元結 《賊退示官吏(并序)》#2  

逢太平,山林二十年。

泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。

忽然遭世變,數親戎旃

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

 

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元結〈賊退示官吏(并序)〉(搜韻)

 

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序#1

癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。

癸卯763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。

翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

 

癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。

#2

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

忽然遭世變,數親戎旃。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

#3

今來典斯郡,山夷又紛然。城小賊不屠,人貧傷可憐。

是以陷鄰境,此州獨見全。使臣將王命,豈不如賊焉。

#4

今彼徵斂者,迫之如火煎。誰能人命,以作時世賢。

思欲委符節,引竿自刺船。將家就魚麥,歸老江湖邊。

 

昔歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

 

今来 彼の郡を典るに、山夷 又た紛然たり。

城小にして賊屠らず、人貧にして傷みて憐れむ可しとす。

是を以て 隣境を陥るるも、此の州 独り全くせらる。

使臣 王命を将う、豈に賊にだも如かざらんや。』

 

今 彼の徴斂の者、之に迫ること火の煎するが如し。

誰か能く人命を絶ちて、以て時世の賢と作さん。

符節を委ねて、竿を引きて自ら船を刺さんと思欲す。

家を将て 魚麥に就き、老を江湖の辺に帰せん。』

 

賊退示官吏』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

逢太平,山林二十年。

泉源在庭,洞壑當門前。

有常期,日晏猶得眠。

忽然遭世變,數親戎旃

(下し文)
歳 太平に逢い、山林にあること 二十年。

泉源 庭戸に在り、洞壑 門前に当たる。

井税に 常期有り、日 晏くして猶お眠るを得たり。

忽然として 世変に遭い、数歳 親ら戎旃す。』

(現代語訳)
むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

れが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』



(訳注) #2

賊退示官吏

(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

・この楽府は序に「藷使何爲忍苦徴斂。」とあるとおり、諸使の徴求に対する憤りが中心になっている。詩の序文はまず、西原の賊が道州に侵入し、翌764年広德二年にも周辺の郡に侵入したが、道州はあまりにも悲惨な状況であったので、その賊ですら手を付けなかったと述べる。

 

・最初の西原の賊の侵入に関しては、「奏免科率状」に「臣當州被西原賊屠陥、賊停留一月餘、日焚焼糧儲居宅、浮掠百姓男女、駆殺牛馬老少、一州幾盡。賊散後、百姓歸復、十不存一。」と、より詳細に述べられ、翌広徳二年764の侵入に関しても「奏免科率等状」に指摘されている。序は続いて諸使の徴求の厳しさを述べるが、この部分は「舂陵行」に「郵亭傳急符,來往跡相追。更無寬大恩,但有迫促期。」とある部分に対応する。巌しい徴税は「奏免科率状」「舂陵行」制作後、西原蠻の賊の侵入時にも続いていたと思われる。

 

・やがて「奏免科率状」に対して恩赦が下り、「広徳二年賀赦表」(764)が書かれ、引き続き改元に伴なう恩赦に対応して「永泰元年賀赦表」(765)が書かれることになるのであるが、この「賊封示官吏」制作時点ではまだ厳しい徴税の符牒が届けられていたのであろう。

 

・「奏免科率等状」には、賊の侵入を防いでいた、とあるのに対して、序では「不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已」と表現されている。また「新唐書」巻二二二下、西原蠻列伝には、「餘衆復閑適州、刺史元結固守、不能下。進攻永州、陥那州、留敷H而去。(僚衆復た遠州を寓むも、刺史元結固く守れば、下す能はず。進みて永州を攻め、部州を陥れ、留ること救日にして去る。)」と、元結が鹿の侵入を防いだことを記す。おそらく西原蠻の賊の侵入を防いだのが事実であったのだろう。「敗退示官吏」序では、賊ですら哀れんだと記すことによって、民を哀れむこともなく、厳しく徴税を行なう諸使の苛酷さが一層際立つように描かれているのである。

 

逢太平,山林二十年。

むかしは太平の御代で自分は山林生活を二十年もした。

○太平 唐では、初唐の「貞観の治」があり、盛唐の「開元の治」があり、この事を指す。

貞観の治は唐(618 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世、政治的な理想時代とされた。僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。

この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をする(ほど治安が良い))との評がある。

開元の治は唐(618 - 907年)の第6代皇帝・玄宗李隆基の治世、開元(元年 - 29年)年間(713 - 741年)の政治を指す。貞観の治と並び称せられる中国史上の政治の安定期の一つで、唐は絶頂期を迎えた。しかし、後に玄宗が楊貴妃を寵愛し政治を放棄したため唐は混乱し、安史の乱が起こったため崩壊した。

 

泉源在庭,洞壑當門前。

そのころは湧き出る泉の水は庭戸のそばにあり、洞壑は門前にあたってよこたわってそんざいした。

〇泉源・洞壑 源泉はきちんと維持管理していないと奇麗な水にはならない。洞壑は洞穴と谷で僧侶・隠者の修行のための場所で、太平の時代には整備利用がなされていたことをいう。・この二句は、太平の頃の、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」の別表現である。

 

有常期,日晏猶得眠。

田地の税金をおさめるにはきまった時期があり、日が長けるまで眠っていることができた。

○井税 井字形の田地の税、単に田税の意。《魏書李世安傳》「井之興, 其來日久。」 唐錢起《觀村人牧山田》詩「貧民乏井 塉土皆墾鑿。」

 

忽然遭世變,數親戎旃。

それが急に世のなかの変事である安史の乱に遭遇して、一変したのであり、数年の間に軍事負担が自分のみならずすべての者におわされることになった。』

○世変 安・史の乱をいう。

○数歳親戎栴 文官である元結も、粛宗朝以来軍務にたずさわったことをいうが、それはすべての者に適用され駆り出されたことをいう。栴は反物のままを掛かげけた旗。旗は小吏を磨れば残ってゆくが、敗けると踏みにじられ焼却されるので、旗の製作が間に合わない状態をいう。ここでは、兵士の数が不足して行くのでその補充に徴兵条件が拡大されていくことをいう。