杜甫 奉節-6 《最能行 -#1(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-14-1奉節-6 《最能行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<877> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5230 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-14-1奉節-6 《最能行 -#1》 杜甫index-15 杜甫<877>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5230

 

 

杜甫詩1500-877-1217/2500 766年大暦元年55-14首目-1 奉節での6作品目

 

夔州は今の四川省奉節県城の東十数里のところであり、三峡の一つの瞿塘峡かその近くにある。ここは唐時代山南東道に属して、都督府もあり、後漢の公孫述の築いた自帝城がすぐそばにあった。杜甫は大暦元年(766)春の末から、大暦三年(768)の春まで、約二年間をこの地で暮らした。もっとも彼はこの地において、たびたびその住居をかえている。夔州に着いた当初は、山中の「客堂」に寓居した。この「客堂」のようすは、彼の詩に詳しくのべられているが、山の傾斜に木を組んで架けた、鳥の巣のような小屋であった。その家のそばに、鶏を飼い、疏菜をうえた。そしてこの地の人の例に習って、長くつないだ竹の筒で、日中の泉から水を引いた。こうした仕事は、この他でやとった蛮族の下男の阿段がよくやってくれた。

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

766年大暦元年55-10-5 《奉節-2客堂 -#5》 杜甫index-15 杜甫<877 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5195

 

秋、西閣に移る。ここはそれまでの「客堂」にくらべればよほどましで、江に臨み、朱檻をめぐらした可成りな住居であった。彼はここにいて、ほど近い白帝城や、西郊の武侯廟、江中にある八陣図、城東の先主廟、そのほか灔澦堆・瞿塘峡など、夔州の名勝を訪ねては詩を作った。秋がすぎて、柏茂琳が夔州の都督となって以来、杜甫はこの人のたすけを得ることが多かった。その詩に「諸侯數賜金。」(諸侯数々金を賜う)(峡口二首の二)とあり、原注に「主人柏中丞,頻分月俸。」(主人相中丞、頻りに月俸を分つ)とうたっているとおりである。

 

杜甫は夔州に来て以来、さかんに詩を作った。なにしろその約二年間に、実に四百三十首あまりの詩ができている。それは彼の全集の三割弱に当たる数である。彼は蜀に入って後は、もはや国家の政治の上で、取り上げてくれる強力者がなく、また特に経済政策の面で自分との距離がありすぎ、最早、何らなすべき力のないことを感じていたと思われるが、その上、彼の知己であった厳武も死んでしまって、この菱州まで流れて来て、今はただ残された全精力をもって作詩に注ぎ、わが家の伝統である詩の道を、その子供に伝えようとしたものである。その詩はいよいよ格律きびしく、字句に鍛錬した結果、従来書き溜め、未完成であったものを手直しし世に出したことで、これほどの詞が出来上がったのである。そうはいうものの、その詩には、もはや以前のような、きびしい、露わな社会批判や、はげしい怒りは稀であった。むしろそれらは民に沈んで、ただ重い憂愁と、人間に対するほのぼのとした愛情とがしみじみうたいこめられるのであった。

 

同じころの儒教哲学を論じる作品。

縛雞行

小奴縛雞向市賣,雞被縛急相喧爭。

家中厭雞食蟲蟻,不知雞賣還遭烹。

蟲雞與人何厚薄,吾叱奴人解其縛。

雞蟲得失無了時,注目寒江倚山閣。

 

負薪行

夔州處女髮半華,四十五十無夫家。

更遭喪亂嫁不售,一生抱恨堪咨嗟。

土風坐男使女立,應當門女出入。

十猶八九負薪歸,賣薪得錢應供給。

 

至老雙鬟只垂頸,野花山葉銀釵並。

筋力登危集市門,死生射利兼鹽井。

面妝首飾雜啼痕,地褊衣寒困石根。

若道巫山女粗醜,何得此有昭君村。 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    樂府

詩題:    最能行

及地點:白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

江陵 (山南東道 荊州 江陵)              

瞿塘峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘     

虎鬚潭 (山南東道 荊州 江陵) 別名:虎鬚灘、虎鬚     

歸州 (山南東道 歸州 歸州)              

 

最能行

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行子。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

 

朝發白帝暮江陵,頃來目擊幸有徵。

瞿塘漫天虎鬚怒,歸州長年行最能。

之人氣量窄,誤競南風疏北客。

若道土無英俊才,何得山有屈原宅。

 

(最能行)

峽中の丈夫は【はなは】だ死を輕んず,公門に在るもの少く 水に在るもの多し。

富豪は錢に有りて大舸に駕す,貧窮なるは給を取りて子に行【や】る。

小兒は學問するに《論語》で止み,大兒は結束して商旅に隨う。

帆を攲【かたむ】け柁を側し波濤に入り,漩【せん】を【はら】いて濆を捎して險阻を無とす。

 

朝に白帝を發して暮には江陵なる,頃來 目擊するに幸に徵有り。

瞿塘 天に漫り 虎鬚怒り,歸州 長年に 最能なるを行【や】る。

此の 之れの人 氣量 窄【せま】し,誤って南風を競いして 北客を疏んず。

若し 土に英俊の才無しと道わば,何んぞ山に屈原の宅有ることを得んや。

 

夔州東川卜居図001

『最能行』 現代語訳と訳註解説

(本文)

 

(含異文)

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行【案:音葉,舟小如葉也。】子。

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

 

(下し文)

(最能行)

峽中の丈夫は【はなは】だ死を輕んず,公門に在るもの少く 水に在るもの多し。

富豪は錢に有りて大舸に駕す,貧窮なるは給を取りて子に行【や】る。

小兒は學問するに《論語》で止み,大兒は結束して商旅に隨う。

帆を攲【かたむ】け柁を側し波濤に入り,漩【せん】を撇【はら】いて濆を捎して險阻を無とす。

 

(現代語訳)

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

唐時代 地図山南 東・西道50 

(訳注)

最能行

(三峡を下る船頭の中で最も巧みに舟を操る物の歌)

最能行 (最も能く之を爲す)の義。

「帰州」は湖北省の西端にある今の姉帰県で、巫峡の下流、西陵暁の入り口にある。「南風」とは『左氏伝』襄公十八年の、晋の楽師の師曠が律管を吹いて南北の風の強さ(土地の勢力の強弱)を比較したときの言葉にもとづく。すなわち、「吾驟歌北風.又歌南風.南風不競.多死聲.楚必無功.」(吾、驟かに北風に歌い、又た南風に歌うに、南風は競わず、死声多し。楚は必ず功無けん」。ここでは南方の習俗をいう。「屈原」は戦国時代、楚の忠臣で、このあたりに故宅があったらしい。

 

峽中丈夫輕死,少在公門多在水。

この峡中の男たちは死を非常に軽く見ており、役人や土豪の家に雇われて働く者は少なく、江に出る者が多い。

公門 職事の門、しかるべき官吏、紳士の家をいう。

在水 水上で働く者のこと。

 

富豪有錢駕大舸,貧窮取給行子。

金のある者は大きな船を作ってそれに乗り、貧乏人は手間賃をもらって小舟をあやつる。

駕大舸 大きな船に乗る。

 木の葉舟で船出を強行す。

 

小兒學問止《論語》,大兒結束隨商旅。

子供の勉強は『論語』どまり、大きくなると仲間をつくって商人について行く。

論語 中国,儒教の根本文献。 20編。孔子とその門弟との問答を主とし,孔子の行為,その高弟の言葉を合せて記録しており,孔子の教えを伝える最も確実な古文献。短い文章の間に,孔子の人物,道徳説樹立の苦心,それぞれ個性のある弟子たちの勉学の様子などがまざまざと偲ばれる。

結束 ① ひもや縄などで結んで束にすること。② 志を同じくする者が団結すること。③ 衣服や甲冑(かっちゅう)を身に着けること。旅の身じたくすること。

 

攲帆側柁入波濤,撇漩捎濆無險阻。

帆を傾け柁をあやつって波涛に乗り入れ、引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして入る早瀬や湧き立ちぶつかり合ううずを巧みによけて、難所などないかのようだ。

攲帆側柁 帆のむきによって方向性を取るのと、楫に余て舟の向きを操る。

撇漩 引き込まれそうな水流の渦巻きを巧みにかわして進む。水底が深くなることでおこるもの。

捎濆 湧き上がりぶつかり立ちあがって起るうず。水底の暗礁によっておこるもので、この渦は転覆を起こしやすいものである。

無險阻 船頭の巧みさを表現するもので、どんな嶮しい難関、難所もないかのようだという意味。
蜀中転々圖