杜甫《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#1(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

 

 
 2015年1月10日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-22-1奉節-14 《巻15-61 楊監又出畫鷹十二扇 -#1》 杜甫index-15 杜甫<885-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5370 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-885-1-1245/2500766年大暦元年55-22-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二一        文體:  五言古詩

詩題:  楊監又出畫鷹十二扇

寫及地點:驪山 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:東山   

大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿

交遊人物:楊炎  當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

【同時期関連性のあるもの】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-41 毒熱寄簡崔評事十六弟(大暦元年初秋、残暑が厳しくたまらない暑さの中、従弟の評事官である徘行13の崔公輔より年少の徘行16の内弟崔某にこの詩を手紙として送った)

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-60 殿中楊監見示張旭草書圖(朝廷の殿中省の高官の楊が菱州の地に立ち寄った際、張旭の草書図を見せてくれたので、お礼に詠んだもの)【《毒熱寄簡崔評事十六弟》と同様、朝廷によろしく計らってくれという意味を含んだ詩である】

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-61 楊監又出畫鷹十二扇

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-62 送殿中楊監赴蜀見相公

<!--[if !supportLists]-->  <!--[endif]-->15-63 贈李十五丈別

 

 

楊監又出畫鷹十二扇#1

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

明公出此圖,無乃傳其狀。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

殊姿各獨立,清心有向。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

#2

天寒大羽獵,此物神俱王。

當時無凡材,百中皆用壯。

粉墨形似間,識者一惆悵。

干戈少暇日,真骨老崖嶂。

為君除狡兔,會是翻韝上。

 

(楊監 又た出畫鷹十二扇をだす。)#1

近時の馮紹正,能く鷙鳥の樣を畫く。

明公 此の圖を出だして,乃ち其の狀を傳うること無からん。

殊姿 各の獨立し,清 心 向うこと有り。

疾 禁す 千里の馬,氣 敵す 萬人の將。

憶う昔 驪山の宮,冬移す含元の仗。

#2

天 寒くして大いに羽獵【うりょう】す,此の物は 神と俱に王【さかん】にす。

當時 凡材無く,百中 皆 壯なるを用う。

粉墨 形似の間,識者 一つに惆悵す。

干戈 暇日少くし,真骨 崖嶂に老ゆ。

君が為に狡兔を除き,會【かなら】ず是れ韝上【こうじょう】に翻えらん。

 

(含異文)

近時馮紹正【:官少府監,善畫鷹鳥。】,能畫鷙鳥樣。明公出此圖,無乃傳其狀。殊姿各獨立,清心有向【清心有尚】。疾禁千里馬,氣敵萬人將。憶昔驪山宮,冬移含元仗。天寒大羽獵,此物神俱王。當時無凡材,百中皆用壯。粉墨形似間,識者一惆悵。干戈少暇日,真骨老崖嶂。為君除狡兔,會是翻韝上【會是飛韝上】。

 

京兆地域図002 

楊監又出畫鷹十二扇』 現代語訳と訳註解説

(本文)

楊監又出畫鷹十二扇#1

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

明公出此圖,無乃傳其狀。

殊姿各獨立,清心有向。

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

 

(下し文)

(楊監 又た出畫鷹十二扇をだす。)#1

近時の馮紹正,能く鷙鳥の樣を畫く。

明公 此の圖を出だして,乃ち其の狀を傳うること無からん。

殊姿 各の獨立し,清 心 向うこと有り。

疾 禁す 千里の馬,氣 敵す 萬人の將。

憶う昔 驪山の宮,冬移す含元の仗。
 

(現代語訳)

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

云亭 

(訳注)

楊監又出畫鷹十二扇#1

(殿中監楊君が叉十二枚のついたての鷹の画をだしてみせた。その事をよんだ詩。)

 朝廷の高官の楊殿中監が菱州の地に立ち寄ったもの。

屏風のように十二曲の衝立のよなもの。

 

近時馮紹正,能畫鷙鳥樣。

ちかごろ馮紹正といふ者が能く猛鳥のさまをえがいた。

馮紹正 開元八年に部侍郎となる。鷹、鶻雞、雉を画いた作品が多い。開元2 714年 正月、教坊を蓬莱宮側におき、玄宗みずから法曲を教授す、これを梨園の弟子という。天宝6 747年 天下に詔して、一芸に通ずるものを長安に集めて試験す。馮紹正がその中の一人であったこと。唐の張遠の《歷代名畫記唐朝上、巻九》に「馮紹正 開元中任少府監, 八年為部侍郎。 尤善鷹鶻雞雉, 盡其形態, 觜眼爪毛彩俱妙。曾於禁中畫五龍堂,亦稱其善,有降雲蓄雨之感。」とある。

鷙鳥 猛鳥。

 

明公出此圖,無乃傳其狀。

いま君がもちだした圖は馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝えるものである。

明公 楊殿中監のこと。

傳其狀 馮紹正の画の模写と添え書きで世に伝える。。

 

殊姿各獨立,清心有向。

非凡な姿が十二枚それぞれ濁立しており、鷹のすみきったこころはなにか目的物をねらっている様だ。

 神気のすみきっているをいう。

心有向 鷹の心が或る目的に向つていることをいう。

 

疾禁千里馬,氣敵萬人將。

この鷹のはやいことは千里の馬にも相当するであろう。鷹の意気は萬人の大勝にも匹敵するであろう。

疾禁 眼にもとまらないほど速く走ること。

 

憶昔驪山宮,冬移含元仗。

これにつけておもいだすは冬になると玄宗皇帝は含元殿から儀仗を驪山の華清官へおうつしになった。

驪山宮 驪山はいまの陝西省臨潼県の東南、つまり長安の東の郊外にある山に立てられた避寒の離宮、華清温泉宮。 
夔州東川卜居図001