杜甫《近聞》近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

 
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766年大暦元年55-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫詩1500-870-1203/2500766年大暦元年55-7

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

地點:   

臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍) 別名:臨洮            

隴山 (隴右道東部 無第二級行政層級 隴山) 別名:大隴山、六盤山、鹿盤山、鹿攀山         

崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)    

五原 ( 鹽州 五原)    

北庭都護府 (隴右道西部 無第二級行政層級 北庭都護府) 別名:北庭     

 

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

 

(近ごろ聞く〔永泰元年(765),郭子儀と回紇と約し,共に吐蕃を擊す。次年(766)二月,吐蕃來朝す,詩 其の事を紀す。〕

近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。

渭水 逶迤【いい】白日淨なり,隴山 蕭瑟 秋雲高し。

崆峒 五原 亦た無事なり,北庭 數しば關中の使い有り。

聞くに似たり贊普【さんぷ】更に親をむと求,舅甥【きゅうせい】和好 應に棄て難かるべし。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

 

『近聞』 現代語訳と訳註解説

(本文)

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

 

(下し文)

(近ごろ聞く〔永泰元年(765),郭子儀と回紇と約し,共に吐蕃を擊す。次年(766)二月,吐蕃來朝す,詩 其の事を紀す。〕)

近ごろ聞く 犬戎 遠く遁逃すと,牧馬 敢えて臨洮を侵さず。

渭水 逶迤【いい】白日淨なり,隴山 蕭瑟 秋雲高し。

崆峒 五原 亦た無事なり,北庭 數しば關中の使い有り。

聞くに似たり贊普【さんぷ】更に親をむと求,舅甥【きゅうせい】和好 應に棄て難かるべし。

 

(現代語訳)

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

 杜甫 体系 地図458華州から秦州

(訳注)

近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕

(昨年10月、郭子儀が吐蕃を破ったことで、2月に吐蕃が和睦に来朝したという最新の情報を聞いた)

安史の乱終結に功績のあった僕固懐恩は764年吐蕃と結託、吐蕃20万を涇州に来寇させ、長安を一時占領その年には引き上げたが、成都の西嶺の四州を完全に占領、永泰元年765年にはこれに会コツまで連合を組んで来寇したが、僕固懐恩病死に倚り、郭子儀がこの連合を分断し、ウイグルと郭子儀軍の連合に成功し、10月吐蕃軍を破った。これに倚り、766年大暦元年2月吐蕃が和睦の為、来朝したのである

題は詩初めの句の二字をとって用いたもの。

 

近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

犬戎 犬戎に等しい吐蕃国ということ。

牧馬 吐蕃は山岳が多く、青海の辺りで馬を放牧させることが富国強兵策であった。

不敢 その富国強兵策を和睦によって占領地を返還させたことによってできなくなったということ。

侵臨洮 涼州、臨洮の西域を侵寇、占領していた。

 

渭水逶迤白日淨,隴山蕭瑟秋雲高。

そういうことで、その地を源流にしてうねうねと流れ出る渭水の上には太陽のひかりが清らかにふりそそぐのであり、隴山のあたりも風が蕭瑟の演奏を聞くように吹き、秋空のように高く晴れ渡っている。

渭水 陝西(せんせい)省中央部を流れる川。甘粛(かんしゅく)省の渭源県に源を発して東流し、潼関(どうかん)の東方で黄河に合流する。長さ787キロ。流域の渭水盆地は中国古代文明の中心の一つ。長安八水の本流。

逶迤 ドグロを巻く。川の流れが蛇行して、うねうねと流れるさま。

隴山 中国,陝西・甘粛両省の境にある山。古来,長安から西域に通じる関門をなし,北西の異民族に対する隴関などの関が置かれた。

蕭瑟 ここを吹く風が蕭瑟の演奏を聞くようであること。

秋雲高 秋空のように高く晴れ渡っていること。季節が秋というのではない。

 

崆峒五原亦無事,北庭數有關中使。

西の崆峒山の辺りから、長安の五原の辺りまで侵寇占領されていたのが、また、平穏無事を取り返した、霊武から陰山山脈の南の北庭の辺りへは度々使者を派遣して守りを固めている。

崆峒 崆峒は山の名、甘粛省平涼府固原州の西百里(約8km)にある。杜甫《洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。」(己に喜ぶ皇威【こうい】の海岱【かいたい】を清【きよ】うするを、常に思う仙仗【せんじょう】の崆峒【こうどう】に過【よ】りしを。)

洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ992 杜甫特集700- 295

五原 長安附近の五つの原(高地)をいう、畢原(ひつげん)・白鹿原・少陵原・高陽原・細柳原のこと。○空壁墨 とりでだけがいたずらに存する、無用となり役に立たぬこと。〇八水 涇水・滻水・㶚水・澇水・滈水・灃水・潏水の八つを関内八水と称する。

北庭 霊武から陰山山脈の南の辺り、回紇の国境付近をいう。杜甫《秦州雑詩》「風連西極動、月過北庭寒。」(風は西極【せいきょく】に連なりて動き、月は北庭【ほくてい】を過ぎて寒し。)

秦州雜詩二十首 其十九 杜甫 第5部 <272> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1265 杜甫詩 700- 386

關中使 度々朝廷からの使者を派遣して守りを固めている。回紇とはこの時同盟を組んでいたので、使者を送って国境を固めた。

 

似聞贊普更求親,舅甥和好應難棄。

吐蕃の酋長どもが、和親講和をねがうというのは多分こういうことであろう、“叔父と甥とは仲良しでなければいけない、すなわち、まさにその血縁関係を棄ててはならん”ということなのだ。

贊普 吐蕃の酋長ども。

更求親 和親講和条約の締結。

舅甥 安史の乱の前と後に公主(先帝の娘)を嫁がせて叔父と甥、姻戚関係であるということ。
題新津北橋棲00