杜甫  寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

不見故人十年餘,不道故人無素書。願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏。謝朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹噓。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。
(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。】

 

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杜甫詩1500-931-1-1428/2500

年:766年大暦元年55

卷別:  卷二二九          文體:      七言古詩

詩題:  寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

作地點:        雲安(山南東道 / 夔州 / 雲安)

及地點:        嘉州 (劍南道北部嘉州 嘉州)      

雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚    

交遊人物:岑參  書信往來(劍南道北部 嘉州 嘉州)

 

 

寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。】

不見故人十年餘,不道故人無素書。

親友のあなたから手紙が無いとは言いたくはないが、したしいあなたには御面会をせぬことがかれこれ十年あまり(実質九年)になる。

願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

お目にかかりたくはおもうが東西の関塞遠く隔たっておったので、しかたがないとおもっていたのに、意外にもこのたび嘉地方へ太守としてでられ江ぞいの城に居られるとのことである。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏。

あなたのいる外江と自分のちかくの三峡とは長江で、まあ、続いているのであるが、おのずと酒をくみ詩を示しあうことが間遠になっておるのである。

朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹

六朝、謝桃に比すべきあなたの詩は毎篇、諷詞のねうちがある。鳩唐のごとく老いてしまった自分はもし推薦してくださるならおこころにまかすのみのことである。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。

自分はこの地に船を泊めて去年の秋の夜からことしの春の草の生ずるのをみるまでになった。病の枕に伏しながら青楓のためにみやこの宮殿の玉除のところから遮断されておるところだ。

眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。

てぢかにあるものでどんな物をえらんであなたに寄せ贈ろうか、それは雲安でとれた一対の鯉である七言古詩を贈るのである。

 

(岑嘉州に寄す)

【自注:州は蜀江の外に據る。】

故人を見ざること十年余、道わず 故人 素書無しと。

顔色に逢わんことを願えども 関塞 遠し、豈に意わんや 出守 江城に居らんとは。

外江 三峡 且つ 相い接す、斗酒 新詩 終に自ずから疎なり。

謝跳 毎篇 諷諭するに堪えたり、馮唐 己に老ゆ 吹嘘するに聴す。

船を泊して 秋夜より春草を経、枕に伏して 青楓 玉除を限る。

眼前 寄する所 何物をか 選ぶ、子に贈る 雲安の双鯉魚。

蜀中転々圖 

 

『寄岑嘉州』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

不見故人十年餘,不道故人無素書。

願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏。

謝朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹噓。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。

眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。
(含異文)

不見故人十年餘,不道故人無素書。願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。

外江三峽且相接,斗酒新詩終日疏【斗酒新詩終自疏】。謝朓每篇堪諷誦,馮唐已老聽吹噓。

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。


(下し文)
(岑嘉州に寄す)

【自注:州は蜀江の外に據る。】

故人を見ざること十年余、道わず 故人 素書無しと。

顔色に逢わんことを願えども 関塞 遠し、豈に意わんや 出守 江城に居らんとは。

外江 三峡 且つ 相い接す、斗酒 新詩 終に自ずから疎なり。

謝跳 毎篇 諷諭するに堪えたり、馮唐 己に老ゆ 吹嘘するに聴す。

船を泊して 秋夜より春草を経、枕に伏して 青楓 玉除を限る。

眼前 寄する所 何物をか 選ぶ、子に贈る 雲安の双鯉魚。


(現代語訳)
(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。】

親友のあなたから手紙が無いとは言いたくはないが、したしいあなたには御面会をせぬことがかれこれ十年あまり(実質九年)になる。

お目にかかりたくはおもうが東西の関塞遠く隔たっておったので、しかたがないとおもっていたのに、意外にもこのたび嘉地方へ太守としてでられ江ぞいの城に居られるとのことである。

あなたのいる外江と自分のちかくの三峡とは長江で、まあ、続いているのであるが、おのずと酒をくみ詩を示しあうことが間遠になっておるのである。

六朝、謝桃に比すべきあなたの詩は毎篇、諷詞のねうちがある。鳩唐のごとく老いてしまった自分はもし推薦してくださるならおこころにまかすのみのことである。

自分はこの地に船を泊めて去年の秋の夜からことしの春の草の生ずるのをみるまでになった。病の枕に伏しながら青楓のためにみやこの宮殿の玉除のところから遮断されておるところだ。

てぢかにあるものでどんな物をえらんであなたに寄せ贈ろうか、それは雲安でとれた一対の鯉である七言古詩を贈るのである。


(訳注)

寄岑嘉州【自注:州據蜀江外。】

(嘉州の刺史であり親友である岑參に寄せた詩。)【長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。

大暦元年春、雲安にあっての作。

* 〔原注〕 州拠蜀江外(州は蜀江の外に拠る)

〇岑嘉州 嘉州刺史岑參のこと、参庫部郎より出されて嘉州刺史となった、杜鴻漸は表して職方郎中兼侍御史となして幕府に列せしめた。刺史となったのは今年のことであろうか。嘉州は資州眉州をへだてて成都府の南方に位する。今の四川省嘉定府楽山県治。

758   乾元元年

奉和中書賈至舍人早朝大明宮 岑參 杜甫の「奉和賈至舍人早朝大明宮」に関連した詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 235

岑参から杜甫に『寄左省杜拾遺』 249

奉答岑參補闕見贈 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 250

759   乾元二年

寄彭州高三十五使君適、虢州二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#1> 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1430 杜甫詩 700- 441

763  廣德元年  52  

677 《泛江送魏十八倉曹還京,因寄岑中允參、范郎中季明》 蜀中転々 杜甫 <583  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3225 杜甫詩1000-583-839/1500

○蜀江外 蜀の江外であろう、長江は成都の西南より眉州の中央を直南下して嘉州に至る、因って嘉州を江の外という。

 

不見故人十年餘,不道故人無素書。

親友のあなたから手紙が無いとは言いたくはないが、したしいあなたには御面会をせぬことがかれこれ十年あまり(実質九年)になる。

○故人 岑參をさす、参は作者の親友であり、彼に関する作はすでにしばしば見える。

〇十年余 乾元元年、作者には「奉答岑參補闕見贈」詩がある。同二年に「寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻」詩がある。元年よりこの詩の年大暦元年までは九年である、十年余というのは作者の詩表現である。

○素書 素はしろ地のきぬ、素書は尺素書のことで一尺の絹地にかいたてがみをいう。

 

願逢顏色關塞遠,豈意出守江城居。』

お目にかかりたくはおもうが東西の関塞遠く隔たっておったので、しかたがないとおもっていたのに、意外にもこのたび嘉地方へ太守としてでられ江ぞいの城に居られるとのことである。

○關塞遠 軍事要衝地点に配置されたことをいう。

○出守 中央より出て太守となる。

○江城 岷江(長江)に沿うた城、嘉州の城をいう。

 

外江三峽且相接,鬥酒新詩終日疏。

あなたのいる外江と自分のちかくの三峡とは長江で、まあ、続いているのであるが、おのずと酒をくみ詩を示しあうことが間遠になっておるのである。

○外江 前の江外の意、嘉州の長江をさして外江といった、これは岑參の居処の水をあげる。

〇三峡 これは杜甫の居処に近い三峡のこと。

○斗酒新詩 詩酒は両人の用いるものであるが、主として酒は自己に、詩は参についていうのであろう。

 

篇堪諷誦,馮唐已老聽吹。』

六朝、謝桃に比すべきあなたの詩は毎篇、諷詞のねうちがある。鳩唐のごとく老いてしまった自分はもし推薦してくださるならおこころにまかすのみのことである。

○謝眺 六朝斉の文学者、詩句の清農を以て有名である、以て参に此する。謝朓は、中国南北朝時代、南斉の詩人。字は玄暉。陳郡陽夏の人。同族の謝霊運・謝恵連とともに、六朝時代の山水詩人として名高く、あわせて「三謝」と称される。また謝霊運と併称して「二謝」と呼ぶこともあり、その場合は、謝霊運を「大謝」と呼ぶのに対し、謝朓を「小謝」と呼ぶ。

○馮唐 馮唐白首。漢の文帝の時、唐は白首にしてなお郎となった。以て自ずから此する。馮唐(ふう とう、生没年不詳)は、前漢の人。祖父の代は趙の人だったが、父の時に代に移住して代の相(宰相)となり、漢の時代になり安陵に移った。

馮唐は孝行で知られ、文帝の時に郎中署長となった。あるとき文帝は彼に「貴方はどうして郎となったのか?家はどこにある?」と尋ねたので、馮唐はありのまま答えた。文帝は「私は鉅鹿で戦った趙将李斉の賢明さを聞いて以来、鉅鹿のことを思わない日は無い。貴方は彼を知っているか?」と聞いた。馮唐は「李斉は廉頗、李牧には敵いません」と言った。文帝は「廉頗や李牧を将にできれば匈奴を怖れることもないのだが」と嘆息したが、馮唐は「陛下が廉頗や李牧を得たとしても用いることはできないでしょう」と言ったため、文帝は怒って禁中に入っていった。しばらくして文帝は馮唐を召し出し、「どうして公衆の面前で私を辱めず、人のいないところで言わないのだ?」と叱責した。馮唐は「私は田舎者で隠すことを知らなかったのです」と答えた。

○吹嘘 世話して推薦すること。以下の詩に詳しく述べている。

杜甫《巻三22贈獻納使起居田舍人澄》

獻納司存雨露邊,地分清切任才賢。舍人退食收封事,宮女開函近禦筵。

曉漏追趨青瑣闥,晴窗檢點白雲篇。揚雄更有河東賦,唯待吹噓送上天。

(献納使・起居田舎人澄に贈る)

献納司は存す雨露の辺、地清切を分ちて才賢に任す。舎人過食封事を収め、官女函を開きて御蓮に捧ぐ。

暁漏 迫趨す 青瑣の闥。晴窓点検す白雲の篇。揚雄更に河東の賦有り、唯だ待つ吹嘘送りて天に上すを。

贈獻納使起居田舍人澄 杜甫 : kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集

 

泊船秋夜經春草,伏枕青楓限玉除。

自分はこの地に船を泊めて去年の秋の夜からことしの春の草の生ずるのをみるまでになった。病の枕に伏しながら青楓のためにみやこの宮殿の玉除のところから遮断されておるところだ。

○秋夜経春草 去年の秋、この雲安の地にやって来て、今年の春、草の生ずるにいたることをいう。

○伏枕 病のまくらにふす。

○青楓限玉除 青楓は峡中にあるそれをいう。玉除はうつくしい土縁のこと、都の宮殿の玉除をいい、還京することができないことをいう。上句の吹嘘をうける。限とはかぎりさえぎられることをいう。

 

眼前所寄選何物,贈子雲安雙鯉魚。』

てぢかにあるものでどんな物をえらんであなたに寄せ贈ろうか、それは雲安でとれた一対の鯉である七言古詩を贈るのである

○双鯉魚一対のこい、こいは手紙のしるしである。魚中書、対句の七言古詩をいう。

夔州東川卜居図詳細 001 

(岑嘉州に寄す)

【自注:州は蜀江の外に據る。】

故人を見ざること十年余、道わず 故人 素書無しと。

顔色に逢わんことを願えども 関塞 遠し、豈に意わんや 出守 江城に居らんとは。

外江 三峡 且つ 相い接す、斗酒 新詩 終に自ずから疎なり。

謝跳 毎篇 諷諭するに堪えたり、馮唐 己に老ゆ 吹嘘するに聴す。

船を泊して 秋夜より春草を経、枕に伏して 青楓 玉除を限る。

眼前 寄する所 何物をか 選ぶ、子に贈る 雲安の双鯉魚。