杜甫、奉節-2《客堂 -#1》(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。
766年大暦元年55歲-10-1奉節-2《客堂 -#1》杜甫index-15 杜甫<873> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5175
杜甫詩1500-873-1206/2500766年大暦元年55歲-10-1
年:766年大暦元年55歲-春
卷別: 卷二二一 文體: 五言古詩
詩題: 客堂
作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 奉節。*2
及地點:
少城 (劍南道北部 益州 成都) 別名:小城
雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚
客堂
(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)
憶昨離少城,而今異楚蜀。
おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。
舍舟復深山,窅窕一林麓。
さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。
棲泊雲安縣,消中內相毒。
雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。
舊疾甘載來,衰年得無足。
その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。
(客堂)
憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。
舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。
棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。
旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年 弱足を得たり。
#2
死為殊方鬼,頭白免短促。
老馬終望雲,南雁意在北。
別家長兒女,欲起慚筋力。
客堂序節改,具物對羈束。
#3
石暄蕨芽紫,渚秀蘆筍綠。
巴鶯紛未稀,徼麥早向熟。
悠悠日動江,漠漠春辭木。
臺郎選才俊,自顧亦已極。
#4
前輩聲名人,埋沒何所得。
居然綰章紱,受性本幽獨。
平生憩息地,必種數竿竹。
事業只濁醪,營葺但草屋。
#5
上公有記者,累奏資薄祿。
主憂豈濟時,身遠彌曠職。
循文廟算正,獻可天衢直。
尚想趨朝廷,毫髮裨社稷。
形骸今若是,進退委行色。
『客堂』 現代語訳と訳註解説
(本文)#1
客堂
憶昨離少城,而今異楚蜀。
舍舟復深山,窅窕一林麓。
棲泊雲安縣,消中內相毒。
舊疾甘載來,衰年得無足。
(下し文) #1
(客堂)
憶う昨 少城を離れしことを、而今【じこん】 楚蜀 異なれるを。
舟を捨つれば復た深山あり、窅宨【ようちょう】たり一林麓。
棲泊【せいはく】す 雲安県、消中にあって内は 相い毒す。
旧疾 甘んじて載せ来たり、衰年 弱足を得たり。
(現代語訳) #1
(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)
おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。
さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。
雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。
その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。
(訳注) #1
客堂
(飲み水で苦心した雲安から移居してその心情を述べる。)
○客堂 客寓している座敷、夔州奉節にあっての寓居をいう。66年大暦元年55歲-春。この前の詩《引水》(夔州最初の詩)を参考。
憶昨離少城,而今異楚蜀。
おもうに自分は前に成都の西の少城から離れて今では楚の雲安とも違う奉節に居場所がかわった。
○少城 秦の恵王(恵文王)は, 張儀と張若に命じて, 成都を築いたという。大城の西の城、張儀が築いたといわれるもの、大城に続いて“少城”をつくる。《九日奉寄厳大夫》「九日應愁思,經時冒險艱。不眠持漢節,何路出巴山。小驛香醪嫩,重岩細菊斑。遙知簇鞍馬,回首白雲間。」(九日厳大夫に寄せ奉る)九日応に愁思するなるべし 経時険難を冒す。眠らずして漢節を持す、何の路か巴山を出でん。
小駅香惨敗らかに、重巌細菊斑なり。造かに知る鞍馬を族らして、首を白雲の間に回らさんことを。
石犀行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -14-1) <376> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1815 杜甫詩1000-376-553/1500
○異楚蜀 ここ夔州奉節をいい、楚は雲安、蜀は成都をいい、異なる所へ住むことをいう。
舍舟復深山,窅窕一林麓。
さて舟をすておいて、陸にあがってみるとまた深山に囲まれており、おくふかい一つの林の麓の地に住むことになった。
○窅窕 おくふかいさま。
棲泊雲安縣,消中內相毒。
雲安県に泊まったのは澄んだのは、やむを得なかったのだ、というのも、持病の消渇の病が内部で自分を酷く苦しめたからだ。
○消中 病の名、消渇におなじ、多く食べれば数よ小便する病という。
舊疾甘載來,衰年得無足。
その持病である旧い疾をしかたなく船にのせてやってきたが、くわえて、老衰になって、足が弱ってきたうえ、きかなくなった。
○甘載来 甘はあまんじて、平気で。載来とは疾をのせてここにやって来たこと。
○得無足 無の字を弱に作っている本があるが、弱の字がまさっているもののごとくである。弱足は脚力のよわったことをいぅ、763年船で荊州に向おうと決意して宴会を開いてもらった。杜甫は、蜀中転々で梓州にいる時から、足が弱って、章彝県令から杖をもらっている。杜甫が東方の旅に出発することを申し出ると、彼らは送別会を開いてくれ、章彝は無事な旅を祈って、梓州特産の桃竹の杖を二本、杜甫に贈った。雲安では、歩行もかなり困難であったが少し良くなったので依拠したのだ。
719 《倚杖〔原注 鹽亭縣作〕》 蜀中転々 杜甫 <626> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3440 杜甫詩1000-626-882/1500五言律詩