舂陵行  元結  序  

癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

 

元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-1-1380/2500

 

 

 
 2015年5月24日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
244-#4 《巻11-13 陳情贈友人 -#4》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#4> Ⅰ李白詩1499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6043 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
67 -#7 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#7 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1412> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6044 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-#1-1380/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四04感恩多二首其二》『花間集』155全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6047 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

杜甫が766年大暦元年55-52

代宗 廣德元年(763):元結〈舂陵行(并序)〉○

元結(謝上表)  

元結(奏免科率状)  

代宗 廣德二年(764):元結〈賊退示官吏(并序)〉○

代宗 大曆二年(766):杜甫〈同元使君舂陵行(有序)〉○

○印はこのブログで訳注解説する。原文はすべてこの紙面に掲載

「舂陵行」は、元結(719721) の代表作とされる有名な作品で、中唐元和時期の新楽府に重大な影響を与えたと目されている。早くは、元結と同時代の大詩人杜甫(712770) が「舂陵行」に対して以下のような高い評価を与えている。

 

杜甫 《1939同元使君舂陵行》

序文

覧道州元使君結「舂陵行」兼「賊退後示官吏作」二首、誌之日、「當天子分憂之地、效漢官良吏之目。今盗賊末息、知民疾苦、得結輩十數公、落落然參錯天下為邦伯、萬物吐気、天下少安可待矣。不意復見比興體制、微婉頓挫之辭、感而有詩、增諸巻軸。

 

(道川元使君結の「舂陵行」と「賊退きて後に官吏に示すの作」との二首を覧て、之を誌して日く、「天子分菱の地に常たり、漢官良吏の目に效ふ。今盗賊未だ息まず、民の疾苦を知るもの、舘のごとき輩十軟公を得て、落落隼として天下に蓼錯せしめ邦伯と為さば、萬物束を吐き、天下少や安からんこと待つべきか。意はざりき復た比興の懐剣、微椀頓挫の詞を見んとは。感じて詩有り、諸を巻軸に増す。」

道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。自分は元結の「舂陵行」と「賊退キシ後官吏二示ス作」との二首を見てそのことについてかきしるす。元結は地方長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良更などの名目にならって行ないをした。今日盗賊はまだやまぬ、もし民のつらさをよく知っているものが元結のような役人を十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは期待し得る。それのみではない、彼がそのことを「比興体制」手法の詩をつくり、徴娩頓挫の詞を見せてくれたことは意外のことである。自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。大暦二年夔州にあっての作。

 

この評価によって、「舂陵行」は元結の作品の中で最も重要なものとなったと考えられる。

では、杜甫が言及した「比興體制」とはいったいどういう意味なのか。そして、「舂陵行」の「比興體制」は、中晩唐楽府、特に元和新楽府にどのような貢献をしたのだろうか。(杜甫 《巻19-39同元使君舂陵行》のブログで見てゆく。 

 

元結 (723年-772526日)中唐の詩人。次山,號漫郎、猗玕子,河南の魯山の人。伝記は同時代の顔真卿の墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。

天寶十二載(753年)進士。

 乾元元年(758) 蘇源明、元結を帝に薦む。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。

上元元年(760)年元結《篋中集》を編纂す。

上元二年(761),任山南道節度使參謀,守泌陽,

寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。

廣徳元年763年,出任道州刺史

杜甫が元結を高く評価した《1939同元使君舂陵行》において、元使君結としている。道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝を見てみると次の通り。(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

元結(723年-772526日),字次山,號漫郎、猗玕子,河南魯山人。唐朝進士、官員。

北魏常山王拓跋遵的十二代孫,尚書都官郎中、常山郡公元善禕的玄孫,朝散大夫、褒信令、常山公元仁基的曾孫,霍王府參軍元利貞的孫子,魏成主簿、延唐丞元延祖的兒子。天寶十二載(753年)進士。安史之亂,史思明攻克洛陽,他到長安向唐肅宗上書。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。761年,任山南道節度使參謀,守泌陽,保住了15座城。寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。763年,出任道州刺史,減輕賦,免除徭役。第二年,為容管經略使,幾個月,安定了容管八州。逝世後,追贈禮部侍郎。

二子元以方、元以明。元結有《元次山集》。

 

舂陵行  元結


癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。”於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。吾人詩家秀,博采世上名。

粲粲元道州,前聖畏後生。觀乎舂陵作,見俊哲情。

複覽賊退篇,結也實國楨。賈誼昔流慟,匡衡常引經。

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。何時降璽書,用爾為丹青。

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。淒惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。涼飆振南嶽,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。我多長卿病,日夕思朝廷。

肺枯太甚,漂泊公孫城。呼兒具紙筆,隱幾臨軒楹。

作詩呻吟墨澹字欹傾。感彼危苦詞,庶幾知者聽。

 

謝上表  元結

臣某言:去年九月敕授道州刺史,屬西戎侵軼,至十二月,臣始於鄂州授敕牒,即日赴任。臣州先被西原賊屠陷,節度使已差官攝刺史,兼又聞奏。臣在道路待恩命者三月,臣以五月二十二日到州上訖。耆老見臣,俯伏而泣;官吏見臣,已無菜色。城池井邑,但生荒草;登高極望,不見人煙。嶺南數州,與臣接近,餘寇蟻聚,尚未歸降。臣見招輯流亡,率勸貧弱,保守城邑,畬種山林,冀望秋後,少可全活。臣愚以為今日刺史,若無武略以制暴亂,若無文才以救疲弊,若不清廉以身率下,若不變通以救時須,一州之人不叛,則亂將作矣。豈止一州者乎?臣料今日州縣,堪徵者無幾,已破敗者實多;百姓戀墳墓者蓋少,思流亡者乃。則刺史宜精選謹擇,以委任之,固不可拘限官次,得之貨賄,出之權門者也。凡授刺史,特望陛下一年問其流亡歸複幾何;田疇墾辟幾何,二年問畜養比初年幾倍;可比初年幾倍,三年計其功過,必行賞罰,則人皆不敢冀望僥幸,苟有所求。臣實孱弱,辱陛下符節。陛下必當謹擇,臣固宜廢歸山野,供給井臣不任懇款之至,謹遣某官奉表陳謝以聞

 

奏免科率状  元結

〈當州準敕及租庸等使徵率錢物都計一十三萬六千三百八十八貫八百文〉〈一十三萬二千四百八十貫九百文嶺南西原賊未破州已前〉〈三千九百七貫九百文賊退後徵率〉

以前件如前。臣自到州,見租庸等諸使文牒,令徵前件錢物送納。臣當州被西原賊屠陷,賊停留一月餘日,焚燒糧儲屋宅,俘掠百姓男女,驅殺牛馬老少,一州幾盡。賊散後,百姓歸複,十不存一,資皆無,人心嗷嗷,未有安者。若依諸使期限,臣恐坐見亂亡,今來未敢徵率,伏待進止。又嶺南諸州,寇盜未盡,臣州是嶺北界,守捉處多,若臣州不安,則湖南皆亂。伏望天恩,自州未破以前,百姓久負租,及租庸等使所有徵率,和市雜物,一切放免。自州破以後,除正租、正庸及準格式合進奉徵納者,請據見在徵送,其餘科率,並請放免。容其見在百姓業稍成,逃亡歸複,似可存活,即請依常例處分。伏願陛下以臣所奏下議有司,苟若臣所見愚僻,不合時政,幹亂紀度,事涉虛妄,忝官屍祿,欺上罔下,是臣之罪,合正典刑。謹錄奏聞。

 

元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)


癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

逢太平,山林二十年。泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。忽然遭世變,數親戎旃。

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

 

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

2序 -2

於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。

#1

(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

#2

於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。刺史くにか罪を逃れんと欲す。若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

 

 

#3《舂陵行》  元結

軍國多所需,切責在有司。

有司臨郡縣,刑法競欲施。

供給豈不憂?征斂又可悲。

州小經亂亡,遺人實困疲。

#4

無十家,大族命單贏。

朝餐是草根,暮食仍木皮。

出言氣欲,意速行步遲。

追呼尚不忍,況乃鞭撲之!

郵亭傳急符,來往跡相追。

#5

更無寬大恩,但有迫促期。

欲令鬻兒女,言發恐亂隨。

悉使索其家,而又無生資。

聽彼道路言,怨傷誰複知!

#6

“去冬山賊來,殺奪幾無遺。

所願見王官,撫養以惠慈。

奈何重驅逐,不使存活為!”

安人天子命,符節我所持。

州縣忽亂亡,得罪複是誰?

#7

逋緩違詔令,蒙責固其宜。

前賢重守分,惡以禍福移。

亦雲貴守官,不愛能適時。

顧惟孱弱者,正直當不虧。

何人采國風,吾欲獻此辭。

 

 

『舂陵行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
元結
舂陵行  

#1 

癸卯,漫叟授道州刺史。

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”


(下し文) #1

癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。

道州は舊四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は賦税に勝へず。

官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。

皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。

(現代語訳)
(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。

山南東道 隨州 棗陽  別名-舂陵02


(訳注)

舂陵行  元結

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)#1序 

〇舂陵 道州の意に用いる。舂陵(n-22)は漢代の地名で棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵のその故城があったことであるが漢のとき、長抄の定王の子の異というものがここに封ぜられた。元結の「比興体制」手法で今の永州府寧遠県西北(下図-3)にあるをいう。 

 

癸卯,漫叟授道州刺史。

代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。

癸卯 代宗の廣德元年(763をいう。

○漫叟 元結の号称。

諸使 刺史の上司である、節度使その他。

 

道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦

道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千に足りなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。

○この四句は、騒乱に倚り、住民が逃散したことを言う。戦になれば、危険を感じて、家財道具、一切、扉の類まで、台八車に満載にして持って逃げるので、村は空っぽになる。大抵は、山に逃げる。

 

到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,

自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。

○徴求符牒 人民から税金を徴収する切手やかきつけ。

 

皆曰:“失其限者,罪至貶削。”

上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」というたのである。

○失其限 徴税の期限をあやまるもの、日限までに税をとりたて得ぬもの。

貶削 官職をおとしまたは削り去る。

 江南西道図05