奉節-33-7 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#7》 杜甫 幕府正庁の客間に治安を計るためにかけてある地図を指して形勢をととのえ、他方には幕府軍中にも玉笙を吹く余裕がある。それにつけて、成都にはうまい酒が無いわけではないが、厳武公は国を憂える余り、深酔いをせず、ただ、ちびちびと傾けて大酒をしないのである。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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杜甫詩1500-905-7-1305/2500766年大暦元年55-42-7

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二 杜少陵集巻十六        文體:  五言古詩

詩題:  八哀詩八首:贈左僕射鄭國公嚴公武 并序

 

及地點:華山 (京畿道 華州華山) 別名:華、太華、華岳、西岳       

劍閣 (劍南道北部 劍州 劍閣)     

蕭關 ( 原州 蕭關)         

岐陽 (京畿道 岐州 岐陽)         

華陽 (山南西道 洋州 華陽)       

雪山 (劍南道北部 無第二級行政層級 雪山) 別名:雪嶺      

成都 (劍南道北部 益州 成都) 別名:蜀    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門    

衡州 (江南西道 衡州 衡州)

交遊人物:嚴武  詩文提及

 

 

八哀詩八首、贈左僕射鄭國公嚴公武 并序

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

 

八哀詩八首、贈左僕射鄭國公嚴公武#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、鄭國公であり死後、僕射をおくられた厳武公を思って作った詩)〔三〕

鄭公瑚璉器,華岳金天晶。

厳武公は孔子の云う魯国の君主の宗廟における瑚璉のごとき人で、華州華陰県の人で、華岳が西天に精光を放っている神のようなさまがある。

昔在童子日,已聞老成名。

公の父(挺子)は嶷然たる大賢人であったが、厳武公は其の子として生まれいでてまた清々しいほどの秀骨をもっていた。

嶷然大賢後,復見秀骨清。

厳武公の父の挺之は嶷然たる大賢人であったが、厳武公は其の子として生まれいでてまた清々しいほどの秀骨をもっていた。

開口取將相,小心事友生。

厳武公は口を開けば将相の地位を取るといっていたが、一方では謙虚に謹慎して友人につきしたがって事えたものだ。

鄭公は瑚漣の器、華岳 金天に晶たり。

昔 童子の日に在り、己に聞く老成の名。

嶷然たる大賢の後、復た見る秀骨の清きを。

口を開けば将相を取らんという、小心友生に事う。

#2

書百紙盡,落筆四座驚。

書籍を閲覧するときは百家を読みつくし、文筆を落とせば四座の人人を驚かした。

歷職匪父任,嫉邪常力爭。

いろいろの官職を歴任したが、父が高級官吏だった「親の七光り」的特典によるものではなく、邪悪をにくんではいつもつとめて其の事について論争しておった。

漢儀尚整肅,胡騎忽縱橫。

朝廷は平和で官吏の儀容もまだ整粛であったとおもっているときに、急に安禄山の叛乱がおこって安禄山配下の異民族の胡騎のものどもが縦横無尽にはびこるようになった。

飛傳自河隴,逢人問公卿。

この時西域の河西・隴右の方面から早打ちの伝騎がくると厳武公は逢う人ごとに公卿の様子はどうかとたずねられた。

 

書をして百尽く、筆を落とせば四座驚く。

職を歷るは父の任に匪ず、邪を嫉みて常に力争す。

漢儀 尚お整粛、胡騎 忽ち縦横なり。

飛伝 河隴よりす 人に逢えば公卿を問う。

 

#3

不知萬乘出,雪涕風悲鳴。

厳武公は万乗の玄宗天子が長安から逃げ出されたことを知らずにおられたのでそれを知って悲風の鳴りひびくところに西の方にむかって涙をおしぬぐわれた。

受詞劍閣道,謁帝蕭關城。

それから蜀の行幸におともをして剣闇の道で君の仰せごとをうけ、方向を転じてあたらしい粛宗皇帝に蕭関城で謁見をされた。

寂寞雲臺仗,飄颻沙塞旌。

唐王朝百万の軍隊が、三十万の安史軍に大敗して、時に蜀の行在では雲台の儀仗さびしく、霊武の方面では沙漠地にたてられた塞旌が飄颻とゆれてはためきつつあるだけであった。

江山少使者,笳鼓凝皇情。

霊武へは蜀の江山からの使者のくることもいとまれで、粛宗皇帝は胡笳と胡鼓、軍用楽器の音という寂しい音楽のうちに遂に皇位に即こうとの決心をされた。

#3

知らず万乗の出でしを、雪涕 風悲鳴す。

詞を受く 剣闇の道、帝に謁す 蕭関城。

寂寞たり 雲台の仗、飄颻たり沙塞の旌。

江山 使者少なし、笳鼓に皇情凝る。

 

#4

壯士血相視,忠臣氣不平。

されば壮士は義憤のために血涙をながしてみあい、忠臣はその意気において平らかならざるものがあった。

密論貞觀體,揮發岐陽征。

そこで、厳武公は給事中として密かに房琯らと先祖太宗皇帝の「貞観の治」の政治体をひいて論じたりして、こんどの粛宗皇帝の岐陽(鳳翔)におでましになって、長安攻略の御趣旨を発揮するようになった。

感激動四極,聯翩收二京。

厳武公の言は感激をあたえて四方の果てまでをば動かし、唐王朝軍は聯翩とつづいて進んで二京(長安・洛陽)を奪還して収約することになった。

西郊牛酒再,原廟丹青明。

長安の西郊では二度まで牛酒を以て軍隊を歓迎し、安史軍の手に焚かれた宗廟も二度めに修復されて画の具の赤や青の色飾りあざやかにかがやくに至った。

 

壮士 血 相視る、忠臣気平らかならず。

密かに論ず 貞観の体、揮発す 岐陽の征。

感激 四極を動かす、聯翩 二京を収む。

西郊 牛酒再びす 原廟 丹青明らかなり。

 

#5

匡汲俄寵辱,衛霍竟哀榮。

ただ厳武の官途には種種の変があった。諌臣として匡衡・汲黯に比すべき公は寵辱の運命俄かにかわり、武将として衛青・霍去病に比すべき公も生には栄えて死には哀しまれる結果となった。

四登會府地,三掌華陽兵。

厳武公は生涯のうちで四たび尹として省会の地の長官にのぼり、三たびまで節度使として華陽(蜀)の兵を掌られた。

京兆空柳色,尚書無履聲。

京兆の尹をやめたときはみやこには徒に柳色がのこり、諌官をやめたときは尚書の履声をきくことができなくなった。

群烏自朝夕,白馬休橫行。

御史たりしときには幕府に朝夕の烏があつまり、白馬に乗って任侠の士を気取って盗賊まがいに横行することができなくなった。

匡汲 俄に寵辱、衛霍 竟に哀栄。

四たび登る 会府の地、三たび掌る 華陽の兵。

京兆 空しく柳色あり、尚書 履声無し。

群烏 自ずから朝夕、白馬 横行することを休む。

 

#6

諸葛蜀人愛,文翁儒化成。

厳武公が蜀へ赴任してから、厳武公は諸葛孔明の如く蜀の人たちに愛せられ、また漢の文翁の如くその儒道の教化は成就した

公來雪山重,公去雪山輕。

厳武公が蜀に来たれば雪山の地方も重きを為し、厳武公が蜀を去れば雪山の地はこれがために重きを失うが如く厳武公の去来は蜀境の安危にかかるほどである。

記室得何遜,韜鈐延子荊。

厳武公の幕府の人材は、文学者としては記室として何選の如きものを得なければいけないし、兵法に通じたものとしては孫楚の如きものをまねきひくのである。

四郊失壁壘,虛館開逢迎。

騒乱がおこらぬから四方の郊には塁壁がなくなり、宏大な館を開いては賓客を逢迎する。

#6

諸葛 蜀人の愛,文翁 儒化成る。

公 來れば 雪山重く,公 去れば 雪山輕し。

記室 何遜を得,韜鈐【とうけん】子荊を延【ひ】く。

四郊 壁壘を失す,虛館 逢迎に開く。

 

#7

堂上指圖畫,軍中吹玉笙。

幕府正庁の客間に治安を計るためにかけてある地図を指して形勢をととのえ、他方には幕府軍中にも玉笙を吹く余裕がある。

豈無成都酒,憂國只細傾。

それにつけて、成都にはうまい酒が無いわけではないが、厳武公は国を憂える余り、深酔いをせず、ただ、ちびちびと傾けて大酒をしないのである。

時觀錦水釣,問俗終相並。

時としては自分の浣花渓草堂へ尋ねてきて錦江の魚釣りで水面を眺められるが、それとて兼ねて風俗を視察されるのであって単に遊びのためではない。

意待犬戎滅,人藏紅粟盈。

厳武公の意向では人ごとに腐るほど沢山の穀物を蔵せしめて犬戎である吐蕃の侵略を滅絶することを期待された。

以茲報主願,庶或裨世程。

かくして天子の御恩にむくいたいとかんがえ、それでどうか後世の法則となるような利益をはかりたいとおもうておられた。

#7

堂上 図画を指さし、軍中に玉笙を吹く。

豈に 成都の酒無からんや、国を憂えて只だ細傾す。

時に観る錦水の釣、問俗 終に相並す。

意は待つ 犬戎の滅するを、人は蔵す 紅粟の盈てるを。

茲の報主も願いを以て,庶わくば 或【つね】に 世程を裨くる。

#8

炯炯一心在,沉沉二豎嬰。

顏回竟短折,賈誼徒忠貞。

飛旐出江漢,孤舟輕荊衡。

虛無馬融笛,悵望龍驤塋。

空餘老賓客,身上愧簪纓。

蜀中転々圖 

 

 

 

『八哀詩八首、贈左僕射鄭國公嚴公武』 現代語訳と訳註解説
(本文) #7

堂上指圖畫,軍中吹玉笙。

豈無成都酒,憂國只細傾。

時觀錦水釣,問俗終相並。

意待犬戎滅,人藏紅粟盈。

以茲報主願,庶或裨世程。


(下し文)#7

堂上 図画を指さし、軍中に玉笙を吹く。

豈に 成都の酒無からんや、国を憂えて只だ細傾す。

時に観る錦水の釣、問俗 終に相並す。

意は待つ 犬戎の滅するを、人は蔵す 紅粟の盈てるを。

茲の報主も願いを以て,庶わくば 或【つね】に 世程を裨くる。

(現代語訳)
幕府正庁の客間に治安を計るためにかけてある地図を指して形勢をととのえ、他方には幕府軍中にも玉笙を吹く余裕がある。

それにつけて、成都にはうまい酒が無いわけではないが、厳武公は国を憂える余り、深酔いをせず、ただ、ちびちびと傾けて大酒をしないのである。

時としては自分の浣花渓草堂へ尋ねてきて錦江の魚釣りで水面を眺められるが、それとて兼ねて風俗を視察されるのであって単に遊びのためではない。

厳武公の意向では人ごとに腐るほど沢山の穀物を蔵せしめて犬戎である吐蕃の侵略を滅絶することを期待された。

かくして天子の御恩にむくいたいとかんがえ、それでどうか後世の法則となるような利益をはかりたいとおもうておられた。

唐時代剣南道北部075
(訳注) #7

八哀詩八首、贈左僕射鄭國公嚴公武 〔三〕

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、鄭國公であり死後、僕射をおくられた厳武公を思って作った詩)〔三〕

○贈左僕射鄭国公厳公武 厳武字は季鷹、葦州華陰の人、厳挺之の子である。7654月卒して左僕射を贈られる。765年永泰元年5478月杜甫忠州で『哭嚴僕射歸櫬』(嚴僕射櫬に歸るを哭す)「素幔隨流水,歸舟返舊京。老親如宿昔,部曲異平生。風送蛟龍雨,天長驃騎營。一哀三峽暮,遺後見君情。」(長安にほど近い華陰縣に歸葬するため、棺が忠州を通ったのを哭した詩である。)この時初めて、僕射という爵位を使っている。猶、厳武に関する杜甫の詩は、このブログで既に三十五首訳注解説して掲載しており、末尾に示す。

○鄭公 邸国公、武をさす。

 

堂上指圖畫,軍中吹玉笙。

幕府正庁の客間に治安を計るためにかけてある地図を指して形勢をととのえ、他方には幕府軍中にも玉笙を吹く余裕がある。

○堂上指図画 図画は成都幕府客間に掛けてあった地図をさすが、前に「奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻」の詩に示す地図をさす。

廣徳2年764-87 《奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻【案:得忘字。】》 杜甫index-14 764年 杜甫<789-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4630 杜甫詩1500-789-#1-1097/2500廣徳2年764-87

○吹玉笙 りっぱな笙を吹くとは軍政に余裕のあることをいう。

 

豈無成都酒,憂國只細傾。

それにつけて、成都にはうまい酒が無いわけではないが、厳武公は国を憂える余り、深酔いをせず、ただ、ちびちびと傾けて大酒をしないのである。

○細傾 ちびりちびりと傾けてのむ。酎酔に耽らぬことをいう。

 

時觀錦水釣,問俗終相並。

時としては自分の浣花渓草堂へ尋ねてきて錦江の魚釣りで水面を眺められるが、それとて兼ねて風俗を視察されるのであって単に遊びのためではない。

○錦水釣 錦江浣花渓の草堂における作者の釣魚。

○問俗 風俗を視察する。

○終相並 並は幷で観、釣とともに為すことをいう。以上「諸葛」の句からここまでの十四句は成都における厳武の生前を追憶する。

 

意待犬戎滅,人藏紅粟盈。

厳武公の意向では人ごとに腐るほど沢山の穀物を蔵せしめて犬戎である吐蕃の侵略を滅絶することを期待された。

○意 厳武のこころ。

○犬戎 吐蕃。

〇人蔵 人ごとに蔵蓄する。

○紅粟 紅は古来のくさりかけた色、多くの粟を久しく蔵しておく結果である。

 

以茲報主願,庶或裨世程。

かくして天子の御恩にむくいたいとかんがえ、それでどうか後世の法則となるような利益をはかりたいとおもうておられた。

○以茲 茲とは下の願をさす。

○報主願 「報主の願」とは天子の御恩に報いんとのねがいである。

○裨世程 裨は補益すること、世程は万世の法程、「漢書」(晋誼伝)にみえる。

 

#1

鄭公は瑚漣の器、華岳 金天に晶たり。

昔 童子の日に在り、己に聞く老成の名。

嶷然たる大賢の後、復た見る秀骨の清きを。

口を開けば将相を取らんという、小心友生に事う。

#2

書をして百尽く、筆を落とせば四座驚く。

職を歷るは父の任に匪ず、邪を嫉みて常に力争す。

漢儀 尚お整粛、胡騎 忽ち縦横なり。

飛伝 河隴よりす 人に逢えば公卿を問う。

#3

知らず万乗の出でしを、雪涕 風悲鳴す。

詞を受く 剣闇の道、帝に謁す 蕭関城。

寂寞たり 雲台の仗、飄颻たり沙塞の旌。

江山 使者少なし、笳鼓に皇情凝る。

#4

壮士 血 相視る、忠臣気平らかならず。

密かに論ず 貞観の体、揮発す 岐陽の征。

感激 四極を動かす、聯翩 二京を収む。

西郊 牛酒再びす 原廟 丹青明らかなり。

#5

匡汲 俄に寵辱、衛霍 竟に哀栄。

四たび登る 会府の地、三たび掌る 華陽の兵。

京兆 空しく柳色あり、尚書 履声無し。

群烏 自ずから朝夕、白馬 横行することを休む。

#6

諸葛 蜀人の愛,文翁 儒化成る。

公 來れば 雪山重く,公 去れば 雪山輕し。

記室 何遜を得,韜鈐【とうけん】子荊を延【ひ】く。

四郊 壁壘を失す,虛館 逢迎に開く。

#7

堂上 図画を指さし、軍中に玉笙を吹く。

豈に 成都の酒無からんや、国を憂えて只だ細傾す。

時に観る錦水の釣、問俗 終に相並す。

意は待つ 犬戎の滅するを、人は蔵す 紅粟の盈てるを。

茲の報主も願いを以て,庶わくば 或【つね】に 世程を裨くる。

#8

炯炯 一心在り,沉沉 二豎嬰る。

顏回 竟に短折す,賈誼 徒らに忠貞なり。

飛旐【ひちょう】江漢に出づ,孤舟 荊衡に輕んず。

虛しく馬融が笛を無くし,悵望す 龍驤の塋。

空しく餘す老賓の客,身上 簪纓に愧ず。