杜甫  八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。江流石不轉,遺恨失吞
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。1.夔州奉節縣の白帝城西郊。2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓。に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

766-88杜甫 1513八陣圖》五言絶句 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-88 <951 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390 杜甫詩1500-951-1449/2500

 

 
 2015年8月1日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
284-#2 《卷8-09贈瑕丘王少府》-#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284-#2> Ⅰ李白詩1568 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6388 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
78-#8 《巻0210送惠師》-#8 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1481> Ⅱ【11分割】-#8 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6389 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-88杜甫 《1513八陣圖》五言絶句 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-88 <951> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog7毛文錫《巻五23醉花間二首》『花間集』224全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6392 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

年:766年大暦元年55-88

卷別:    卷二二九              文體:    五言

詩題:    八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              八陣圖 (山南東道 夔州 奉節)           

 

 

 

八陣圖

【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

功蓋三分國,名成八陣圖。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

江流石不轉,遺恨失吞

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

 

八陣圖【諸葛亮は〈八陣圖〉三有り,一に夔在り,一に彌牟の鎮在り,一に棋盤の市在り,此に夔の永安宮の前に在る者なり。】

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->夔州東川卜居図詳細 002
<!--[endif]-->

 

『八陣圖』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

功蓋三分國,名成八陣圖。

江流石不轉,遺恨失吞

(下し文)
八陣圖【諸葛亮は〈八陣圖〉三有り,一に夔在り,一に彌牟の鎮在り,一に棋盤の市在り,此に夔の永安宮の前に在る者なり。】

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。

(現代語訳)
諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。


(訳注)

八陣圖【諸葛亮〈八陣圖〉有三,一在夔,一在彌牟鎮,一在棋盤市,此在夔之永安宮前者。】

諸葛孔明の造ったと称せられる八陣図について感をのべる。大磨元年の作。

〇八陣図 諸葛孔明が石を積みかさねて作った陣形をいう。八陣とは天、地、風、雲、竜、虎、鳥、蛇の八種の陣形をいう。これが魚復浦の平沙の上に在り、大水のときには破壊されるが水が減ずるときはまた旧態に復し、ふしぎなものとされておる。

<!--[if !vml]-->八陣図<!--[endif]-->

諸葛亮の“八陣の図”は三地点にある。

1.夔州奉節縣の白帝城西郊。

2.四川省成都の青白江の彌牟鎮。

3.陝西省勉県棋盤市の定軍山の麓

に在り、ここ夔州の永安宮の前に在るものについてここに述べる。

 

功蓋三分國,名高八陣圖。

諸葛孔明の功は三分の三国時代を圧倒するほどであり、その軍略がいかにに通じていたか、その名声はこの八陣図を作ったことにおいてりっぱにできあがっている。

○蓋 ふたをする、圧倒することをいう。

〇三分国 蜀漢の時、天下は魏・呉・蜀の三つに分かれた。三国時代。

 

江流石不轉,遺恨失吞

孔明の作で、ここ夔州魚腹の砂浜にあるこの陣形は、いかに長江の水が流れても石だけは変転せずにいる。これほどの軍略をもった人が先主の生前に呉を併呑することを得なかったことはまことに残念なことである。

○失呑呉 この句の解は諸説紛紛である、列挙してもしかたないので今は異説の一つをあげよう。其の説は「呑呉二失ス」とよませて「呑呉という失策をした」ととく、それは先主の末年に孔明は呉を征伐することには不賛成であったのにもかかわらず、先主を諌止することができずして遂に先主をして敗死せしめたが、これは呉を呑まんとするという政策において失敗したのである、というのである。しかし三分の天下を一統するには呉をも併呑せぬわけにはいかぬゆえ、呉を併呑するのがわるいとはいわれず、もし呉を併呑し得るならば其の力によって魏を容易に平らげうるかも知れぬゆえ、また劉備が大敗するとは思わなかった、杜甫が、併呑不併呑の政策の可否を論ずることはあまりない。且つ、八陣圖を抒情的に述べているので、上説の如くに解しては「江流」の句が死んでしまう。故にここでは普通の説を取って「呑呉を失す」とみる。「呑呉を失す」とは呉を併呑すること、張飛と関羽の失敗から、劉備に呉と戦う道に進ませてしまったこと、ということなどを失ったと表現、すなわち呉を呑むことができなかったとの意である。

魚腹浦の伏兵  

 夷陵の戦いでは、はじめは劉備軍が圧倒的に優勢であったが、伸び切った陣営を陸遜に奇襲され、蜀は大敗を喫す。劉備は白帝城へ逃走、陸遜はこれを追うが、魚腹浦で八陣図の中で迷ってしまい、諸葛亮の舅・黄承彦に助け出してもらう始末。劉備は無事に白帝城に入った。

 

(八陣の図)

功は蓋う三分の国、名は成る八陣の図。

江流るるも石転ぜず、遺恨呑呉を失す。