(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

 
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766年大暦元年55-1-1 《別蔡十四著作 -#1》 杜甫index-15 杜甫<864-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5065
 杜甫詩1500-864-#1-1184/2500766年大暦元年55
-1-1

 

index-16 766年大暦元年55歲 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二○              文體:    五言古詩

詩題:    別蔡十四著作

作地點:              雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸      

交遊人物:蔡十四著作

 

 

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

#2

天地則創痍,朝廷當正臣。

異才復間出,周道日惟新。

使蜀見知己,別顏始一伸。

主人薨城府,扶櫬歸咸秦。

#3

巴道此相逢,會我病江濱。

憶念鳳翔都,聚散俄十春。

我衰不足道,但願子意陳。

稍令社稷安,自契魚水親。

#4

我雖消渴甚,敢忘帝力勤。

尚思未朽骨,復睹耕桑民。

積水駕三峽,浮龍倚長津。

揚舲洪濤間,仗子濟物身。

#5

鞍馬下秦塞,王城通北辰。

玄甲聚不散,兵久食恐貧。

窮谷無粟帛,使者來相因。

若憑南轅吏,書札到天垠。

 

 

『別蔡十四著作』 現代語訳と訳註解説

(本文)

別蔡十四著作

賈生慟哭後,寥落無其人。

安知蔡夫子,高義邁等倫。

獻書謁皇帝,志已清風塵。

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

 

(下し文)

(蔡十四著作に別る)

賈生 慟哭の後,寥落 其の人無し。

安んぞ知らん 蔡夫子,高義 等倫に邁ぐ。

書を獻じて皇帝に謁す,志 已に風塵を清めんとす。

流涕 丹極に灑ぎ,萬乘 為に酸辛なり。

 

(現代語訳)

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

蜀中転々圖 

(訳注)

別蔡十四著作

(著作郎の蔡某が長安に帰る時、その別れに作ったもの。)

○蔡十四著作 蔡著作は蔡著作郎で、著作郎は官名。

766年大暦元年55歳の作。

 

賈生慟哭後,寥落無其人。

むかし漢の賈誼が太中大夫として時事について心配して慟哭して以後、ひっそりしてその様な国家を憂ふる人は無いのである。

○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、時事、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。

 

安知蔡夫子,高義邁等倫。

意外にも、吾が蔡先生はその節義の高いことは、房琯グループの同輩の中の上に出るひとであった。

○邁等倫 なかまよりも上に出る。邁【まい】1 どんどん進んで行く。「邁進」2 他を越して先・上に出る。「英邁・高邁・豪邁・俊邁」

 

獻書謁皇帝,志已清風塵。

前の粛宗皇帝に上書したときから巳に天下の風塵を清める志があった。

○獻書謁皇帝 鳳翔の時の事をいふ、皇帝は粛宗なり。杜甫は房琯を擁護して逆鱗に触れた。

 

流涕灑丹極,萬乘為酸辛。

そうして涕を流して丹ぬりの御殿にそそいだので万乗の天子もそれがためにものが無しい思いをなされた。

○丹極 極は梁、棟木であり、丹ぬりのむなぎとは、美しい御殿をいう。丹庭、丹墀、宮殿の階上の庭、天子の宮殿。

○萬乘 天子。

○酸辛 つらく苦しい,悲しくつらい.悲しき思いをいだくこと。

函谷関長安地図座標001