杜甫  白帝城最高樓  

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

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年:

766年大暦元年55-95

卷別:    卷二二九              文體:    七言律詩

詩題:    白帝城最高樓

作地點:              目前尚無資料

及地點:              白帝城 (山南東道 夔州 奉節) 別名:白帝、白帝樓、公孫城      

 

 

白帝城最高樓

(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

 

(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『白帝城最高樓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白帝城最高樓

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

(下し文)
(白帝城最高樓)

城 尖【とが】り 径 昃【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血 空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

(現代語訳)
(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。


(訳注)

白帝城最高樓

(白帝城のいちばん高い樓に登って感じるところを述べた詩)

○白帝城 夔州奉節県の東に在る、前漢の末、公孫述が築いたもの、或はいう、述が漢の士運を承けるものとして白帝と名づけたと。或は日う、殿前の井戸より白竃が出たので山を白帝山、城を白帝城というと。「刑国図経」にいう、白帝城は西、大江に臨み、東南高さ二百丈、西北高さ一千丈なりと。「水経注」にいう、白帝山城は周回二百八十歩、北は馬嶺に縁り、赤岬山に接す、其の問の平処、南北相い去ること八十五丈、東西七十丈、又東、譲渓に傍うて以て陸となす、西南、大江に臨む、之を轍すれば目を眩せしむ。唯だ馬嶺はすこしくやや透通たるも猶お山を斬りて路と為し、羊腸しばしば転じて然るのちのぼることを得、と。

この詩は、詩型が見事に整った秀作で6世紀南朝から宋の時代生まれた韻律を完成させた詩のひとつとされている。

 

城尖徑昃旌旆愁【城尖徑翼旌旆愁】,獨立縹緲之飛樓。

城はするどく尖りそこへのぼる径はかたむいて傾斜し、ひるがえっている旌さえあまりけわしいので愁わしげに見える。かかる空中に縹緲としている楼のうえにただひとり立ってながめる。

○旌旆 蛙は旗の先にふさふさとした羽をつけたもの、旅は旅、亀をかいた旗にさげた帛のびらをいう、要するに城上にたでたはたをいう。

○縹緲 気のたなびくさま。

○飛楼 飛とは楼の勢いをいう。楣簷が飛ぶ鳥のようであることからいう。《1514曉望白帝城鹽山》

曉望白帝城鹽山

(曉 に白帝城と塩山とを望む)

徐步移班杖,看山仰白頭。

翠深開斷壁,紅遠結飛樓。

日出清江望,暄和散旅愁。

春城見松雪,始擬進歸舟。

徐歩して斑杖を移し、看山白頭を仰がしむ。

翠深くして 断壁開け、紅 遠くして飛楼結ぶ。

日出でて 江望清し、喧和にして旅愁散や。

春城 松雪を見る、始めて歸舟に進まむと擬す。

とある。

 

峽坼雲霾龍虎臥【峽坼雲霾龍虎睡】,江清日抱黿鼉遊。

峽は坼けそこには雲が沙のようにこまかくふって、竜だの虎だの臥ているかのように見えるし、江の水はすんで黿鼉(げんだ)の遊んでいるところを日光がだきかかえている。

○峽坼 坼は地形の裂けたようなさまをいう。

○雲霾 霾は土ふること、ここは雲がこまかくふることをいう。

○龍虎臥 映雲の形容である。

〇日抱 日は日の光。

〇黿鼉遊 これは実物の魚鱉黿鼉。

 

扶桑西枝對斷石【扶桑西枝封斷石】,弱水東影隨長流。

断石に樹の枝がむきあっているが、その枝はさだめし扶桑の西向きの枝であろう。長江の流れとともに水流の影が見えるが、それは多分弱水の東影がそこにうかんでいるのだろう。

○扶桑・弱水二句 曹植の「遊化」詩にいう、「東觀扶桑曜。西臨弱水流。北極登玄渚。」東のかた観る扶桑の曜くを、西のかた臨む弱水の流れ、北極れるとこ 玄渚に登る。」と。詩句はこれに基づく、扶桑は東海の仙境、そこには両両たすけあった大桑があるとかんがえられた、西枝はその桑の西の方の枝をいう、断石は峡中の南の切断した石をいう。弱水は甘粛の西北の沙漠に在って中途で地下をもぐってきえてながれる水、東影はその弱水の東方のすがた、長流は長江の流れをいう。此の二句の作者の意は恍惚としてとりとめもないがごとくであるが暁の実景を仙境のものによって比較したまでである。解は「訳文」をみよ、ここには重複を避ける。

 

杖藜歎世者誰子,泣血迸空迴白頭。

ここに藜(あかざ)のつえをついて時世をなげいているおとこがいるがいったいそれはどこのものだ。そのおとこは白髪あたまをめぐらして虚空に向かって血の涙をほとばしらせておるのである。世のことについてよほどの慨嘆をしておるおとこなのである。

○誰子だれの子か、自己のことをかく客観的にいったのである。

○泣血 血の涙。

○迸空 そらへとほとばしらす。最高楼ゆえ涙も空に向かって飛ぶ。

瞿塘峡001 

大暦元年              766    55歳 杜甫195

白帝城最高楼

城尖徑昃旌旆愁,獨立縹緲之飛樓。

峽坼雲霾龍虎臥,江清日抱黿鼉遊。

扶桑西枝對斷石,弱水東影隨長流。

杖藜歎世者誰子,泣血迸空回白頭。

 

 白帝城の最高楼 現代読み

城は険しく径は急で  旌旗は愁いに沈み

広々とかすむ高楼に  ひとりで立つ

山は裂け  雲は土煙のように垂れ下がって龍虎が臥し

流れは清く  陽は射して大亀や鰐が泳いでいる

断崖に向き合う枝は  扶桑の西枝であろうか

長江にながれる影は  弱水の東影であろうか

藜の杖をついて時世を嘆く者  それは誰か

血の涙を虚空に放ち  白髪頭を回らせている

 

 白帝城の最高楼 解説 白帝城は夔州の瀼西にあり、梅渓河を渡って小丘の急坂を登って行かなければなりません。杖をついて登ると、眼下に夔門の流れが渦巻き、正面には瞿塘峡の断崖が聳え立つ。首聯に「旌旆愁う」とあり、楼閣がひとつ山頂に建っているだけである。

 中四句は白帝城から見おろす瞿塘峡の景で、壮大かつ神秘的に詠われている。この幻想的な神秘的な詠い方は、やがて夔州期の杜詩の味わい深いものになっていく。尾聯では、杖をついて白帝城の最高楼まで登っていき、国家の現状を慨歎している。

 

読み下し文

城 尖【とが】り 径 仄【かたむ】いて旌旆【せいはい】愁う、独立す  縹緲【ひょうびょう】たる飛楼に。

峡 坼【さ】け 雲 霾【つちふ】りて龍虎臥し、江 清く 日 抱いて黿鼉【げんだ】遊ぶ。

扶桑の西枝  断石に対し、弱水の東影  長流に随う。

藜【あかざ】を杖【つえつ】いて 世を嘆ずる者は誰の子ぞ、泣血  空に迸【ほとば】しらせて白頭を回らす。

 

巫山十二峰003 

 

 

 

 

 

 

瀼西宅の場所については、南宋以来、近年の厳耕望氏や多くの杜甫伝までもふくめて、ほとんどが梅渓河(西瀼水)西岸にあったと考えている。しかし近年、簡錦松氏『杜甫夔州詩現地研究』(台湾学生書局、一九九九年)によって草堂河(東瀼水)西岸説が提出された。草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。これによって瀼西宅が白帝山の西側にあるのか、東側にあるのか、大きく異なることになった。

 

杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 

瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩《1527_夔州歌十絶句》其五で、

  瀼東瀼西一萬家、 瀼東と瀼西は 一万家

  江北江南春冬花。 江の北と江の南は 春も冬も花あり

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。