奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

 

 
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766年大暦元年55-45-1奉節-36-1 《巻16-06 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明 -1 杜甫index-15 杜甫<908-#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5760

杜甫詩1500-908-#1-1323/2500766年大暦元年55-45-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故祕書少監武功蘇公源明

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:徐州 (河南道 徐州 徐州) 別名:彭城、徐方  

兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡        

泰山 (河南道 兗州 泰山) 別名:岱宗、岱、東岳        

萊蕪 (河南道 兗州 萊蕪)  

滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)  

長安 (京畿道 京兆府 長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都  

交遊人物:蘇源明              詩文提及

 

 

八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

武功少也孤,徒步客徐兗。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。

 

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人,歸來潛京輦。

 

射君東堂策,宗匠集精選。

制可題未乾,乙科已大闡。

文章日自負,吏祿亦累踐。

晨趨閶闔足蹋宿昔趼。

 

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉。

 

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,溟漲本末淺。

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸。

 

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝,事萬手搴。

垂之俟來者,正始徵勸勉。

不要懸黃金,胡為投乳

結交三十載,吾與誰遊衍。

 

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

 

詩文(含異文)

武功少也孤,徒步客徐兗【徒步寓徐兗】。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。

夜字照爇薪,垢衣生碧蘚【垢衣帶碧蘚】。

庶以勤苦志,報茲劬勞顯【報茲劬勞願】。

學蔚醇儒姿,文包舊史善。

灑落辭幽人【灑淚辭幽人】,歸來潛京輦。

射君東堂策【射策君東堂】【案:晉武帝詔諸賢良方正輩會東堂策問。】,宗匠集精選。

制可題未乾【制題墨未乾】,乙科已大闡【案:經策全得為甲科,策得四帖以上為乙科。】【休聲已大闡】。

文章日自負,吏祿亦累踐【掾吏亦累踐】。

晨趨閶闔,足蹋宿昔趼。

一麾出守還,黃屋朔風卷。

不暇陪八駿,虜庭悲所遣。

平生滿尊酒,斷此朋知展。

憂憤病二秋,有恨石可轉【有恨不可轉】。

肅宗復社稷,得無逆順辨。

范曄顧其兒,李斯憶黃犬。

祕書茂松意,溟漲本末淺。【案:以上二句一作:祕書茂松色,屢扈祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。篆刻揚雄流,溟漲本末淺。】【案:一本作:祕書茂松色,再從祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。篆刻揚雄流,溟漲本末淺。】【案:一本又作:祕書茂松色,屢侍祠壇前。前後百卷文,枕藉皆禁臠。制作揚雄流,溟漲本末淺。】

青熒芙蓉劍,犀兕豈獨剸【案:止兗切。】。

反為後輩褻,予實苦懷緬。

煌煌齋房芝【案:漢武帝有〈芝房歌〉,時宰相王璵以祈禱媚上,源明極言之。】,事萬手搴【案:音蹇。】【事終萬手搴】。

垂之俟來者,正始徵勸勉【正始貞勸勉】。

不要懸黃金【不惡懸黃金】,胡為投乳【案:音畎。】【胡為投亂】。

結交三十載,吾與誰遊衍。

滎陽復冥莫,罪罟已橫罥【案:音泫。】。

嗚呼子逝日,始泰則終蹇【始泰郎終蹇】。

長安米萬錢,凋喪盡餘喘。

戰伐何當解,歸帆阻清沔。

尚纏漳水疾,永負蒿里餞。

 


八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明秘書少監蘇源明を哀しんだ詩。)

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

 

(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

 

『八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

武功少也孤,徒步客徐兗。

讀書東岳中,十載考墳典。

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

負米晚為身,每食臉必泫。



(下し文)
(故秘書少監武功の蘇公源明)

武功少きや孤なり、徒歩 徐兗に客たり。

書を読む東岳の中、十載 墳典を考う。

時に萊蕪の郭に下る、飢えを忍ぶ浮雲の巘。

負米 晩に身の為にす、食する毎に臉必ず泫たり。

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。



(訳注) 八哀詩八首〔六〕故秘書少監武功蘇公源明

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔六〕死今は亡き秘書監で武功をたてられた蘇源明公を哀しんでよんだ詩。)

○故秘書少監武功蘇公源明 蘇源明、初めの名は預、京兆武功の人、秘書少監となって卒した。杜甫25736年から行動を共にする。

737年に「遊龍門奉先寺」書いて74130歳に足かけ4年飛んでしまう、その間に蘇預(源明)と斉趙に遊んでいるが、その間の行動部分を杜甫766年奉節での作「壮遊」で見ると次のとおりである。
放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした
春歌叢台上、冬猟青丘旁。
春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする
呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。
(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う
射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。
手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす
蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。蘇源明はこのあとも、杜甫の生涯の友のひとりとして交流する人物である。(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作

廣徳2年764-98-#5 《哭台鄭司蘇少監》 杜甫index-14 764年 杜甫<799ー#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4710 杜甫詩1500-799ー#5-1113/2500

等、杜甫は、数々の作品を残している。

 

武功少也孤,徒步客徐兗。

武功の蘇君は幼少のときに孤児になり、徒歩きして徐州兗州の地方に客となり、自分も斉趙に一緒に遊んでいる。

○武功 源明をさす、武功の人であるのによる。

○少也孤 わかき時にみなしごとなった。也の字は語助においたまでにすぎ121 ぬ。

○徒歩 かちあるきする、貧賎のため車馬に乗ることができないさま。

○客徐兗 徐州・兗州の地方に客寓する、徐州は江蘇省に、兗州は山東省にある。

 

讀書東岳中,十載考墳典。

東岳泰山の中の寺観で読書し、十年間かけて古典について考えた。

○東岳 秦山をいう。

○墳典 上古の書籍「三墳五典」をいう。「尚書」の孔安国序に、伏義・神農・黄帝の書之を「三墳」,是指中國最古老的書籍。といい、少異・顓頊・高辛・唐・虞の書之を「五典」というとみえる。また「左伝」にも見える。伏犧、神農、黃帝之書,謂之”三墳”,言大道也。《尚書序》稱:“伏羲、神農、黃帝之書,謂之《三墳》,言大道也。少昊、顓頊、高辛(嚳)、唐(堯)、虞(舜)之書,謂之《五典》”,“三五典”就是“三皇五帝之”。因此三墳即三皇之書,五典謂五帝之書。至於《八索》與《九丘》是指「八卦」與「九州之志」,一是《河圖》、《洛書》。

 

時下萊蕪郭,忍飢浮雲巘。

雲の浮かんでいる山に餞餓に堪え忍んで読書し、時おり萊蕪縣の城郭へおりてくるくらいのことであった。

○時下 下とは秦山から平地へおりてくることをいう。

萊蕪郭 萊蕪は県の名、長安四年に鹿県(今の奉安府莱燕県の西北四十里)の地に萊蕪縣を置く、という。

○浮雲 は山頂のこと、其の上に雲が浮かぶ、泰山の中の読書の処をさす。

 

負米晚為身,每食臉必泫。

晩に負米の労役をしたがそれは子路のごとく親を養うためでなく、親がいないから自己のためにしるので食事をするたびに頬が涙でぬれた。

○負米 孔子の門人子路は親を養おうとして百里の外まで米をせおっていった、米かつぎをして賃銭を得て生活の資とする。

○晩為身 晩とは晩年。中年をすぎてのちをいう。為身とは一身のためにすること、親を養うためではないことをいう。

○瞼必 瞼はほほ、はうるおうさま、涙でぬらすことをいう、親がいないためである。

 

 

 

 

 

 

 

 

蘇源明

  初名預,字弱夫,京兆武功人。生卒年均不詳,約唐玄宗750年天寶九年、760年前後在世。少孤,寓居徐、兗。工文辭,有名天寶間。及進士第,更試集賢院。累遷太子諭德,出為東平太守。又召為國子司業。安祿山陷京師,源明稱病不受偽署。肅宗時,擢知制誥,數陳時政得失。官終秘書少監。源明文有前集三十卷,《新唐書藝文志》傳於世。

 

台州は浙江省台州府。鄭虔、房琯、蘇源明、杜甫、厳武、鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔とは若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩 誠実な詩人杜甫特集 55

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1> kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1145 杜甫特集700- 346

蘇少監 蘇源明も若い時から交際している。房琯事件の際左遷されている。755年天宝十四年、杜甫は前年、山東から国子監司業(国立大学教授)として長安に帰ってきた蘇源明や、広文館博士の鄭度と、酒を都合しては文学論をたたかわせている。

後出塞五首 其一 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 95

壮遊』「放蕩斉趙間、裘馬頗清狂。春歌叢台上、冬猟青丘旁。呼鷹皂櫪林、逐獣雲雪岡。射飛曾縦鞚、引臂落鶖鶬。蘇侯拠鞍喜、忽如携葛彊。
それから斉趙の間を気ままに歩き、軽裘肥馬(けいきゅうひば)  放逸の限りをつくした。春は叢台の上で歌を吟じ、冬は青丘のかたわらで狩りをする。櫟(いちい)の林で鷹を呼び、降りつむ雪の岡で獣(けもの)を追う。手綱(たづな)を放して飛鳥をねらい、弓をしぼって鶖鶬を射落とす。友人の蘇預は鞍を寄せてよろこび、葛彊が山簡に従うような親しさである
一緒に旅をしたのは「蘇侯」と書かれ、杜甫の自注によると蘇預(そよ後に蘇源明)のこと。ふたりは「青丘」で狩りをした。「青丘」は地図に示す青州(山東省益都県)の丘。蘇預が馬を寄せてきて杜甫の弓の腕前を褒めるのを、杜甫は晋の将軍山簡(さんかん)が部下の葛彊(かつきょう)を褒めるのに例えて、親しみをあらわしている。
望嶽 杜甫 <7> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ98 杜甫詩 700- 7

 

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

杜甫が房琯との付き合いで経済学・政治学に長けていたことがよくわかるのは、房琯に関連した下記にしめす文章にはっきりと示されている。この文章について、経済学を理解していない人たちの訳は間違っているものが多く、このブログで、国内唯一の訳(20145/520146/21)を参考にされたい。

奉謝口敕放三司推問狀757年至徳二載 

乾元元年華州試進士策問五首

祭故相國清河房公文

廣徳2年764-88 《別房太尉墓》 杜甫index-14 764年閬州<764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4150 杜甫詩1500-764-1001/250052 

763年廣徳元年1501 《祭故相國清河房公文-(1) 杜甫index-13 763年祭故相國清河房公文-(1) 杜甫<765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4155 杜甫詩1500-765-1002/2500 

756年至徳元から二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(1) 杜甫index-5 756年房琯関連 1-(1) 杜甫<1601-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4345 杜甫詩1500-1601-1-1040/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯 房琯関連 1-(2) 杜甫index-5 756年 房琯関連 1-(2) 杜甫<1601-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4350 杜甫詩1500-1601-2-1041/2500

757年至徳二載 《杜甫と房琯房琯関連 1-(3) 杜甫index-14 764年房琯関連 1-(3) 杜甫<1601-3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4355 杜甫詩1500-1601-3-1042/2500

 

 

 

哭台州鄭司蘇少監 #1

(台州の司戸参軍鄭虔と秘書少監蘇源明の死を聞いてそれを哭して作ったもの。)764年廣德二年53 秋の作。

故舊誰憐我,平生鄭與蘇。

若い時からの旧友であるということであるが、誰が自分を気の毒がってくれたのかといえば、平生から、鄭虔と蘇源明である。

存亡不重見,喪亂獨前途。』

それがどうだ、今、私だけ存命であって、彼等は亡くなり、再び見ることはできない、これから先のことは自分ただ一人で喪亂のこの世を生きてゆくのだ。』

豪俊何人在,文章掃地無。

かれらが亡くなったことで、今の世にどこを探せば、豪俊なものがいるというのか、彼らが大切のしてきた文章というものは地を掃って亡くなってしまったといえるのである。

羇遊萬里闊,凶問一年俱。

自分はこうして万里の遠きに旅してきていて去年の房琯の死から一年の間に最も不吉な「凶」の報知を三通も一緒に受けたのである。

#2

白首中原上,清秋大海隅。

この老人の白髪頭を両雄の活躍した中原の上にやってみれば、清々しい秋空のもと、大海のかなたには蘇源明と遊んだ地が広がっている。

夜臺當北斗,泉路著東

夜になれば星がきらめく北斗七星の方角には蘇源明の墓があり、鄭虔の眠っている黄泉の国は東呉のはるか先にある。

得罪台州去,時危棄碩儒。

鄭虔は房琯一派ということで、罪を得て台州に貶め去られたし、その時には、朝廷には暗躍する宦官と利権を固執する賀蘭進明・第五琦らが讒言したもので大儒家を棄てられたのである。

移官蓬閣後,穀貴沒潛夫。

蘇源明は、秘書省に移官された頃に、賀蘭進明、第五琦の経済政策と貨幣乱造で米価が高騰し、社会の積弊を暴露して時政を攻撃したが、そのどさくさに巻き込まれ死亡した。

流慟嗟何及,銜冤有是夫。』

この両雄のためにいくら哭いても嘆いても追いつきはしない、冤罪や飢饉物価高騰というのは昔の話というだけのことではなく、これが現在にあったのだから嘆くよりないのである。』

#3

道消詩興廢,心息酒為徒。

これまでのことを考えてみるに、我々は世間で君子の道が減退していたので詩において自己の興を出し、心を休息させるためには酒の場において飲み仲間としていたのだ。

許與才雖薄,追隨跡未拘。

仲間から許されていた自分の文才は薄弱なものであると思っているが、仲間のみんなについて行くにあたっては未だかってない形跡にかかわるようなことはない精神的な交際であった。

班揚名甚盛,嵇阮逸相須。

仲間たちは、昔の班固・揚雄ほどの人たちであり、名声も盛んである、あるいは、竹林の七賢の嵆康・阮籍のように俗世からの隠遁したいことは互いを必要としたということのように互いになくてはならないものであった。

會取君臣合,寧銓品命殊。

あの時、朝廷に出仕するにあたって天子と家臣の間がぴったり合致しさえすればよいという点において、互いを尊重し合っていて、冠位の階級の高下の違いがあることなど眼中になかったのである。

#4

賢良不必展,廊廟偶然趨。

仕える中で賢良のものたちはその志が必ず述べることができはしなかった、そうした中で、朝廷に出ていて偶然とはいえ安禄さの乱がおこり、慌てふためいた。
勝決風塵際,功安造化鑪。

兵馬の塵が風雲のように広がった際でも、朝廷は勝つのである。征伐の戦の結果、天下は囲炉裏の中の火を消すように太平となった。

從容拘舊學,慘澹閟陰符。』

蘇源明はそのゆったりとした容貌に、以前先生であったという関係で聖天子の粛宗から相談される秘書少監にとりたてられたが、鄭虔の方はとても惨澹たるもので、安禄山の乱以前にも、儒者の将軍は、閑職しりぞけられ、兵法、兵略に長けていながら、書物の中にしまいこんで出す機会のないままであった。』

擺落嫌疑久,哀傷志力輸。

自分は蘇源明・鄭虔の両者を絶対的に信じているから初めから嫌疑など微塵も持ちはしなかった。両者の運命を見てからは自分の心も気力も哀傷にむかっていったのだ。

俗依綿谷異,客對雪山孤。

自分は今、ここ蜀にいるが、綿谷の異風俗により添うて生きており、そして、旅人として、孤立している雪山とは相対しているのである。

 

#5

童稚思諸子,交朋列友于。

自分は子供のころから蘇源明・鄭虔を慕っていたが、後に交友を重ね兄弟のような関係に列せられるようになった。

情乖清酒送,望撫墳呼。

それが今、ありがたいことに儒者が酌み交わす清酒をおくってもらうような厚情を担うことが出来なくなり、親しくその墳土をさすって呼びかけてみたいと思っても、その望みは絶望なのである。

瘧病餐巴水,瘡痍老蜀都。

持病の瘧が出て、治療方がた巴地の水に食し、人々は兵乱の傷を負うている間に、今度は蜀の都で老いつつあるのである。

飄零迷哭處,天地日榛蕪。

このように零落れては、蘇源明・鄭虔の両君を哭するにも、何処でこくし、涙を灌ぐのか迷うほどなのだ。天地は、日々に、榛蕪、荊棘が生え、雑草が生えるばかりであるからだ。

 

(台州の鄭司と蘇少監とを哭す) #1

故舊 誰か我を憐む,平生 鄭と蘇となり。

存亡 重ねて見ず,喪亂 獨り前途。』

豪俊 何人か在る,文章 地を掃うて無し。

羇遊 萬里 闊なり,凶問 一年俱にす。

#2

白首 中原の上,清秋 大海の隅。

夜臺 北斗に當る,泉路 東著なり。

罪を得て台州に去り,時危くして 碩儒を棄つ。

官を 蓬閣に移してより後に,穀 貴くして潛夫沒す。

流慟するも 嗟 何ぞ及ばん,銜冤 是れ有る夫【かな】。』

#3

道 消して詩 興を廢し,心息するは酒に徒と為ればなり。

許與 才 薄しと雖も,追隨 跡 未だ拘わらず。

班揚 名 甚だ盛んなり,嵇 阮 逸つ 相い須【ま】つ。

會【かばら】ず君臣の合するを取り,寧【なん】ぞ 品命の殊なるを銓【はか】らんや。

#4

賢良 必らずしも展べず,廊廟 偶然に趨【おもむ】けり。

勝は決す 風塵の際,功は安んず 造化の鑪。

從容 舊學に拘【と】う,慘澹 陰符閟【と】ず。』

嫌疑を擺落【はらく】すること久し,哀傷 志力 輸【いた】す。

俗は依る 綿谷の異なれるに,客は對す雪山の孤なるに。

#5

童稚より 諸子を思い,交朋 友于に列す。

情は乖く 清酒の送,望はゆ 撫墳の呼。

瘧病【ぎゃくびょう】巴水 餐し,瘡痍【そうい】蜀都に老ゆ。

飄零 哭處に迷う,天地 日【ひび】に榛蕪なり。』