杜甫 《引水》  明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだ。

 
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766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    七言古詩

詩題:    引水

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。-1 

及地點:             

明月峽 (山南西道 渝州 巴縣) 別名:月峽     

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

雲 安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚     

奉 節 (山南東道 夔州 奉節) 別名:魚復     

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城     

 

夔州東川卜居図詳細 001 

引水

(竹樋で水をひく。)

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだが、奉節の魚復という湊町に移居してからは水の心配は少し省けて、下僕たちの力仕事も省けた。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

その一つに、白帝城の西に幾万本の竹林があって、そこの竹を伐採して、竹筒や樋にしてつなぎ合わせ、遠くから水をひいてきたので、のどが渇くことが無くなった。

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

自分の人生、こうして他郷に過ごすということは、生活することにおいて暮らし向きというものに難儀をするもので、心の中の様々な愁いを分量で測るとすれば、一斗の水を汲み、運ぶのが大変であったが、その水の両とは比べ物にならないほど大変な量の愁いである。

 

(引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。

雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。

人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

 

安史の乱当時の勢力図 

『引水』 現代語訳と訳註解説

(本文)

引水

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

 

 

(下し文)

(引水)

月峽 瞿塘 雲頂と作し,亂石 崢嶸【そうおう】俗 井無し。

雲安 水を酤うて奴僕悲しむ,魚復 居移して心力省く。

白帝城 西萬竹 蟠【わだかま】る,筒を接し水を引きて喉を乾かず。

人生 留滯 生理難し,斗水 何ぞ直【あた】らん百憂の寬なるに。

 

(現代語訳)

(竹樋で水をひく。)

明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。

だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだが、奉節の魚復という湊町に移居してからは水の心配は少し省けて、下僕たちの力仕事も省けた。

その一つに、白帝城の西に幾万本の竹林があって、そこの竹を伐採して、竹筒や樋にしてつなぎ合わせ、遠くから水をひいてきたので、のどが渇くことが無くなった。

自分の人生、こうして他郷に過ごすということは、生活することにおいて暮らし向きというものに難儀をするもので、心の中の様々な愁いを分量で測るとすれば、一斗の水を汲み、運ぶのが大変であったが、その水の両とは比べ物にならないほど大変な量の愁いである。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

引水

(竹樋で水をひく。)

766年大暦元年55山南東道夔州奉節にての作。

 

月峽瞿塘雲作頂,亂石崢嶸俗無井。

明月峡も瞿塘峡も雲がその剣閣山から巴山十二晩峰の頂を成しており、岩石固く乱れて起っていて、そこには井戸がないからのどが乾く。

月峽 山南西道渝州巴縣にある明月峽。

『奉贈射洪李四丈』

東征下月峽,掛席窮海島。

萬里須十金,妻孥未相保。

蒼茫風塵際,蹭蹬騏驎老。

志士懷感傷,心胸已傾倒。

東征 月峽を下る,席を掛け 海島に窮む。

萬里 十金を須いる,妻孥【さいど】未だ相い保たず。

蒼茫として風塵の際,蹭蹬【そうとう】して 騏驎老ゆ。

志士 感傷を懷【いたみ】み,心胸 已に傾倒す。

瞿塘 山南東道夔州瞿塘峽。瞿塘峡(くとうきょう)は中華人民共和国の長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。全長は8kmと三峡の他の峡谷に比べると際立って短いが、その川幅は三峡の中で最も狭く、風景の雄大さは三峡の中でも際立っている。瞿塘峡では長江の幅は広い所で150mを超えず、狭いところでは100mにもならない。この狭い川の北側には赤甲山、南側には白塩山があり、その高さは川面から1,200mに達し、間を通る船を圧迫するような急傾斜が聳え立っている。赤甲・白塩の両山に囲まれた門のような部分を夔門(きもん)と呼ぶが、「夔門天下雄」としてその雄大さは称えられている。

 

雲安酤水奴僕悲,魚復移居心力省。

だから、自分が療養している雲安では水を購入して呑まねばならんので、下僕の者たちはそれを悲しんだが、奉節の魚復という湊町に移居してからは水の心配は少し省けて、下僕たちの力仕事も省けた。

魚復 山南東道夔州奉節の別名を魚復という。

 

白帝城西萬竹蟠,接筒引水喉不乾。

その一つに、白帝城の西に幾万本の竹林があって、そこの竹を伐採して、竹筒や樋にしてつなぎ合わせ、遠くから水をひいてきたので、のどが渇くことが無くなった。

白帝城 白帝城は中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来。永安宮ともいう。 三国時代、蜀の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。

接筒引水 成都草堂での初めの年に、杜甫は土木工事をして引水工事をしている。

 

人生留滯生理難,斗水何直百憂寬。

自分の人生、こうして他郷に過ごすということは、生活することにおいて暮らし向きというものに難儀をするもので、心の中の様々な愁いを分量で測るとすれば、一斗の水を汲み、運ぶのが大変であったが、その水の両とは比べ物にならないほど大変な量の愁いである。

留滯 他郷に過ごすこと。

生理 生活することにおいて暮らし向きというもの。
蜀中転々圖