杜甫 奉節-30 《巻16-02 八哀詩八首 序》自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

 
 2015年2月18日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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182-#2 《巻24-03 題元丹丘潁陽山居 并序-#2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <182-#2> Ⅰ李白詩1404 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5568 
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35-(11) 《讀巻04-14 送孟東野序 -(11)§4-2》韓愈(韓退之)ID 801年貞元17年 35歳<1317> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5569 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-37奉節-30 《巻16-02 八哀詩八首 序》 杜甫index-15 杜甫<903-01> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5570 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
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766年大暦元年55-37奉節-30 《巻16-02 八哀詩八首 序》 杜甫index-15 杜甫<903-01> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5570

杜甫詩1500-903-01-1285/2500766年大暦元年55-37

 

 

16-02 八哀詩八首 幷序

16-03 八哀詩八首〔一〕贈司空王公思禮

16-04 八哀詩八首〔二〕故司徒李公光弼

16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武

16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

16-07 八哀詩八首〔五〕贈秘書監江夏李公邕

16-08 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

16-10 八哀詩八首〔八〕故右僕射相國張公九齡

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:  卷二二二        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈司空王公思禮

00

并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山       

九曲 (都畿道 河南府 九曲)        

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方   

梁州 (山南西道 梁州 梁州) 別名:漢中     

交遊人物:王思禮、哥舒翰、鄧景山。

 

 

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

安史の乱当時の勢力図 

 

『八哀詩八首 幷序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八哀詩八首 幷序

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。


(下し文)
(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

京兆地域図002

 

(訳注)

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

〇八哀 八人に対する哀情をのべたので八哀と題する。魏の曹植・玉粲、晋の張載に「七哀詩」がある。唐の呂向はいう、「呂向為之曰。七哀者。謂痛而哀。義而哀。感而哀。怨而哀。耳目聞見而哀。口嘆而哀。鼻酸而哀。」(痛んで哀み、義して哀浸み、感じて哀み、怨みて哀み。耳目聞見して哀しみ。口嘆して。鼻酸して哀しむ」と。これにより一哀にして七者の具わるものを七哀というと解くものがある。案ずるに此の解は古説であろうが、かく抽象的に説かれては七者の区別が明らかでない、昔時恐らく此の七種に該当する事実があってそれに各二詩をかけてこれを七哀と名づけたのであろう。現存するものについて見るのに曹植の七哀は独棲している思婦をいい、王粲は子を棄てる飢婦と、南方に避難する遊子の懐をいい、張載は洛陽の園陵の荒廃をいたむことと、遊子の故郷を思うこころとをいっている。曹稙らはただ数篇をとどめてこれに七哀の名をつけたので、一詩に七哀のそなわるものを七哀というとの説が生じたのであるが、本来は七首あるべきものであろう。もしそうだとすると、八哀は必ずしも杜の創格ではなく、前代の七を増して八としたものにすぎない。ただ八哀を以て八人の伝を韻語を以て叙したのは杜甫の創格といえよう。

 

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

○興起 感興がおこったのによって作りはじめることをいう。

○王公李公 王思禮、李邕。王思禮、(?-761年),高句麗人。唐朝將領。統後将軍、唐代の書家。李邕(り よう、678 - 747年)は、中国唐代の書家。広陵江都県(現・江蘇省蘇州市江都区)の人で、字は泰和。『文選』の注釈で有名な李善の子である。盛唐の名臣で、留台侍御史のときに譙王李重福を討伐して戦功を挙げた。玄宗のとき北海太守に任命されたので、世に李北海と呼ばれる。英才で文名高く、また行書の名手であった。碑文の作に優れ、撰書すること実に800本にのぼり、巨万の富を得たといわれる。晩年は唐の宗室である李林甫に警戒され、投獄され杖殺されて非業の死を遂げた。

○嘆旧 旧知についてなげく、厳武・李堆・蘇源明・鄭度らをさして旧という。

○懐賢 賢者をおもう、張九齢がごときは賢である。

○張相国 張九齢。張九齢 (ちょうきゅうれい)        678- 740

陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。

 

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

○前後存歿 或は存し或は沒すること相い前後する。

○不詮次 前後をはかって順序をさだめてはいない、詩の順序は存歿の順序によらないことをいう。
杜甫55歳756年作品安史の乱当時の勢力図