杜甫 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

 

 
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766年大暦元年55-47-1奉節-38-1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1 杜甫index-15 杜甫<910-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5835

 

 

奉節-38-1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1 杜甫index-15

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡【八哀詩八首:故右僕射相國曲江張公九齡】

詩序:    并序:傷時盜賊未息,興起王公、李公,歎舊懷賢,終於張相國。八公前後存歿,遂不詮次焉。

及地點:              碣石山 (河北道南部 平州 碣石山)    

荊州 (山南東道 荊州 荊州) 別名:郢門         

大庾山 (嶺南道東部 無第二級行政層級 大庾山) 別名:梅嶺、東嶠、大庾嶺        

交遊人物:張九齡              詩文提及

 

 

 

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

相國生南紀,金璞無留礦。

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土階を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

#2

上君白玉堂,倚君金華省。碣石崢嶸,天地日蛙黽。

退食吟大庭,何心記榛梗。骨驚畏曩哲,鬒變負人境。

#3

雖蒙換蟬冠,右地恧多幸。敢忘二疏歸,痛迫蘇耽井。

紫綬映暮年,荊州謝所領。庾公興不淺,黃霸鎮每靜。

#4

賓客引調同,諷詠在務屏。詩罷地有餘,篇終語清省。

一陽發陰管,淑氣含公鼎。乃知君子心,用才文章境。

#5

散帙起翠螭,倚薄巫廬並。綺麗玄暉擁,箋誄任昉騁。

自我一家則,未缺隻字警。千秋滄海南,名系朱鳥影。

#6

歸老守故林,戀闕悄延頸。波濤良史筆,蕪大庾嶺。

向時禮數隔,制作難上請。再讀徐孺碑,猶思理煙艇。

 

安史の乱当時の勢力図 

『八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

相國生南紀,金璞無留礦。仙鶴下人間,獨立霜毛整。

矯然江海思,複與雲路永。寂寞想土階,未遑等箕潁。


(下し文)
(故の右僕射・相国・曲江の張公九齢)

相国南紀に生まる、金璞 礦に留どまること無し。

仙鶴 人間に下る、独立霜毛整う。

矯然 江海の思い、復た 雲路と永し。

寂莫 土を想う、未だ箕頴に等しくするに遑あらず。

(現代語訳)
(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

張相国公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。



(訳注)

八哀詩八首:故右僕射相國張公九齡#1

(魏の七哀詩のように唐の八人の哀情をのべる、〔八〕今は亡き、故の右僕射で相国であった張九齢公を哀しんでよんだ詩。)

○故右僕射・相国・曲江張公九齢 張九齢(678 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。張九齢・『晩笑堂竹荘畫傳』韶州曲江(広東省)の出身。702年に進士に及第し、寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。のち、李林甫や楊国忠らと衝突し、荊州(湖北省)に左遷され、官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

 

相國生南紀,金璞無留礦。

張公は漢江と長江中下流域の南紀にあたる地に生まれている、そして、世に出るやすぐに評価を得たが、黄金やあらたま環の礦中に留どまるような人ではないということである。

○南紀 「詩経」(小雅四月)に

詩経下 (小雅 谷風之什 四月

四月維夏,六月徂暑。先祖匪人,胡寧忍予?

秋日淒淒,百卉具腓。亂離瘼矣,爰其適歸。

冬日烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害!

山有嘉卉,侯栗侯梅。廢爲殘,莫知其尤。

相彼泉水,載清載濁。我日構禍,曷雲能穀?

滔滔江漢,南國之紀。盡瘁以仕,寧莫我有。

匪鶉匪鳶,翰飛戾天。匪匪鮪,潛逃於淵。

山有蕨薇,隰有杞。君子作歌,維以告哀。

四月維れ夏、六月(りくげつ)徂暑(しよしよ)。

先祖人に匪ずや、胡寧(なん)ぞ予(われ)に忍べる。

秋日淒淒(せいせい)、百卉(ひやくき)具(とも)に腓(や)む。

亂離(らんり)して瘼(や)めり、爰(いづく)にか其れ適歸(てきき)せん。

冬日烈烈たり、飄風發發たり。

山に嘉卉(かき 善い木)有り、侯(こ)れ栗(くり)侯れ梅(ばい)。

廢して殘賊(ざんぞく)を爲し、其の尤(とが)を知る莫し。

彼の泉水を相(み)れば 載ち淸(す)み載ち濁る

滔滔たる江漢は 南國の紀(き)

盡瘁(じんすゐ)して以て仕ふ 寧(なん)ぞ我を有する莫きや

鶉(たん)に匪ず鳶(えん)に匪ず 翰(たか)く飛んで天に戾(いた)る

鱣(てん)に匪ず鮪(ゐ)に匪ず 潛んで淵に逃る

山に蕨薇(けつび)有り 隰(さは)に杞(きい)有り

とみえる。鄭箋に衆川を紀理して蕹滞せざらしむといっている、江漢の二水は南国の諸川を紀理するものであることをいう。従って江漢以南の地を南紀と称する。杜田はいう、説者是の詩を援き江漢を以て南紀となすは非なり、南紀とは分野の名なり、唐天文志にいう、「乃東循嶺僥,達東甌、閩中,是謂南紀,所以限蠻夷也。」(乃ち東は嶺僥に循い,東甌、閩中に達するまで,是を南紀と謂う,蠻夷を限る所以也。)と。張相国は曲江の人なり、曲江は君州に隷す、正に嶺僥甌越の地なり、大抵江漢より以南は皆之を南紀という、ひとり江漢のみに非ず、と。

金璞 こがね、あらたま。

○留 鉱石のなかにのこる、張九齢は幼にして聡敏、善く文をつづった、年十三、書を以て広州刺史王方慶をしのいだ、王方慶は大いに嗟賞しでいうのに、此の子は必ず能く遠きを致すであろうと。に留どまらぬとはそうしたことをさしていう。

 

 

仙鶴下人間,獨立霜毛整。

また仙鶴家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだといい、そして独立して白い毛を整えたごとくであった。

○仙鶴 張九齢の人品をたとえていう。また家伝によれば、張九齢の母は、張九齢が天より飛び下りて庭に集まるのを夢みて張九齢を生んだという。

○霜毛 白色のけ。

 

矯然江海思,複與雲路永。

それで張相国公は一方には矯然として高く江海を慕う心をもっておるが、他方には青空を凌いで遠く飛ばんとする心ももちあわせていいた。

○矯然 あがるさま。

○江海思 江海をしたう情。川の流れのように、滔々として生きてゆくという意。

○雲路 雲の横たわる天上の途、高く飛ぼうとする青雲の志の意のあることをいう。

 

寂寞想土堦,未遑等箕潁。

張相国公はさびしく過ぎ去った質僕の時代、堯舜の土堦三等の世を想いはするが、巣父・許由と匹敵するような志をもって箕山、頴水に隠れて暮らす暇はなかった。

想土階 上古賀撲の世を想う、司馬遷伝にいう、墨者も亦た堯舜をしたうと言う、其の堂高さ三尺、土培三等なりと。

等箕潁 箕頴は箕山と穎水、巣父・許由の隠れた地、等とは隠志をひとしくすること。

許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。

それを見聞きしていたやはり伝説の高士として知られる巣父は、まさに牛にその川の水を飲ませようとしていたが、「牛に汚れた水を飲ませるわけにはいかぬ」と立ち去ったという。

起八句は九齢の人品と済世の志のあったことをいう。