杜甫  上白帝城,二首之二  

白帝空祠廟,孤雲自往來。江山城宛轉,棟宇客裴回。

勇略今何在,當年亦壯哉。後人將酒肉,虛殿日塵埃。

谷鳥鳴還過,林花落又開。多慚病無力,騎馬入青苔。
(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。

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杜甫詩1500-949-1447/2500

年:766年大暦元年55-86

卷別:    卷二二九              文體:    五言古詩

詩題:    上白帝城,二首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

白帝廟 (山南東道 夔州 奉節)          

 

 

上白帝城,二首之二

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

白帝空祠廟,孤雲自往來。

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。

江山城宛轉,棟宇客裴回。

ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。

勇略今何在,當年亦壯哉。

公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。 

後人將酒肉,虛殿日塵埃。

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

谷鳥鳴還過,林花落又開。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。

多慚病無力,騎馬入青苔。

はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。

 

(白帝城に上る 二首の二)

白帝 空しく祠廟,孤雲 自ら往來す。

江山 城 宛轉たり,棟宇 客 裴回す。

勇略 今 何に在る,當年 亦た 壯なる哉。

後人 酒肉を將てし,虛殿 日に塵埃なり。

谷鳥 鳴き還た過る,林花 落ち又た開く。

多く慚づ 病みて無力なるを,馬に騎り 青苔に入る。
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夔州東川卜居図詳細 001 

『上白帝城,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

上白帝城,二首之二

白帝空祠廟,孤雲自往來。

江山城宛轉,棟宇客裴回。

勇略今何在,當年亦壯哉。

後人將酒肉,虛殿日塵埃。

谷鳥鳴還過,林花落又開。

多慚病無力,騎馬入青苔。

(下し文)
(白帝城に上る 二首の二)

白帝 空しく祠廟,孤雲 自ら往來す。

江山 城 宛轉たり,棟宇 客 裴回す。

勇略 今 何に在る,當年 亦た 壯なる哉。

後人 酒肉を將てし,虛殿 日に塵埃なり。

谷鳥 鳴き還た過る,林花 落ち又た開く。

多く慚づ 病みて無力なるを,馬に騎り 青苔に入る。

(現代語訳)
(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。

ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。

公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。 

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。

はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。


(訳注)

上白帝城,二首之二

(夔州城の東にある白帝城にのぼったことをよんだ詩。二首の二)

 

杜甫が、白帝城を題、詩に歌ったものは以下の通り50首前後ある。大半は当然のこととして、夔州時代の詩である。この時約400首であったから実に12%近く締めていることになる。

・望岳(卷六(二)四八五)

  送元二適江左(卷一二(三)一○三二)

  西山三首其一(卷一二(三)一○四五)

 

  渝州候嚴六侍御不到先下峽(卷一四(三)一二二二)

765年永泰元年54-32 《渝州候嚴六侍御不到先下峽》 杜甫index-15 杜甫<832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4895 杜甫詩1500-832-1150/2500

  移居夔州作(卷一五(三)一二六五)

  引水(卷一五(三)一二七○)

766年大暦元年55-9 《引水》 杜甫index-15 杜甫<872 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5170 杜甫詩1500-872-1205/2500766年大暦元年55-9

  上白帝城(卷一五(三)一二七二)

  上白帝城二首 其二(頁一二七四)

  陪諸公上白帝城頭(一作樓)宴越公堂之作(卷一五(三)一二七五)

  白帝城最高樓(卷一五(三)一二七六)

  最能行(卷一五(三)一二八六)

766年大暦元年55-14-2奉節-6 《最能行 -#2 杜甫index-15 杜甫<877-2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5235

夔州歌十句其一(頁一三○二)

  夔州歌十 其二(頁一三○三)

  白帝(卷一五(三)一三五○)

  白帝(卷一五(三)一三五○)

  瞿唐懷古(卷一八(四)一五五七)

  返照(卷一五(三)一三三六)

 

  白帝樓(卷二一(四)一八三九)

  白帝城樓(卷二一(四)一八四○)

  曉望白帝城鹽山(卷一五(三)一二八○)

  荊南兵馬使太常卿趙公大食刀歌(卷一八(四)一五八一)

  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)

  崔評事弟許相迎不到應慮老夫見泥雨怯出必愆佳期走筆戲簡(卷一八(四)一六○

    入宅三首其三(頁一六○八)

  寄從孫崇簡(卷一八(四)一六一三)

  熟食日示宗文宗武(卷一八(四)一六一五)

  醉為馬墜群公攜酒相看(卷一八(四)一五九○)

  更題(卷一九(四)一六七七)

  送王十六判官(卷一八(四)一五九五)

  秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九)

  寄峽州劉伯華使君四十韻(卷一九(四)

  八月十五夜月二首其二(卷二○(四)一七五○)

  曉望(卷二○(四)一七五三)

  暫往(一作住)白帝復還東屯(卷二○(四)一七七二)

  季秋蘇五弟纓江樓夜宴崔十三評事韋少府姪三首其一(卷二○(四)一七七五)

  雲(卷二○(四)一七八六)

  十月一日(卷二○(四)一七八七)

  戲作俳諧體遣悶二首其二(卷二○(四)一七九三)

  錦樹行(卷二○(四)一八○八)

  觀公孫大娘弟子舞劍器行並序(卷二○(四)一八一五)

  前苦寒行二首其二(卷二一(四)一八四五)

  大曆三年春白帝城放船出瞿唐峽久居夔府將適江陵漂泊有詩凡四十韻(卷二一(四

  暮秋將歸秦留別湖南幕府親友(卷二三(五)二○八九)

 望岳(卷六(二)四八五)

望岳  杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 271

 瞿塘懷古(卷一八(四)一五五八)

 

 

 

白帝空祠廟,孤雲自往來。

白帝城を築いた公孫述は、白帝と称したが今はただ、むなしく祠廟に祀られていて、そこには一片の雲が自ら往来している。

白帝 公孫述のこと、述、字は子陽、王奔のとき兵を起こし宗成王岑の乱を討ってこれを破り、遂に蜀を領有し、立して帝となり成都に都した、色は白を尊び、成都の郭外の旧倉を改めて自帝倉となし、のち魚復に城を築き号して白帝城といった、述は帝位に立って十二年にして後漢の光武帝に滅ぼされた。

祠廟 李眙孫 夔州都督府記 「白帝城東南斗上二百七十歩、得白帝廟、又有越公堂、在廟南而少西、隋越公素所建。」とある。《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》以下の通り。

陪諸公上白帝城宴越公堂之作

此堂存古製,城上俯江郊。

落構垂雲雨,荒階蔓草茅。

柱穿蜂溜蜜,棧缺燕添巢。

坐接春杯氣,心傷豔蕊梢。

英靈如過隙,宴衎願投膠。

莫問東流水,生涯未即

 

江山城宛轉,棟宇客裴回。

ここでみると長江と山の尾根にしたがって城がうねうねとしてみえるし、祠廟の軒や棟木、大屋根のしたに、ここを訪れた人々が、ぶらぶらして昔を偲んでいる。

宛轉 うねりまがる。

棟宇 棟木と大屋根。

客 この祠廟を訪れる人々をいう。

 

勇略今何在,當年亦壯哉。

公孫述はこの城を築くころはすぐれた計略も壮んなものであったが、今、この時代に、彼の壮んな勇略はどこにあろうか。 

勇略 勇気と、すぐれた計略。

 

後人將酒肉,虛殿日塵埃。

我我の様な後世の人が酒肉を献納するが、だれもいない御殿は、日日、ほこりがつもるだけである。

將 ・・・・・・もってす。戦に際して、「爿」に「肉」を供え「手」で奉る儀式があり、それを軍団の長、即ち「将」が執り行ったことから献納することをいう。

 

谷鳥鳴還過,林花落又開。

谷間の鳥は鳴いては過ぎ、林の花はおちては、また花を開く。

 

 

多慚病無力,騎馬入青苔。

はずかしながら、自分は病弱で、体力がなくなっているが気力で馬に乗って、此処まで来て、公孫術にお願いしたいのは「青苔の道」に入り込みたいということである。

青苔 青苔的空間,原道:韓愈は著書『原道』で、堯舜から孔子・孟子まで絶えることなく伝授された仁義の「道」こそ仏教・道教の道に取って代わられるべきものだと主張している。ここでは、隠遁して書物をもっと学びたいということ。

道をたずねる。 原道 1回~12 まとめ(1) 韓愈(韓退之) <25>Ⅱ中唐詩597 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1969

原道 13回~24回 まとめ(2) 韓愈(韓退之) <115-26>Ⅱ中唐詩598 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1974