往在 -1 杜甫(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

 


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杜甫詩1500-911-1344/2500766年大暦元年55-48

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二二              文體:    五言古詩

詩題:    往在

及地點:              濯龍宮 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び, 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。

#2

合昏排鐵騎,清旭散錦幪

賊臣表逆節,相賀以成功。

是時妃嬪戮,連為糞土叢。

當宁陷玉座,白間剝畫蟲。

#3

不知二聖處,私泣百翁。

車駕既云還,楹桷欻穹崇。

故老復涕泗,祠官樹椅桐。

宏壯不如初,已見帝力雄。

#4

前春禮郊廟,祀事親聖躬。

微軀忝近臣,景從陪群公。

登階捧玉冊,峨冕耿金鐘。

侍祠恧先露,掖垣邇濯龍。

#5

天子惟孝孫,五雲起九重。

鏡奩換粉黛,翠羽猶蔥朧。

前者厭羯胡,後來遭犬戎。

俎豆腐膻肉,罘行角弓。

#6

安得自西極,申命空山東。

盡驅詣闕下,士庶塞關中。

主將曉逆順,元元歸始終。

一朝自罪己,萬里車書通。

#7

鋒鏑供鋤犁,征戍聽所從。

冗官各復業,土著還力農。

君臣節儉足,朝野歡呼同。

中興似國初,繼體如太宗。

#8

端拱納諫諍,和風日沖融。

赤墀櫻桃枝,隱映銀絲籠。

千春薦陵寢,永永垂無窮。

京都不再火,涇渭開愁容。

歸號故松柏,老去苦飄蓬。

choan9ryo 

 

『往在』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

往在

往在西京日,胡來滿彤宮。

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

解瓦飛十里,繐帷紛曾空。

疚心惜本主,一一灰悲風。


(下し文)
往在

往に西京の日に在り,胡來りて 彤宮に滿つ。

中宵 九廟を焚き,雲漢 之れが為に紅なり。

解瓦 十里に飛び,繐帷 曾空に紛たり。

疚心 本主を惜み,一一 悲風に灰となる。


(現代語訳)
(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。


長安城漢唐
(訳注)

往在

(天寶の末年のころの長安の出来事を追憶し、懐郷の年を述べたもの。766年大暦元年55の作)

往在 往とは、天寶の末年をいう。在はむかし。

*起句の二字を取って題とした。

自叙伝というべき1514壯遊》は少年壮年時、天下を周遊したことを述べ、且つ、老後の感慨を述べたものであったが、その続編というべき作品である。

同時期の自叙伝シリーズ

1.《巻1512 往在》

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5.《巻1515 遺懷》


 

往在西京日,胡來滿彤宮。

むかし、天寶の末年ころ、長安にいた時分、安史軍がいっぱい大明宮に入り込み略奪の限りを尽くした。

西京 長安。杜甫は756年秋に

杜甫は、王朝軍を建て直すことをしないでウイグルに援軍を求めたことを諌めている。>)の中に陥ったことをいう。蘆子関には、史忠明の軍が抑えており、霊武の郭子儀の朔方軍に粛宗が行在所を置いていた。杜甫は、家族を羌村において北に向かって蘆子関を前に盗賊に馬を奪われ、隠れているところを掴まった。このいきさつは、

王砅「送重表姪王秋評事便南海」 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 700- 131

彭衙行 杜甫 132 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132 -#1

塞蘆子 #1 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 195

を参照されたい。

胡來 えびすの塵のなかにおちる。安史軍(安禄山軍、史忠明軍、異民族軍、潘鎮諸公軍などこのブログでは、官軍・賊軍という表現はしない<官軍といわれる軍も、唐王朝の軍、当初は、朔方軍とウイグル軍主体であった。

滿彤宮 大極宮から紫宸殿に向かう庭、階、すべて朱塗りであったので、天子の宮殿をいう。

 

中宵焚九廟,雲漢為之紅。

かれらが夜中に九廟を焼き討ちしたので、天の河がこれがために真っ赤な夜空となった。

九廟 九廟, 帝王の宗廟を指して謂う。 古代より、帝王の立廟は祖先を祭祀す,太祖の廟有り及び三昭廟、三穆廟, 共に七廟である。 王莽 增して祖廟五と為す、親廟は四, 共に九廟とす。 後歷の朝は皆 此の制に沿う。 《漢書王莽傳下》「取其材瓦, 以起九廟。」とある。

雲漢 河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

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解瓦飛十里,帷紛曾空。

焼かれた瓦ははじけ、とびとけ落ちて、十里先まで飛び、神殿の細布のとばりは、空高く乱れて舞上った。

解瓦 大火の場合に強風に乗って散乱した瓦のこと言う。火事の様子が凄まじかったということ。

飛十里 1里は、576m56km飛んだということ。

繐帷 九廟の中に垂れていたあら絹の神坐の幄。

紛曾空 紛は乱れる状況、曾空は幾重にも高い空。火事のために空の色が、何段重ねに変わっている様子をいう。

 

疚心惜本主,一一灰悲風。

歴代の御位牌は一一物悲しく風に拝となって散るのを見て、余りの惜しさにどれほどの心を痛めたことだっただろうか。

疚心 心を痛め目る度合いが大きくダメージを受けたことをいう。

惜本主 本主はその廟に祀られる天子の御位牌のこと。惜しむは、この句以降の九廟が粗末にされ、高価なものは、持ち去られ、ほとんどの者は焼き払われてことを言う。

灰悲風 人の心を非常に悲しませて灰になっていった。

 

京兆地域図002 

潼関が陥落すると、河東、華陰、馮翊、上洛の防御史は、皆、郡を棄てて逃げた。所在の守兵も皆、逃げ散った。

   潼関が陥落した日、哥舒翰の麾下が来て急を告げた。玄宗皇帝はすぐには謁見せず、ただ李福徳ら将監牧兵を潼関へ派遣しただけだった。暮れに及んで、 平安火(平常であることを示す合図)が挙がらなかったので、玄宗皇帝は始めて懼れた。

 

甲午、登朝した百官は一、二割もいなかった。玄宗皇帝は勧政楼へ御幸して制を下し、親征の意思を表明したが、聞く者は誰も信じなかった。

   京兆尹の魏方進を御史大夫兼置頓使とする。京兆少尹の霊昌の崔光遠を京兆尹として、西京留守に充てる。将軍・辺令誠へ宮殿内のことを任せた。剣南節度大使に、急いで鎮へ赴き本道へ皇帝の後座所を 設けさせるよう命じた。

   この日、玄宗皇帝は北内へ移った。夕方になると、龍武大将軍・陳玄禮へ六軍を整列させ、厚く銭帛を賜下する。閑厩馬九百余匹を選んだが、 他の者は何も知らなかった。

 

乙未黎明、玄宗皇帝は貴妃姉妹、皇子、妃、主、皇孫、楊国忠、韋見素、魏方進、陳玄禮及び近親の宦官、宮人達と延秋門を出た。在外の妃、主、皇孫は、皆、これを委ねて去った。

 玄宗皇帝が左藏を過ぎる時、楊国忠は焼き払うように請い、言った。

 「何も、賊の為に守ってやる必要はありません。」

 玄宗皇帝は愁然として言った。

 「賊が来て宝物を得られなかったら、必ずや百姓から酷く掠奪する。これは賊へ与えてやった方がよい。わが赤子をこれ以上苦しめるな。」

   この日、まだ登朝する百官もいた。宮門へ至ると時を告げる音は平常通り。三衞もいつも通り警備に立っていた。ところが、門が開くと宮人が乱れ出てきて、中外が騒がしくなった。玄宗皇帝の居所が判らないのだ。 ここにおいて、王公、士民は四出して逃げ隠れた。

   山谷の細民は争って宮禁及び王公の第舎へ入り、金宝を盗む。ある者は驢馬に乗ったまま上殿した。また、左藏大盈庫を焼き払った。

 

 

安禄山は、百官、宦官、宮女らを探すよう命じた。数百人捕らえるごとに、護衛兵を付けて洛陽へ送った。車駕へ随従した王侯将相の家族が長安に残っていたら、嬰児まで誅殺した。

   陳希烈は、晩年になって寵を失っていたので玄宗皇帝を怨み、張均、張ジと共に賊へ降伏した。安禄山は、陳希烈、張ジを相として、他の朝士にも皆、官を授けた。

   ここにおいて、燕の勢いは大いに燃え上がった。西は隴を脅かし、南は江、漢を侵し、北は河北の半ばを奪う。しかしながら賊将は、皆租猛で遠略がなかった。 長安に勝つと、既に大願が成就したと思い、日夜酒に溺れる。女漁りや財宝集めに精を出して、 西進の意欲などなかった。だから玄宗皇帝は危険な目にも会わずに蜀へ入れたし、皇太子・李亨も追撃の憂き目に会わずに北行できた。

 

 

粛宗皇帝は大明宮へ入居する。御史中丞・崔器は、燕の官爵を受けた百官を含元殿の前に集め、頭巾と靴を脱がせて頓首謝罪させた。これを兵卒が取り巻き、 百官へ見物させる。

   太廟は燕軍に焼き払われていた。粛宗皇帝は素服にて廟へ向かって三日哭した。

 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-48 《巻1512 往在 -1》 杜甫index-15 杜甫<911> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5865 
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