杜甫 奉節-28-5 《巻15-65 種萵苣 -5この雑草は憎めない悪党ではある。せっかくのチシャを台無しにしたこのイヌビユの生命力にむしろ杜甫は驚いている、というかその活力にほどほど感心し脱帽しているかのようにさえ見える。

 
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杜甫詩1500-901-#5-1282/2500766年大暦元年55-36-4

 

 

 このチシャ畑は、畑地の可能性として挙げた「山腰の宅」の「隙地」に作られたのではなく、場所を「堂下」と明記するように、おそらくはその「山腰の宅」の軒先ほどの所に作られたのであろう。序文ではそれを「小畦」と呼んでいるが、「畦」は四周にアゼを築いて区切った長方形の灌漑菜園で、そこに灌漑すれば畑面全面に水を湛えることができるようになっている'⑸'。さらに「童を呼びて対して経始せしむ」「一両席ばかりの萵苣を隔て種え」などから推測すれば、そのような細長い畑を二人の僮僕にそれぞれ一つずつ連結させながら作らせたのかもしれない。『斉民要術』巻三、第十七、種葵には、他の作物にも広く応用できるとして「畦」の作り方が記されている(「凡そ畦種の物は、畦を治むることはみな葵を種うる法の如くす」)。その畦の大きさは「畦は長さ両歩、広さ一歩」である。もし杜甫がそのような大きさで作ったとすれば、二つの畦であわせて四畳半ばかりの広さになる。我々はそれぐらいのチシャ畑を想像すればよいだろう。

 

 もちろんここでは杜甫が実際に手に鋤を握って土を掘り起こしたりしているのではない。それはたまたま夔州での杜甫の健康が許さなかったからというのではない。漢代まではともかく六朝以降はいくつかの例外はあるかもしれないが、士大夫が実際に農具を手にとって農地に入り、埃まみれの汗を流すということはほとんど無かったであろう。彼らが農事を為すというときは農業を経営しているか、せいぜい田地まで出向いて農事を監督しているのである。ただ人によって実際の農事、農民との距離がひどく近かったり、遠かったりするのである。もちろん杜甫の場合は前者である。農民との距離の近さ遠さは単なる量の問題であって、読書人階層としては両者に質的な違いはないという人がいるかもしれない。しかしある距離まで近くなると、そこに思いがけない質的な違いが生じるようになる。本人が気づいていようといまいと。そういう場合が夔州時代の杜甫だと私は思っている。

 

 それはともかく杜甫のチシャ作りは大失敗に終わった。チシャ類の発芽は微妙で、二十五~三十度以内、光を通すぐらいの薄い覆土が条件とされる。暑すぎても土をかけすぎても芽は出てこない。杜甫がそのような専門的な技術を知っていたかどうかは分からない。ただ「事に随って其の子(たね)を蓺()う」というあたりは、そうした専門技術を意味しているようにも見える。

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二一              文體:    五言古詩

詩題:    種萵苣【案:萵苣,江東名萵筍。】

詩序:   

種萵苣#1并序

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文)

既雨已秋,堂下理小畦,

既に秋の長雨が降り終って、もう秋になったので、表座敷の下の方の小さなあぜ道の横に畝を作って畑をたがやした。

隔種一兩席許萵苣,向二旬矣,而苣不甲坼。

蓆三枚ほどの広さに萵苣菜と苦菜を間隔をきちんと取って植えた。かれこれ二十日になろうとするが、萵苣のめがはじけてこない

獨野莧青青【伊人莧青青】,

その横には野生の莧だけが青々と茂っている。【ここには人の手にかかったヒョウ菜が青々としている。】

傷時君子或晚得微祿,轗軻不進,因作此詩。

これを見て自分は今時の君子が、晩年になって少し俸禄を得て、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思ってこの詩を作ったのである。

(萵と苣を種う 并序)  -#1

既に雨あり 已に秋なり,堂の下に小畦を理め,一兩席 許【はか】り萵苣を隔種し,二旬に向う,而して苣 甲坼せず。

獨り野莧【やげん】青青たり【伊人莧青青】,傷む時の君子 或いは晚に微祿を得て,轗軻 進まざることを,因って此詩を作る。

 

 

種萵苣-#2

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

陰陽一錯亂,驕蹇不復理。

陰陽の二気が錯乱して、その二気の伸び方と縮み方との具合が、天の筋道と違ってしまったのだ。

枯旱於其中,炎方慘如燬。

ここに至るまでの間、日照り続きで枯れ死することが起こり、このあたりにおいては灼熱の暑さの酷いことは悲惨なものであった。

植物半蹉跎,嘉生將已矣。

植物は半ばダメになり、他の穀物もまさになくなろうとしている。

雲雷欻奔命,師伯集所使。

そこへ雨の神、風の神が自分の使役するもの、すなわち雲と雷をかき集めて、雲雷はたちまちその命を受けた様に暴れたのである。

-(萵と苣を種う)-#2

陰陽 一たび錯亂して,驕蹇 復た理あらず。

枯旱 其の中に於てす,炎方 慘 燬くが如し。

植物 半ば蹉跎たり,嘉生 將に已まんとす。

雲雷 欻【たちま】ち命に奔り,師伯 所使を集む。

 

-#3

指麾赤白日,澒洞青光起。

紅く白く輝いていた太陽は指図してこれを引き込ませてしまい、も薬やとした雲気の中に青い稲妻の光が起こりだした。

雨聲先已風,散足盡西靡。

まず先に風が吹き出し、つづいて雨の音が続いたのである。散らばる雨脚は、吹き付けられてすっかり、西の方へとなびく。

山泉落滄江,霹靂猶在耳。

山からあふれ出す泉は大きな河が落す水のようであり、それでも稲妻の響きは鳴りやまず耳に聞こえてくる。

終朝紆颯沓,信宿罷瀟灑。

そして次の日の朝は午前中かぜがゆるく吹き廻り、二晩経つと雨はやんでさっぱりとしてしまった。

-#3

赤白の日を指麾し,澒洞 青光起る。

雨聲 先って風 已み,散足 盡く西靡す。

山泉 滄江に落ち,霹靂 猶お耳に在り。

終朝 紆りて颯沓たり,信宿 罷みて瀟灑【しょうしゃ】たり。

#4

堂下可以畦,呼童對經始。

この時こそは、表座敷の下の畦に沿って畝を作るべきである、それで、子供や下僕を呼んで、耕し始めたのである。

苣兮疏之常,隨事蓺其子。

萵苣菜は野菜の中でも平凡なもので、別段の工夫もいるわけではない、事のついでに種をまくだけでよいのである。

破塊數席間,荷鋤功易止。

そこから三、四枚の蓆を敷いたように間をあけて耕すために、鋤でもって土を細かくするのであり、鋤を荷って働けばこの仕事も直におわることになるというものだ。

兩旬不甲坼,空惜埋泥滓。

十日間という旬が二回りたっても種がはじけて芽が出るはずなのに出て来ない、空しく惜しくも泥かすの中に埋もれたままなのだ。

-#4

堂下以って畦す可し,童を呼びて對して經始す。

苣兮【きょ・や】は疏の常なり,事に隨って其の子を蓺【う】う。

塊を破る數席の間,荷鋤 功 止み易し。

兩旬 甲坼せず,空しく惜む 泥滓【でいし】に埋めらるるを。

-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

これほど根強い莧の奴らでも秋の季節がないというわけではない。秋になりさえすれば、寒露に身を任せて枯れるのである。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

それがかえってこんなに早く地面から飛び出してきて繁りはびこって庭の扉近くまで生えて壊しそうなのであきれてしまうのである。

因知邪干正,掩抑至沒齒。

此の草の事から自分は分かったことがあり、邪なる者が、正なるものを侵されてしまえば、正なる物は押さえつけられてしまうということだ。

-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

#6

賢良雖得祿,守道不封己。

擁塞敗芝蘭,眾多盛荊杞。

中園陷蕭艾,老圃永為恥。

登于白玉盤,藉以如霞綺。

莧也無所施,胡顏入筐篚。

 

#6

賢良は祿を得ると雖も,道を守りて己を封ぜず。

擁塞【ようぞく】芝蘭を敗る,眾多 荊杞を盛んなればなり。

中園 蕭艾に陷いるは,老圃 永く恥と為す。

白玉の盤に登され,藉【し】くに如霞【じょか】の綺を以てするとき。

莧也【げんや】施す所無きに,胡【なん】の顏あってか 筐篚【きょうひ】に入る。

 

夔州東川卜居図詳細 001 

《巻15-65 種萵苣 -5

『種萵苣 并序』 現代語訳と訳註解説

(本文) –-#5

野莧迷汝來,宗生實於此。

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

翻然出地速,滋蔓庭毀。

因知邪干正,掩抑至沒齒。


(下し文) –-#5

野莧【やげん】汝來りて迷い,宗生すること 實に此にいてす。

此の輩 豈に秋無からんや,亦た寒露に委せ蒙らる。

翻然 地を出ずること速やかに,滋蔓 庭を毀【こぼ】つ。

因って知る邪 正を干【おか】す,掩抑【えんよく】沒齒に至る。

(現代語訳)
野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

これほど根強い莧の奴らでも秋の季節がないというわけではない。秋になりさえすれば、寒露に身を任せて枯れるのである。

それがかえってこんなに早く地面から飛び出してきて繁りはびこって庭の扉近くまで生えて壊しそうなのであきれてしまうのである。

此の草の事から自分は分かったことがあり、邪なる者が、正なるものを侵されてしまえば、正なる物は押さえつけられてしまうということだ。

00大豆畑 


(訳注) -#5

種萵苣-#5

(萵苣菜と苦菜を種える詩 并びにその序文であるが、 萵苣菜の芽が出ない、不遇の境遇であって栄進しないのと似ていることを傷ましく思うと詠う)

萵苣 萵苣菜と苦菜。

杜甫が自分の住まいの前に席数枚分の小さな区画の畑を作り、二人の使用人の僮僕を呼びつけて、土起こしから開始し、チシャ作りの手順通りに種まきを終えた一部始終を知ることができる。 

野莧迷汝來,宗生實於此。

野生のイヌビエ!どうしてお前がここに生えて來るのか、萵苣の場所で本家を差し置いて生えているのか自分は迷う。

野莧 野生のイヌビエ。イヌビユはヒユ科ヒユ属の一年草。畑、果樹園、空地、道端などで、夏期に生育する雑草。地域によっては、ノビユ、クサケトギ、ヒョー、キチガイ、ヤブドロボウ、オコリ、フシダガ、ヒエ、フユナ、ヨバイグサと呼ばれる。アマランサスは、ヒユ科ヒユ属の総称。アマランス。ヒユの仲間であるが、形態は多様である。和名に「ケイトウ」を含む種も多いが、ケイトウ は同科別属である。

宗生 本来この畑で映えるべきもの。萵苣菜のこと。

杜甫はイヌビユをあたかも悪党か何かのように思いなして、思いっきり罵倒している。杜甫ほどの人が、たかがイヌビユがごとき雑草に一対一で向かい合って、説教めいた言葉を投げかけている。どことなくおかしみがあるではないか。これは宋代の「俗を以て雅と為す」の先駆と言えるかもしれない。しかも経典に典故を持つような古めかしい正統的な雰囲気を漂わす古詩の文体の中でそれを行っているのだ。その意図された場違いの用法からもユーモアが表れている。

 しかしこの雑草は憎めない悪党ではある。せっかくのチシャを台無しにしたこのイヌビユの生命力にむしろ杜甫は驚いている、というかその活力にほどほど感心し脱帽しているかのようにさえ見える。

 

此輩豈無秋,亦蒙寒露委。

これほど根強い莧の奴らでも秋の季節がないというわけではない。秋になりさえすれば、寒露に身を任せて枯れるのである。

 

翻然出地速,滋蔓庭毀。

それがかえってこんなに早く地面から飛び出してきて繁りはびこって庭の扉近くまで生えて壊しそうなのであきれてしまうのである。

翻然 思ったことの敗退の減少をいう時の、~よりあえて、かえって。

滋蔓 しげりはびこる。

 

因知邪干正,掩抑至沒齒。

此の草の事から自分は分かったことがあり、邪なる者が、正なるものを侵されてしまえば、正なる物は押さえつけられてしまうということだ。

邪干正 邪が正をおかす。

掩抑 おさえつけられる。

萵苣が八世紀半、中国西南の一隅で、一読書人の手によって植えられ、その経緯が一篇の詩に仕立てられているという事実である。

 チシャは中国の在来種ではなく唐以前に西方から伝わったもので、文献上で「萵苣」の名が最初に現れるのは、陳蔵器の『本草拾遺』(七三九年)、王燾の『外台秘要方』(七五二年)あたりである。その後は唐末五代の韓鄂『四時纂要』、及び趙州従諗禅師「十二時歌」其六などに出てくる''。ただこれらはいずれも医書や本草書や農書や禅僧の偈の類で、特殊な文献である。つまり萵苣という野菜名は少なくとも唐代までは杜甫の詩以外に一般の詩文には出てこないのである。

 

杜甫は「苣は蔬の常なるものなり」と述べ、夔州の地で種を入手できている。それほど萵苣の普及が急速であったということもあろうが、杜甫が野菜に対して強い関心を持っていたということもできる。

 唐代までは特殊な分野の文献にしか見えなかったのに、宋代以降は例えば王之道の「追いて老杜の萵苣を種うる詩に和す」など普通の詩文でも現れるようになる。このことから、杜甫の詩が萵苣の名を一般の詩文のなかで広める功績があったとも言える。唐代までは萵苣は一般の読書人が詩文のなかに持ち込むような雅な言葉ではなかったであろう。普及はしていても新来の野菜である故に、古典にはその用例が無い。そういうものを詩の題材にすることを普通の詩人ならば躊躇する。だとすれば萵苣という一つの野菜を、わざわざ一篇の独立した作品に仕上げたという杜甫の創作態度が問題になってくる。こんなところにも杜甫の詩の作り方の革新性をうかがうことができる。
杜甫55歳756年作品