杜甫 《1939同元使君舂陵行》序  

覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

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杜甫詩1500-916-1-1380/2500

 

杜甫が766年大暦元年55-52

代宗 廣德元年(763):元結〈舂陵行(并序)〉○

元結(謝上表)  

元結(奏免科率状)  

代宗 廣德二年(764):元結〈賊退示官吏(并序)〉○

代宗 大曆二年(766):杜甫〈同元使君舂陵行(有序)〉○

 

「舂陵行」は、元結(723772) の代表作とされる有名な作品で、中唐元和時期の新楽府に重大な影響を与えたと目されている。早くは、元結と同時代の大詩人杜甫(712770) が「舂陵行」に対して以下のような高い評価を与えている。

 

この評価によって、「舂陵行」は元結の作品の中で最も重要なものとなったと考えられる。

では、杜甫が言及した「比興體制」とはいったいどういう意味なのか。そして、「舂陵行」の「比興體制」は、中晩唐楽府、特に元和新楽府にどのような貢献をしたのだろうか。

 

元結 (723年-772526日)中唐の詩人。次山,號漫郎、猗玕子,河南の魯山の人。伝記は同時代の顔真卿の墓碑銘に詳しい。不安な社会相を描いた作品にすぐれ,〈系楽府(けいがふ)〉12首は,白居易らの新楽府運動の先駆となった。そのうち〈舂陵行(しようりようこう)〉はことに有名である。また華美な今体詩を排撃し,古詩を賞揚する目的で《篋中(きようちゆう)集》(760)を編纂した。《元次山文集》10巻が伝わる。

天寶十二載(753年)進士。

 乾元元年(758) 蘇源明、元結を帝に薦む。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。

上元元年(760)年元結《篋中集》を編纂す。

上元二年(761),任山南道節度使參謀,守泌陽,

寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。

廣徳元年763年,出任道州刺史

杜甫が元結を高く評価した《1939同元使君舂陵行》において、元使君結としている。道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝を見てみると次の通り。(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

元結(723年-772526日),字次山,號漫郎、猗玕子,河南魯山人。唐朝進士、官員。

北魏常山王拓跋遵的十二代孫,尚書都官郎中、常山郡公元善禕的玄孫,朝散大夫、褒信令、常山公元仁基的曾孫,霍王府參軍元利貞的孫子,魏成主簿、延唐丞元延祖的兒子。天寶十二載(753年)進士。安史之亂,史思明攻克洛陽,他到長安向唐肅宗上書。被任命為左金吾衛兵曹參軍、監察御史。761年,任山南道節度使參謀,守泌陽,保住了15座城。寶應元年(762年),唐代宗即位後,為著作郎。追贈其父元延祖為左贊善大夫。763年,出任道州刺史,減輕賦,免除徭役。第二年,為容管經略使,幾個月,安定了容管八州。逝世後,追贈禮部侍郎。

二子元以方、元以明。元結有《元次山集》。

 

 

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二二        文體:  樂府

詩題:  同元使君舂陵行

詩序:  有序:覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

作地點:        夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵     

道州 (江南西道 道州 道州)       

衡山 (江南西道 衡州 衡山) 別名:衡岳、南嶽、衡嶽、南岳  

白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城  

交遊人物:元結  當地交遊(山南東道 隨州 棗陽)

 

同元使君舂陵行#1 序

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

 

 #2

遭亂髮盡白,轉衰病相嬰。

沈綿盜賊際,狼狽江漢行。

歎時藥力薄,為客羸瘵成。

吾人詩家秀,博采世上名。

#3

粲粲元道州,前聖畏後生。

觀呼舂陵作,欻見俊哲情。

復覽賊退篇,結也實國楨。

賈誼昔流慟,匡衡常引經。

#4

道州憂黎庶,詞氣浩縱橫。

兩章對秋月,一字偕華星。

致君唐虞際,純樸憶大庭。

何時降璽書,用爾為丹青。

#5

獄訟永衰息,豈唯偃甲兵。

悽惻念誅求,薄斂近休明。

乃知正人意,不苟飛長纓。

涼飆振南岳,之子寵若驚。

色阻金印大,興含滄浪清。

#6

我多長卿病,日夕思朝廷。

肺枯渴太甚,漂泊公孫城。

呼兒具紙筆,隱几臨軒楹。

作詩呻吟黑澹字攲傾。

感彼危苦詞,庶幾知者聽。

 

(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。

#2

亂に遭いて髮 盡く白し,轉た衰えて 病 相い嬰る。

沈綿たり 盜賊の際,狼狽して江漢に行く。

時を歎じて 藥力薄く,客と為りて 羸【るいさい】成れり。

吾人 詩家の秀にては,博く采る 世上の名。

#3

粲粲たり 元道州,前聖 後生を畏る。

舂陵の作を觀て,【たちま】ち見る 俊哲の情。

復た賊退の篇を覧るに、結や実に国楨なり。

賈誼 昔 流慟す、匡衡 嘗て経を引く。

#4

道州黎庶を憂う、詞気 浩として縦横なり。

両章秋月に対す、一字華星と偕なり。』

君を唐虞の際に致さん、淳朴 大庭を憶う。

何の時か 璽書を降して、爾を用いて丹青と為さん。

#5

獄訟永く衰息せん、豈に惟だ甲兵を偃せしむるのみならんや。

悽惻 誅求を念う、薄斂は 休明に近し。

乃ち知る正人の意、筍くも長纓を飛ばさざるを。

涼飆 南岳に振う、之の子 寵 驚くが若し。

色は阻す金印の大なるに、興は含む槍浪の清きを。』

#6

我 長卿が病多し、日夕 朝廷を思う。

肺枯れて渇すること太甚なり、漂泊す公孫城。

児を呼びて紙筆を具えしめ、几に隠【よ】りて 軒楹に臨む。

詩を作る 呻吟の内、墨淡くして 字 す。

感ず 彼が危苦の詞、庶幾【こいねが】わくは知者の聞かんことを。』

 

山南東道 隨州 棗陽  別名-舂陵02 

 

 

『同元使君舂陵行』#1 序 現代語訳と訳註解説
(
本文)


覽道州元使君結〈舂陵行〉,兼〈賊退後示官吏〉作二首。志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。不意復見比興體制,微婉頓挫之詞。」感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。


(下し文)
(元使君が《舂陵行》に同ず)#1

(序)

道州の元使君結が《舂陵行》,兼【およ】び《賊退きし後に官吏に示す》作二首を覽る。

之を志して曰く:「天子 分憂の地に當り,漢官 良吏の目に效う。

今 盜賊 未だ息まず,民の疾苦を知る,結が輩十數公を得て,落落然として 天下に參錯せしめ邦伯と為さば,萬物 氣を吐き,天下 少しく安からん。意わざりき復た「比興の體制」,「微婉 頓挫」の詞を見ん。」と。

感じて詩有り,諸を卷軸に增し,我を知る者に簡す,必ずしも元に寄せず。


(現代語訳)
(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕


(訳注)

同元使君舂陵行#1  

(道州刺史元結の「舂陵行」に和してつくった詩。その序文。)

○同 詩を和して作ることをいう。

○元使君結 道州刺史元結、使君は刺史の敬称。「新唐書」の元結伝にいう(節録、元結、河南の人、後魏の常山王遵が十五代の孫なり。字は次山、年十七、学に志し元徳秀に事う。天宝十二載進士に挙げらる。粛宗の時、史思明河陽を攻む、蘇源明、元結を帝に薦む。元結、時議三篇を上る。のち諾官を経、泌陽に屯して十五城を全くせし功を以て監察御史裏行となる。又た山南東道の来瑱が府に参謀たり。代宗立つや辞して武昌の樊上に帰り、著作郎を授けらる。益ます書を著わす。元子・浪士・漫郎・聱叟・漫叟等と号す。久しくして道州刺史を拝す。(刺史の時のことは「舂陵行」詩にみえる。)容管経略使に進む。母の喪にあい罷めて京都に還り卒す。年五十。礼部侍郎を贈らる。道州は湖南永州府に属する。

〇舂陵行 元結の作る所の詩。

舂陵行   

癸卯,漫叟授道州刺史。道州舊四萬餘,經賊已來,不滿四千,大半不勝賦。到官未五十日,承諸使征求符牒二百餘封,皆曰:“失其限者,罪至貶削。” 於戲!若悉應其命,則州縣破亂,刺史欲焉逃罪;若不應命,又即獲罪戾,必不免也。吾將守官,靜以安人,待罪而已。此州是舂陵故地,故作《舂陵行》以達下情。(癸卯の歳、漫叟道州刺史を授けらる。道州は四萬余戸、賊を経て以来、四千に満たず、大半は税に勝へず。官に到りて末だ五十日ならざるに、諸使の徴求、符牒二百余封を承く。皆曰く「其の限を失ふ者は、罪貶削に至る」と。於戲、若し悉く其の命に應ずれば、則ち州縣乱す。刺史くにか罪を逃れんと欲す。若し命に應ぜずんば、又た即ち罪戻を獲んこと、必ず免れざるなり。吾将に官を守り、静にして以て人を安んじ、罪を待つのみ。此の州は是れ舂陵の故地なり、故に「舂陵行」を作りて以て下情を達す。)

(舂陵すなわち道州のことについてよんだうた。)
代宗の広徳元年契卯の歳に漫(元結の号)は道州刺史を授けられた。道州はもと四万戸余りあったが賊乱をへてこのかたは四千にたりなくなり、その大半は税金をわりつけるにたえぬものである。自分は着任して五十日にならぬうちに上司から税金徴収の切手・かきつけ二百余通を申しつけられた。上司たちだれもが皆、「もし期限内に徴集項目の税金をあつめなければおまえは貶削の罪になる」とゆうたのである。ああ、もしみんなこの命令どおりにしたらすなわち、州や県は乱破してしまうであろう。そうなったら刺史はどこに罪をのがれるか、のがれ場所がないではないか。またもし命令に応ぜねとしたらまたすぐに罪科を得る、きっとそれはのがれられぬことである。どうせそうなのなら、自分としては官職を守って、安静を以て人民をおちつかせて、自己の罰せられるのを待とうとするだけのことだ。この道州はむかしの舂陵の地だ、それで「舂陵行」という詩をつくって下民の情を上たるものに通達するのである。

元結 《舂陵行(并序)》【5分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6045 杜甫詩1500-916-#1-1380/2500

江南西道図05 

覽道州元使君結《舂陵行》,兼《賊退後示官吏》作二首。

自分は元結の《舂陵行》と《賊退きし後官吏に示す作》との二首を見てそのことについて書き記す。

○賊退後示官吏作 元結の作る所の詩。

賊退示官吏(賊が退いたとき官吏に示した詩。)

序:癸卯,西原賊入道州,焚燒(一本無焚燒二字)殺掠,幾盡而去。明年,賊又攻永破邵,不犯此州邊鄙而退,豈力能制敵歟?蓋蒙其傷憐而已,諸使何為忍苦徵斂,故作詩一篇以示官吏。(癸卯の歳、西原の賊道州に入り、焚掠 幾ど尽して去る。明年 賊又た 永を攻め郡を破る、此の州の辺都を犯さずして退く。豈に力能く敵を制せん与、蓋し其の傷憐を蒙りし而己。諸使何 為れぞ苦しんで徴斂するに忍ぶや。故に詩一篇を作り、以て官吏に示す。)

西原蠻の賊でさえこんなであるのに、なんで上司の人たちは酷い取り立てをすることを無理にするのか。そういうことでわたしはこの楽府詩、一篇をつくって官吏にみせたのである。癸卯(763年広徳元年)の歳に西原蠻の酋長が賊となって道州に入り込み、ほとんどあらゆるものを焚いたり略奪・強奪して去った。翌二年に、その賊はまた永州を攻め、郡州を破ったが、この道州の辺鄙は犯すことなしに退却した。これは自分の力がこの敵を刺したわけではない、どういうわけか、その賊の方から気の毒がってくれたおかげである。

元結 《賊退示官吏(并序)》【4分割】 <杜甫詩1939同元使君舂陵行>関連 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6080

 

 

志之曰:「當天子分憂之地,效漢官良吏之目。

(異文):【效漢官良吏之日】【效漢朝良吏之目】【效漢朝良吏之日】。

元結はこの地方の長官として天子の憂いを分担する地位にあたり、むかし漢代の良吏などの名目にならって行ないをしている。

○志之 志は誌に同じ。

○天子分憂 天子の憂いを分担することをいう、地方官の職をいう。

○漢官良吏之目 漢官良吏とは漢代の循良の吏をいう、目は名目、前史にその名が列せられる。

 

今盜賊未息,知民疾苦,得結輩十數公,落落然參錯天下為邦伯,萬物吐氣,天下少安,可得矣。

(異文):【萬姓壯氣】【天下小安】【可得已】。

今日、盗賊事件はまだやむことはない、もし民のつらさをよく知っているものがおり、それが元結のような役人であって、それをを十数人も得てそれを天下のあちらこちらにまぜて散らばらして長官としておいたならば、万物も生気を吐き、天下もすこしは安泰になるであろうことは、期待し得るものになる。

○落落然 散布のさま。

○参錯 あちこちとまじえおくこと。

○邦伯 一地方の長官。

○吐気 生気をはきだす。

 

不意復見〈比興體制〉,〈微婉頓挫〉之詞。」

それのみではない、彼が作る詩が〈比興体制〉という手法でつくって〈微婉頓挫〉という表現法の詞を見せてくれたことは高く評価できる意外のものである。

比興體制 詩の手法である、体制内批判の手法の詩。比興【ひきょう】:① 他の物にたとえて、おもしろく言うこと。転じて、おもしろく興あること。また、そのさま。② 《「ひきょ(非拠)」の変化した語。一説に「ひきょう(非興)」の意とも》㋐不都合なこと。不合理なこと。また、そのさま。㋑いやしいこと。つまらないこと。また、そのさま。㋒臆病なこと。卑怯なこと。また、そのさま。

微婉頓挫 徴腕はおくふかくしなやか。頓挫は激揚した力を急に停止させること。比興手法の表現の仕方をいう。

 

感而有詩,增諸卷軸,簡知我者,不必寄元。

【不必寄云】。

自分はそれでこのことについて感じてこの詩をつくって巻軸につけ加えた。そうしてこれを自分の知己によせるのである。必ずしも元結本人に寄せなくともいいつもりである。〔大暦二年夔州にあっての作。〕

○増諸巻軸 自分の巻軸に加えて保存する。

○簡 よせること。

○知我者 自分の本心を知るもの。