逸詩拾遺。去蜀》 杜甫index-15 杜甫<862> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5055


杜甫詩1500-862-1182/2500765年永泰元年54
-62

 

年:765年永泰元年54

卷別:  卷二三四        文體:  五言律詩

詩題:  去蜀【案:草堂逸詩拾遺。】

杜少陵集 巻十四       

作地點:        成都(劍南道北部 / 益州 / 成都)

及地點:       

成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀     

梓州 (劍南道北部 梓州 梓州)      

 

 

去蜀

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流。

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

 

(蜀を去る)

五載も蜀の郡に客たり、一年 梓州に居る。

如何ぞ 関塞に阻せらるる、転じて瀟湘の遊びを作す。

世事 己に黄髪なり、残生 白鴎に随わん。

安危には大臣あり、必ずしも 涙 長【とこしえ】に流れしめず。

 

 

『去蜀』 現代語訳と訳註解説

(本文)

去蜀

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流。

 

(含異文)

五載客蜀郡,一年居梓州。

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。世事已黃髮【萬事已黃髮】,殘生隨白鷗。

安危大臣在,不必淚長流【何必淚長流】。

 

(下し文)

(蜀を去る)

五載も蜀の郡に客たり、一年 梓州に居る。

如何ぞ 関塞に阻せらるる、転じて瀟湘の遊びを作す。

世事 己に黄髪なり、残生 白鴎に随わん。

安危には大臣あり、必ずしも 涙 長【とこしえ】に流れしめず。

 

 

(現代語訳)

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

 

 

(訳注)

去蜀

(戦のトラウマにいたたまれなくて、ながなが住んだ局の成都よりたち去ろうとしでよんだ詩。)

 永泰元年(765)の正月に、杜甫は成都の厳武幕府から浣花渓の草堂にもどる。節度参謀の職を辞した。厳武公は杜甫の辞職を認めたが、四月になると厳武が四十歳の若さで急死した。蜀州の刺史であった友人の高適も、すでに都に転任し、正月に長安で亡くなっていた。杜甫は成都が吐蕃の侵寇、政情不安で、再び、戦場、殺戮、逃避、捕縛などの死のトラウマ状態になった。

 最早従来の計画通り、長江から江漢の地に出てことにした。夏五月、錦江の渡津万里橋のたもとから船出し、杜甫は一家をあげて草堂を去った。この詩はその時作ったものであるが、後雲安で整理したもの。

 

 

五載客蜀郡,一年居梓州。

自分は五か年のあいだ蜀郡の旅客となり、一か年のあいだ梓州で暮らした。

○五載 75912月から、7655月、当時の正月を過ごした年数でいうと7年になるが、途中梓州に同様計算で2年三巴を転々としているから五載となる。

○客蜀郡 蜀郡は607年隋の郡制施行に伴い益州を蜀郡としたことで、この表現を用いた。隋朝が成立すると当初は益州が設置され719県を管轄した。582年(開皇2年)の新州玄武郡の廃止に伴い、その管轄県であった伍城県が益州に移管されている。607年(大業3年)、郡制施行に伴い益州は蜀郡と改称され下部に13県を管轄した

○一年 762年寶應元年7月から763年寶應二年の1年間。2載。同年秋、閬州に移り、764年廣徳3月成都草堂に帰る。

○居梓州 梓州刺史章彝の世話で官舎に住む。

 

如何關塞阻,轉作瀟湘遊。

どうしていつまでもこんな蜀盆地の関塞のなかにとじこめられているのか、これから方向をかえて南方滞湘の地方へ遊ぼうとおもうのだ。

○關塞 長安から秦嶺山脈山脈をこえる際にいくつもの関所があり、成都盆地に入る剣門關がある。西の吐蕃、南の雲南、北の回紇に対しての塞が多く築かれていたので、成都は、四方に關塞があった。

○阻 四方に關塞があるということは、その地の領有主権者の意向に倚り、状況は大きく変化するのであり(高適・厳武)、その上、玄宗が、この地に逃避したところであり、成都はそうした意味で、杜甫は安全な地域だから居住したのである。

○瀟湘遊 瀟湘八景に遊びたいという風流人、隠遁者の誰もが持つ願望である。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。瀟湘八景(しょうしょうはっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。

 

世事已黃髮,殘生隨白鷗。

髪のけがかく黄色になっては、万事はおしまいだ、これからの老いさきは白い鴎にしたがってすごすのだ。

黃髮 五十代までの白髪という表現が六十台近くから、黃髮にかわってゆく。

 

安危大臣在,不必淚長流。

国家安危の重大事については当局者たる大臣がおられることであるし、自分みたようなものがしじゅう涙を流しているにもあたるまい。 

○安危 国家安危の重大事。

○大臣 杜甫は759年間を辞して秦州に行ったのであるが、758年房琯一派ということで、朝廷内の賀蘭進明・第五琦・宦官らにはじき出され、華州司功参軍に左遷されたわけで、大臣が良い政治を行っているということは皮肉以外の何でもないことである。

 

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500永泰元年765-855 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一》(遠聞房太守) 杜甫index-15 765年 杜甫<855 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4220 杜甫詩1500-855-1015/250053

永泰元年765-97-7 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》 杜甫index-14 764年(丹旐飛飛日) 杜甫<856 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4225 杜甫詩1500-856-1016/250054

 

 

 

杜甫を理解するためには、以下の三作品は雑多遺不可欠のものである。

758年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(9) 杜甫index-14 764 房琯関連 1-(9) 杜甫<1502-9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4385 杜甫詩1500-1502-9-1048/2500

 

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

 

廣徳元年763 《祭故相國清河房公文-(13) 杜甫index-13 763年 杜甫<1501-13 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4215 杜甫詩1500-1501-13-1014/2500