杜甫  奉漢中王手札-#1  

國有乾坤大,王今叔父尊。剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

峽險通舟過,水長注海奔。主人留上客,避暑得名園。
(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

 

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年:766年大暦元年55

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    奉漢中王手札

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:荊門山 (山南東道 峽州 宜都)           

交遊人物:李瑀    書信往來

 

 

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

國有乾坤大,王今叔父尊。

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

峽險通舟過,水長注海奔。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

主人留上客,避暑得名園。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

 

前後緘書報,分明饌玉恩。

天雲浮壁,風竹在華軒。

已覺良宵永,何看駭浪翻。

入期朱邸雪,朝傍紫微垣。

枚乘文章老,河間禮樂存。

 

悲秋宋玉宅,失路武陵源。

淹薄俱崖口,東西異石根。

夷音迷咫尺,鬼物傍黃昏。

犬馬誠為戀,狐狸不足論。

從容草奏罷,宿昔奉清罇。

 

(漢中王の手札を奉じる)

國 乾坤の大なる有り,王は 今 叔父の尊なり。

剖符 蜀道に來り,歸蓋 荊門に取る。

峽險にして舟を通じ過ぐ,水 長くして 海に注ぎて奔る。

主人 上客を留む,避暑 名園を得たり。

 

前後 緘書報ず,分明なり 饌玉の恩。

天雲 壁に浮ぶ風竹 華軒に在り。

已に覺ゆ 良宵の永きを,何ぞ看む 駭浪の翻えるを。

入は期す 朱邸の雪,朝は傍わしむ 紫微の垣。

枚乘 文章 老ゆ,河間 禮樂 存す。

 

悲秋 宋玉の宅,失路 武陵の源。

淹薄 俱に崖口,東西 石根を異にす。

夷音 咫尺迷う,鬼物 黃昏傍る。

犬馬 誠に戀を為す,狐狸 論ずるに足らず。

從容 奏を草し罷まば,宿昔 清罇を奉ぜしと思え。

 

 

詩文(含異文)     國有乾坤大,王今叔父尊。剖符來蜀道,歸蓋取荊門。峽險通舟過【峽險通舟峻】,水長注海奔。主人留上客,避暑得名園。前後緘書報,分明饌玉恩。天雲浮壁,風竹在華軒。已覺良宵永【已覺良宵逸】【已覺涼宵永】【已覺涼宵逸】,何看駭浪翻。入期朱邸雪,朝傍紫微垣。枚乘文章老,河間禮樂存。悲秋宋玉宅,失路武陵源。淹薄俱崖口,東西異石根。夷音迷咫尺,鬼物傍黃昏【鬼物倚黃昏】。犬馬誠為戀,狐狸不足論。從容草奏罷,宿昔奉清罇。

 

 

『奉漢中王手札』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉漢中王手札

國有乾坤大,王今叔父尊。

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

峽險通舟過,水長注海奔。

主人留上客,避暑得名園。

(下し文)
(漢中王の手札を奉じる)

國 乾坤の大なる有り,王は 今 叔父の尊なり。

剖符 蜀道に來り,歸蓋 荊門に取る。

峽險にして舟を通じ過ぐ,水 長くして 海に注ぎて奔る。

主人 上客を留む,避暑 名園を得たり。

(現代語訳)
(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

唐時代 地図山南 東・西道50
(訳注)

奉漢中王手札

(歸州滞在中の漢仲王がお手紙を寄せてくれたことでこの詩を奉る。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に来たのにより作者が彼とあったものとおもわれる。そして今、三峡を出て、京師に帰ろうとして歸州(-3)にあり、そこから杜甫に手紙を届けたのだろう。

○手札 てがみ。

 

國有乾坤大,王今叔父尊。

唐王朝の天下は乾坤の大きさの領土を持ち続けているが、璃漢中王はその大唐の天子の叔父にあたる尊位に居られるお方である。

○國 唐の天下をいう。

○叔父尊 璃は讓皇帝の子であり、代宗の叔父にあたる。

 

剖符來蜀道,歸蓋取荊門。

璃王は蓬州の刺史として、蜀道に来られ、京師へお帰りの道は荊門の道筋を取られたのである。

○剖符 刺史になったことをいう。一つの竹や木や銅の表面に文字などを記し,それを二つに割って別々に所持し,両者を合わせることで互いに相手を信用する方法。 中国では一種の身分証明用のふだとして使用され,剖符とも記す。

○歸蓋 蜀道に来られ、京師へお帰りの車蓋。

○荊門 荊門 山名。湖北省宜都県の西北方、長江の南岸にある。河川に両岸が迫っているので呼ばれる。北岸の虎牙山と相対した江運の難所である。宜宗の大中二年(848年)、桂林刺史、桂管防禦観察使の鄭亜が循州(広東省恵陽県)に貶され、李商隠は幕を辞して都へ帰った。馮浩はその路中の作とする。偶成転韻と題する詩に「頃之職を失いて南風に辞す、破帆壊漿 荊江の中。」と歌われており、李商隠はこの荊門のあたりの難所で実際に危険な目にあったらしい。杜甫「詠懐古跡五首其三」李白「秋下荊門」「渡荊門送別」三峡をすこし下ってここに差し掛かることを詠う。

 

峽險通舟過,水長注海奔。

この三峡は嶮しくて船の通行でこの地を過ぎようとされているが、長江は長くはしって大海に灌いでいる。

 

主人留上客,避暑得名園。

途中で、其の地の主人役である歸州の刺史が、この上である賓客をおひきとめられ、この地の名園にて避暑とされることがよろしいと考える。

○主人 其の地の主人役である歸州の刺史のことをいう。

○上客 常套の賓客、漢中王のこと。

○名園 歸州の刺史の別荘をいう。
夔州東川卜居図詳細 001