杜甫 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)鄭虔公の地位は士大夫の間において髙いもので、一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

 

 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#1奉節-37-#1 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -1》 杜甫index-15 杜甫<909-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5795 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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766年大暦元年55-46-1奉節-37-1 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1 杜甫index-15 杜甫<909-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5795

杜甫詩1500-909-#1-1330/2500766年大暦元年55-46-1

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              滎陽 (都畿道 鄭州 滎陽)    

台州 (江南東道 台州 台州)              

四明山 (江南東道 越州 會稽) 別名:四明      

楢溪 (江南東道 台州 楢溪) 別名:歡溪         

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物:鄭虔    詩文提及

 

《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

#2

天然生知姿,學立游夏上。

神農極闕漏,黃石愧師長。

藥纂西極名,兵流指諸掌。

貫穿無遺恨,《薈蕞》何技癢。

#3

圭臬星經奧,蟲篆丹青廣。

子雲窺未遍,方朔諧太枉。

神翰顧不一,體變鍾兼兩。

文傳天下口,大字猶在榜。

#4

昔獻書畫圖,新詩亦俱往。

滄洲動玉陛,宣鶴誤一響。

自御題,四方尤所仰。

嗜酒益疏放,彈琴視天壤。

#5

形骸實土木,親近唯几杖。

未曾寄官曹,突兀倚書幌。

晚就芸香閣,胡塵昏坱莽。

反復歸聖朝,點染無滌蕩。

#6

老蒙台州掾,泛泛淛江槳。

覆穿四明雪,飢拾楢溪橡。

空聞紫芝歌,不見杏壇丈。

天長眺東南,秋色餘魍魎。

#7

別離慘至今,斑白徒懷曩。

春深秦山秀,葉墜清渭朗。

劇談王侯門,野林下鞅。

操紙終夕酣,時物集遐想。

#8

詞場竟疏闊,平昔濫吹獎。

百年見存歿,牢落吾安放。

蕭條阮咸在,出處同世網。

他日訪江樓,含悽述飄蕩。

taigennankin88 

 

『八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1
鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

孔翠望赤霄,愁思雕籠養【愁入雕籠養】。

滎陽冠儒,早聞名公賞。

地崇士大夫,況乃氣精爽【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

(下し文)
(故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の郭公虔)

鶢鶋 魯門に至る、識らず鐘鼓の饗。

孔翠 赤霄を望む、愁思す 雕籠の養。

滎陽 衆儒に冠たり、早く聞く名公賞すと。

地は崇し 士大夫、況や乃ち気の精爽なるをや。』

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。


洛陽 函谷関002
(訳注) 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔七〕今は亡き、故の著作郎・乾台州司戸・滎陽の鄭虔公を哀しんでよんだ詩。)

虔(てい けん、生没年不詳)は、唐代玄宗朝の学者。詩、書、画に長け、多くの著書をものしたが、貧困にあえいだ。のち、安史の乱において燕に降伏し、官職を受けたため、乱後に左遷された。杜甫と特に親交があった。

鄭州の滎陽の出身。地理や地形、地方の物産、各地の兵の数について詳しかった。高官であった蘇挺と年齢を越えた交わりを結び、その推薦を受けた。天宝元年 742年、協律郎に就任し、80以上の著書を書き上げたが、その著書に国史を私撰した部分があるという上書が出されたことで、10年間地方に流された。長安に戻ってからも、玄宗からその才能を愛され、広文館の博士に任命され、国子司業の蘇源明と交流があった。山水画、書道、詩作に長じ、玄宗にそれを献上し、「鄭虔三絶(詩、書、画)」と賞され、著作郎に移った。

天宝14載(755年)、安史の乱が勃発すると、燕の軍に捕らえられて洛陽に移され、安禄山側の水部郎中に任命された。密かに粛宗の唐側に通じたが、至徳2載(757年)、安慶緒の洛陽逃亡の際に、張通と王維とともに、燕に降伏した罪で宣陽里に閉じこめられた。3人とも画に長じていたため、崔圓によって、壁画を描かせられ、死罪を免れ、台州の司戸参軍事に落とされた。その数年後に死去している。

官職に就いた時でも貧困のままで、紙に不足することもあった。そのため、杜甫の詩に、「才名四十年、坐客寒にして氈(敷物)無し」と詠まれている。杜甫、李白ともに詩酒の友であったと伝えられる。

その画について、王維、畢宏とともに三絶と呼ばれた。晩唐の朱景玄も『唐朝名画録』において、第七位「能品上」に評価している。

台州鄭司 浙江省台州府。鄭司は房琯一党であり、房琯が左遷された際、杜甫,共に左遷された。杜甫は儒者学者である鄭虔と若い時から交際している。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其一 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩  55

奉陪鄭駙馬韋曲二首其一 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 75

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送鄭十八虔貶台州司、傷其臨老隋賊之故閲馬面別情見於詩 杜甫 700- 231

有懷台州鄭十八司虔 杜甫 <234-#1>1145 杜甫特集700- 346

 

鶢鶋至魯門,不識鐘鼓饗。

鶢鶋という海鳥が魯の城の東門へやってきたとき、鐘鼓の音楽を奏して饗応されてもそれがありがたいことだとはおもわなかったものだ。

鶢鶋至魯門 鶢鶋は海鳥の名、魯門は魯の城の東門である。

・「国語」(魯語上)にいう、「海鳥を鶢鶋と日う、魯の東門の外に止どまること二日、臧文仲国人をして之を祭らしむ。展禽日く越(迂)なるかな臧孫の政を為すや、海鳥至る、己れ知らずして之を紀り以て国典と為す、以て仁且つ知と為し難し、今玆海其れ災あらんか、」と。

・「荘子」(至楽)にいう、昔者海鳥魯郊に止どまる、魯侯御して之を廟に觴す、九韶を奏して以て楽と為し、大牢を具えて以て膳となす、鳥乃ち眩視憂悲、敢て一臠を食らわず、敢て一杯を飲まず、三日にして死す」、と。

・「左伝」(文公二年)「孔子が臧文仲を評して不仁なる者三、不知なるもの三、といっている中に鶢鶋を祀ったことを不知の一つとしている。

○不識鐘鼓饗 鳥の音楽を解さぬことをいう、事は上にみえる。

 

孔翠望赤霄,愁思雕籠養。【愁入雕籠養】

孔雀や翡翠はいかにうつくしい籠にいれて養われても、それを困ったことだとばかりかんがえて本心は、むかし棲んだ仙山の赤いそらばかりながめやっているというように、鄭虔公が官吏生活、高級官僚であっってもちょうどそんなものだろうと思った。

○孔翠 孔雀、翡翠。

○赤 仙山のようにあかいそら。

籠養 りっぱなかごのうちにあって養われること、鶢鶋孔翠をもって鄭虔をたとえている。

 

滎陽冠眾儒,早聞名公賞。【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

それに、滎陽の鄭虔先生は多くの儒者に冠たる人で、早くから君は当時の名公と賞賛された蘇娗公からも、未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったほどに評価されたと聞いていた。

○滎陽 地名、ここは房琯グループの鄭虔(八哀詩〔七〕)のことをいう。(八哀詩〔六〕)#7「滎陽復冥莫,罪罟已橫罥。」(滎陽の鄭虔公もまた冥莫の底に逝ってしまったが、それも仕掛けられた罪のあみによったものでもう涙を流して声を出して泣くだけだ。)

名公賞 

○名公賞 世に名のある人に賞讃されたこと。名公とは蘇頲をさす。作者の自注にいう、【自注:往者公在疾,蘇許公頲位尊望重,素未相識,早愛才名,躬自撫問。後結望年之分,遠邇嘉之。】【況乃氣清爽】【況乃精氣爽】

「往者公疾に在り、蘇許公頲、位尊く望重し、素と未だ相い識らず、早く才名を愛す、躬自ずから撫問す、臨むに忘年の契りを以てし、遠くに之を嘉す」とある。鄭虔が病気になったとき、蘇娗が未知の間柄であるにかかわらず鄭虔を見舞ったことをいっている。

 

地崇士大夫,況乃氣精爽。

鄭虔公の地位は士大夫の間に髙く一目置かれていた上に、鄭虔公の雰囲気はすぐれてさわやかなものであった。

○地崇 地位がたかい、著作郎であったことをいう。

○士大夫 士大夫の間においての意。

○気精爽 元気がすぐれてさわやかである、

*起八句は鄭虔の人品地位をのべる。