奉節-34-1 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -1 杜甫(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、汝陽王李璡を哀しんでよんだ詩。)〔三〕 汝陽王李璡は譲皇帝の御子で眉やひたいつきは、真に天人、そのものであった。

 

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#1奉節-34-#1 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -1》 杜甫index-15 杜甫<906-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5680 
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766年大暦元年55-43-1奉節-34-1 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -1 杜甫index-15 杜甫<906-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5680 杜甫詩1500-906-1-1307/2500766年大暦元年55-43-1

 

 

年:766年大暦元年55-

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:贈太子太師汝陽郡王璡

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              汝陽 (河南道 豫州 汝陽)    

交遊人物/地點:李璡

 

八哀詩八首 幷序

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、その序文をのべる。)

傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。

自分は各地で叛乱や盗賊のようなことがおさまらないのを傷んで、感興のわくまま王・李の二公からはじめて、旧友のことを嘆じたり、賢相のことをおもったりして相国張九齢までで終った。

八公前後存歿,遂不詮次焉。

その八人の諸公はたがいにあとさきになくなった。それでこの作はその生存の順序をかんがえてそのとおりに順序だてることはしなかったのである。

 

(八哀詩八首 幷びに序)

時の盗賊未だ息まざるを傷み、王公李公より興起し、旧を嘆じ賢を懐い、張相国に終る。

八公前後存歿す、遂に銓次せず。

 

汝陽王李璡を哀しんでよんだ詩。

八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、汝陽王李璡を哀しんでよんだ詩。)〔三〕

#1

汝陽讓帝子,眉宇真天人。

汝陽王李璡は譲皇帝の御子で眉やひたいつきは、真に天人、そのものであった。

虯須似太宗,色映塞外春。

虯のようなあごひげは太宗皇帝に似、その温和な顔色が、ひとたびうつれば塞外の地にも春の色が生じるほどであった。

往者開元中,主恩視遇頻。

そのむかし開元年中には天子(玄宗)の恩遇しきりで、天子が王におあいになる礼は群臣におあいになるとはちがい、目をかけよくもてなされた。

出入獨非時,禮異見群臣。

李璡王が宮中へ出入りするとき、李璡王だけは時節を論ぜずいつでも宮中へ出入ごかってということであったし、天子が王におあいになる礼は群臣におあいになるとは全くちがった禮であった。

愛其謹潔極,倍此骨肉親。』

天子は李璡王が親しき仲にも礼儀をわきまえ、非常に謹慎で潔白であるところを愛せられていっそう御血続き愛が親しみをまされた。

(太子太師を死後に贈られた汝陽郡王璡)

汝陽は譲帝の子なり、眉宇 真に天人なり。

虯髯 太宗に似たり、色映じて塞外春なり。

往者 開元の中、主恩 視遇頻りなり。

出入 独り非時、礼 群臣を見るに異なり。

其の謹潔の極まれるを愛し、倍【ますま】す 此に骨肉親しむ。』

 

#2

從容聽朝後,或在風雪晨。忽思格猛獸,苑囿騰清塵。

羽旗動若一,萬馬肅駪駪。詔王來射雁,拜命已挺身。』

#3

箭出飛鞚,上又回翠麟。翻然紫塞翮,下拂明月輪。

胡人雖獲多,天笑不為新。王每中一物,手自與金銀。』

#4

袖中諫獵書,扣馬久上陳。竟無銜橛虞,聖聰矧多仁。

官免供給費,水有在藻鱗。匪唯帝老大,皆是王忠勤。』

#5

晚年務置醴,門引申白賓。道大容無能,永懷侍芳茵。

好學尚貞烈,義形必沾巾。揮翰綺繡揚,篇什若有神。』

#6

川廣不可溯,墓久狐兔鄰。宛彼漢中郡,文雅見天倫。

何以開我悲,泛舟俱遠津。溫溫昔風味,少壯已書紳。

舊游易磨滅,衰謝增酸辛。』

 

河南省中南部 陸渾00 

『八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#1
八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

汝陽讓帝子,眉宇真天人。虯須似太宗,色映塞外春。

往者開元中,主恩視遇頻。出入獨非時,禮異見群臣。

愛其謹潔極,倍此骨肉親。』



(下し文)
(太子太師を死後に贈られた汝陽郡王璡)

汝陽は譲帝の子なり、眉宇 真に天人なり。

虯髯 太宗に似たり、色映じて塞外春なり。

往者 開元の中、主恩 視遇頻りなり。

出入 独り非時、礼 群臣を見るに異なり。

其の謹潔の極まれるを愛し、倍【ますま】す 此に骨肉親しむ。』

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、汝陽王李璡を哀しんでよんだ詩。)〔三〕

汝陽王李璡は譲皇帝の御子で眉やひたいつきは、真に天人、そのものであった。

虯のようなあごひげは太宗皇帝に似、その温和な顔色が、ひとたびうつれば塞外の地にも春の色が生じるほどであった。

そのむかし開元年中には天子(玄宗)の恩遇しきりで、天子が王におあいになる礼は群臣におあいになるとはちがい、目をかけよくもてなされた。

李璡王が宮中へ出入りするとき、李璡王だけは時節を論ぜずいつでも宮中へ出入ごかってということであったし、天子が王におあいになる礼は群臣におあいになるとは全くちがった禮であった。

天子は李璡王が親しき仲にも礼儀をわきまえ、非常に謹慎で潔白であるところを愛せられていっそう御血続き愛が親しみをまされた。


洛陽 函谷関002
(訳注) #1

八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、汝陽王李璡を哀しんでよんだ詩。)〔三〕

贈太子大師汝陽郡王璡 

汝陽王 李璡。容宗と粛明皇后との間に寧主意(初名は成器、開憲の子が進である。進は天宝三載に特進を加えられた。汝陽郡王李璡、天宝九載卒して太子大師を贈られる。

杜甫 《贈特進汝陽王二十韻》 

贈特進汝陽二十韻  杜甫27

杜甫「飲中八仙歌」

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』

汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

・三斗 飲む酒の量をいう。・朝天 朝廷へ参内すること。・麹車 こうじを載せた車。・移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。・酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。

飲中八仙歌 杜甫

 

汝陽讓帝子,眉宇真天人。

汝陽王李璡は譲皇帝の御子で眉やひたいつきは、真に天人、そのものであった。

〇汝陽 李璡をさす。

○讓帝子 譲帝は李憲、睿宗の子でその太子となる。玄宗が韋氏の乱を平げたので太子の位を玄宗に譲り寧王に封ぜられた。開元二十九年十一月に封じた、年六十三、譲皇帝と諡する。は憲の子である。

○眉宇まゆ、ひたいつき。

○天人天上界の人。

 

虯須似太宗,色映塞外春。

虯のようなあごひげは太宗皇帝に似、その温和な顔色が、ひとたびうつれば塞外の地にも春の色が生じるほどであった。

○虯須.虯のようなあごひげ。

○太宗 李世民。太宗は、唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。

○色映塞外春 顔色温和の状をいう。塞外は春のない地である、そこにも春が生ずるほどだというのはよほどのあたたかみがあることをいう。容貌の美と、気象の温和とでもって塞外に春を生ずる。

 

往者開元中,主恩視遇頻。

そのむかし開元年中には天子(玄宗)の恩遇しきりで、天子が王におあいになる礼は群臣におあいになるとはちがい、めをかけよくもてなされた。

○開元中 唐(618 - 907年)の第6代皇帝・玄宗李隆基。、開元(元年 - 29年)年間(713 - 741年)の治政であったす。貞観の治と並び称せられる中国史上の政治の安定期の一つで、唐は絶頂期を迎えた。

○主恩 天子の恩。

○視遇 めをかけよくもてなす。杜甫 《贈特進汝陽王二十韻》「聖情常有眷,朝退若無憑。」

 

出入獨非時,禮異見群臣。

李璡王が宮中へ出入りするとき、李璡王だけは時節を論ぜずいつでも宮中へ出入ごかってということであったし、天子が王におあいになる礼は群臣におあいになるとは全くちがった禮であった。

○出入 李璡が宮中へ出入りすること。

○非時 時節に制限がない。

○礼 玄宗が李璡を見るときの礼。

 

愛其謹潔極,倍此骨肉親。

天子は李璡王が親しき仲にも礼儀をわきまえ、非常に謹慎で潔白であるところを愛せられていっそう御血続き愛が親しみをまされた。

○愛其 其とは李璡をさす。

○謹潔 謹慎、潔白。

○骨肉親 血筋のあいだにおいて親しむ、譲皇帝と玄宗とは兄弟ゆえ、李璡は玄宗の甥にあたる人である。杜甫 《贈特進汝陽王二十韻》「精理通談笑,忘形向友朋。」とある。以上起十句は李璡王の人品と平時玄宗からの恩遇とをのべる。