杜甫  李潮八分小篆歌 -#1  

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

秦有李斯漢蔡邕,中間作者寂不聞。
(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。) 大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

 

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杜甫詩1500-918 -#1-1397/2500

年:766年大暦元年55-53

卷別:    卷二二二              文體:    樂府

詩題:    李潮八分小篆歌

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:嶧山 (河南道 兗州 嶧山)    

蘇州 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:郡、           

巴東 (山南東道 歸州 巴東)             

交遊人物:李潮    當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

韓擇木              詩文提及

蔡有鄰              詩文提及

 

 

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

秦有李斯漢蔡,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

#2

嶧山之碑野火焚,棗木傳刻肥失真。

苦縣光和尚骨立,書貴瘦硬方通神。

惜哉李蔡不復得,吾甥李潮下筆親。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

#3

開元已來數八分,潮也奄有二子成三人。

況潮小篆逼秦相,快劍長戟森相向。

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

#4

郡張顛誇草書,草書非古空雄壯。

豈如吾甥不流宕,丞相中郎丈人行。

巴東逢李潮,逾月求我歌。

我今衰老才力薄,潮乎潮乎奈汝何。

 

(李潮が八分小篆の歌)

が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己にる、大小 二より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず。

 

山の碑は 野火焚く、窮木の伝刻肥えてを失う。

苦県の光和尚お骨立す、書は痩硬なるを貴ぶ方に神に通ず。

惜しい哉 李復た得ず、吾が甥 李潮 筆を下して親しむ。

尚書韓擇木,騎曹蔡有鄰。

 

開元 己来 八分を数うれば、潮や二子を奄有して三人と成る。

況や潮小策秦相に逼る、快剣長戟森として相向こう

八分一字直百金,蛟龍盤拏肉屈強。

 

呉郡の張顛 草書を誇る、草書は古に非ず空しく雄壮なり。

豈に如かんや吾が甥の流宕せざるに、丞相 中郡は人行なり。

巴東 李潮に逢う、逾月 我が歌を求む。

我今衰老才力薄し、潮や潮や 汝を奈何。

夔州東川卜居図詳細 001

『李潮八分小篆歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

李潮八分小篆歌 -#1

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

秦有李斯漢蔡邕,中間作者寂不聞。

(下し文)
(李潮が八分小篆の歌)

蒼頡が鳥跡 既に茫昧、字体 変化 浮雲の如し。

陳倉の石鼓 又た己に訛る、大小 二篆より八分を生ず。

秦には李斯有り 漢には蔡邕、中間 作者 寂として聞かず

(現代語訳)
(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)-#1

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。


(訳注)

李潮八分小篆歌 -#1

(杜甫の甥の李潮が八分だの小篆だのの書をよくするのでそれによんで与えた歌である。)大暦元年        766   55歳夔州にあっての作。

○李潮 作者の甥である。潮は小裳を善くし、李斯の峰山の碑を師としたという、また潮が八分で書したものに唐の慧義寺弥動像碑・彰元曜墓誌があるという。

○篆【てん】 漢字の書体の一。「篆刻・篆書・篆文/小篆・大篆。

 

蒼頡鳥跡既茫昧,字體變化如浮雲。

大むかしに蒼頡が鳥の足あとを見て文字を造ったというが、その書体のどんなものであったかはぼんやりしてわからない。

蒼頡鳥跡 蒼頡は黄帝の時の史官で鳥の足跡をみて文字を製した者と伝えられる。

 

陳倉石鼓又已訛,大小二篆生八分。

それ以後、字体の変化は浮雲の変化する如くなってきた。陳倉にある石鼓の文字もまたすでになまって来て大篆、小篆などができ、二篆から更に八分ができた。

○陳倉石鼓 陳倉は地名、石鼓文(せっこぶん)とは、唐初期に陝西省鳳翔府天興県で出土した10基の花崗岩の石碑、またはそれに刻まれた文字をいう。現存する中国の石刻文字資料としては最古のもので、出土した当時から珍重され、現在は北京故宮博物院、孔子廟の廊下に陳列されている。に展示されている

石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#1>Ⅱ中唐詩522 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1654

 字形の誤ることをいう。

○大小二篆 書体の名、大篆及び小篆をいう。周の宜王の大史籒という者の製した文字を籒書というが秦に至り李斯がそれを改正して篆書を作った、よって秦篆を小篆といい、籒書を大篆というようになった。今日用いる印刻の書体は多く篆書の体である。

〇八分 書体の名、秦の時 程邈という者が篆書を改正して隷書(後世隷書と称する者とは異なる)を造る。隷書の中より八分を去って二分を取り、小篆の中より二分を去って八分を取って作ったものが八分書であるという、この説は確かでない。一説にはその体がみな「八」の字に似て勢いに偃波があるのによって名づけるという、この説は従うべきもののごとくである。八分の書体は現に隷書と称せられる者の中で波礫の角度の甚しくなくして円味を帯びるものをいう。

 

秦有李斯漢蔡邕,中間作者寂不聞。

篆と八分を能くする者は秦では李斯があり、後漢では蔡邕がある。秦から後漢の中間ではどんな作者があったか、絶えて耳にしないのである。

○李斯 ( 未詳- 紀元前208年)は、中国秦代の宰相。字は通古。子は李由ら。法家を思想的基盤に置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。秦の始皇の時に丞相となった、鄒の嶧山の頒徳の碑は李斯の篆書だといわれる。張懐瓘の「書断」に李斯は小篆は神に入り、大篆は妙に入ると称する。政治に無用の批判を行う学者達の著書を集めて焚書を行うように進言した。

「蒼頡作書」(蒼頡が書を作る)という伝説は戦国時代末期(B.C.3世紀ごろ)には既に存在していたらしく、『韓非子』五蠹篇や『呂氏春秋』君主篇等の書物に蒼頡の文字創造に関する記述がある。 前漢・劉安・編『淮南子』本経訓“そのかみ、蒼頡が文字を発明するに及んで、天は粟の雨を降らせ、鬼神は夜啼きした。智能がまさるにつれて、徳性は薄れるのだ。”

○蔡邕 132年または133 - 192年)、中国後漢末期の政治家・儒者・書家。字は伯喈(はくかい)。兗州陳留郡圉県の人。子は蔡琰。従弟は蔡谷。外孫は羊祜、羊徽瑜。後漢の霊帝の時の人、嘉平四年に洛陽大学の石経を著した。「書断」には伯喈(野蔡邕のあざな)は八分・飛白(かすれ字)は神に入り、大・小篆・隷書は妙に入ると称する。

○中間 秦より後漢のあいだ。

○作者 叢書八分の書を作すもの。
安史の乱当時の勢力図