杜甫  夔州歌十句,十首之五  

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。
(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

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夔州における杜甫の住まい(1)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

夔州は、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は夔州都督府が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになり、唐代の赤甲山から白帝山方面にあった。

 

夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まったのである

夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった'⑹'。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。

移居夔州郭

(居を夔州に移さん)

伏枕雲安縣,遷居白帝城。

枕に伏す 雲安縣,居を遷す 白帝城。

春知催柳別,江與放船清

春は知る柳を催して別れしむるを、,江は放船を與【ため】にして清し。

農事聞人,山光見鳥情。

農事 人のくを聞く,山光 鳥情を見る。

禹功饒斷石,且就土微平。

禹功 斷石饒し,且く就かん 土の微平なるに。

 

夔州での詩は、巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には766(大暦元)年の晩春から、768(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。

それは1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

瀼西寒望

(瀼西の寒望)

【夔人以澗水通江者為瀼,大昌縣西有千頃池,水分三道,其一南流奉節縣,為西瀼水。】

【夔人 以て澗水江に通ずる者は瀼と為し,大昌縣 西に千頃の池有り,水 三道に分れ,其の一 南に奉節縣に流る,西瀼水と為す。】

水色含群動,朝光切太虛。

水色 群動を含む、朝光 太虚に切なり。

年侵頻悵望,興遠一蕭疏。

年侵して 頻りに帳望す、興遠くして一に蕭疏たり。

猿挂時相學,鷗行炯自如。

猿挂かりて時に相学ぶ、鴎行く 炯として自如たり。

瞿唐春欲至,定卜瀼西居。

瞿唐 春 至らんと欲す、定めて卜せん瀼西の居。

と述べており、そして実際に1850_暮春に、瀼西の新たに賃せし草屋に題す》の五首連作の詩を作っているからである。

暮春題瀼西新賃草屋,五首之一                          久嗟三峽客,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之二                          此邦千樹橘,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之三                          綵雲陰復白,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之四                          壯年學書劍,

暮春題瀼西新賃草屋,五首之五                          欲陳濟世策,

瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた2043_呉郎司法に簡す》の詩に、

簡呉郎司法

郎司法

 

有客乘舸自忠州,遣騎安置瀼西頭。

 

古堂本買藉疏豁,借汝遷居停宴遊。

古堂 本と買いしは 疏豁に藉る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停めしめん

雲石熒熒高葉曙,風江颯颯亂帆秋。

 

卻為姻婭過逢地,許坐曾軒數散愁。

 

と述べ、その年の晩秋の767年 《巻20-65小園》の詩には、

小園

 

由來巫峽水,本自楚人家。

 

客病留因藥,春深買為花。

(たび)に病んで 留まるは薬に因る,春深くして 買うは花の為なり。

秋庭風落果,瀼岸雨沙。

 

問俗營寒事,將詩待物華。

 

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《20-66寒雨朝行視園樹寒雨に朝行きて園の樹を視る)の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。

寒雨朝行視園樹

柴門雜樹向千株,丹橘黃甘此地無。

江上今朝寒雨歇,籬中秀色畫屏紆。

桃蹊李徑年雖故,梔子紅椒豔復殊。

鎖石藤稍元自落,倚天松骨見來枯。

林香出實垂將盡,葉蒂辭枝不重蘇。

愛日恩光蒙借貸,清霜殺氣得憂虞。

衰顏更覓藜床坐,緩步仍須竹杖扶。

散騎未知雲閣處,啼猿僻在楚山隅。

 

さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした2138_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1917_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。杜甫と農業の関わりを明らかにする上での基本作業として、その舞台となる瀼西の住まいがどこにあったのかをはっきりさせたい。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜甫詩1500-970-1472/2500

年:766年大暦元年55-107

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之五

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

瀼東 (山南東道 夔州 奉節) 別名:東溪        

瀼西 (山南東道 夔州 奉節)             

 

夔州歌十句,十首之一

(夔州の風土についてのべている。十首の一:夔州、白帝城、瞿塘峡)

中巴之東巴東山,江水開闢流其間。

中巴より東に横たわっている巴東の山。その間には天地開闢以来、長江の水が東に向かってながれている。

白帝高為三峽鎮,夔州險過百牢關。

そうしてこの夔州の険阻なことはあの関中の百牢関よりもまさり、白帝城は三峡の鎮めの山となっておる。

(夔州の歌 十句,十首の一)

中巴の東 巴東の山、江水かいえつ開闢よりして其の間に流る

白帝は高く三峡の鎮と為る、夔州の険は過ぐ百牢関。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の風土についてのべている。十首の二:夔州城と白帝城、瞿塘峡と西陵峡そこでの事情)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

旧所古跡である白帝城と州の役所である夔州城はそれぞれ異なった意味と位置的にも違った。である、又面白いことに、この三峡の夔門である瞿塘峡も別名西陵峡と云い、歸州の西陵峡とどちらも楚峡で同一、殊名混同ということである。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄が険地に割拠するのは、天のおぼしめしではあるはずがなく、覇王から起って天下を併合するものがあるが、それは常道ではなく、その時々の事情に寄るものである。民心に信頼を置けていないものが、その時の状況だけで謀反を起すのは馬鹿げている。

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

 

夔州歌十句,十首之三

(夔州の風土についてのべている。十首の三:前王朝の徳のない施政を倒して、徳のある治世をしていたというのに、今、朝廷の風雅がなくなったのだろうか)

群雄競起問前朝,王者無外見今朝。

前王朝である隋の末期には、天下は乱れて、多くの羣雄が競って隋を問罪する戦を起し、我が唐王朝が王者無外、この国をあまねく統一し、今の様な中央集権国家を作ったのである。

比訝漁陽結怨恨,元聽舜日舊簫韶。

というものの、このごろ不思議にたえぬことは、盤石の体制であったものが、安禄山が、漁陽から起って王朝と怨恨を結んでから各地で羣雄が叛意を起し始めたことだ。元元、舜のような治世、「貞元の治」「開元の治」と言われた治世には、雅楽を始め旧来の簫韶のような洋々たる音楽を聴き、天上世界の徳を世に至らしめていたのである。(今徳の政治をしていない)

(夔州歌十句,十首の三)

群雄 競い起って 前朝を問う,王者 無外 今朝に見る。

比のごろ訝【いぶか】る 漁陽の怨恨を結ぶを,元と聽く 舜日 舊簫の韶。

 

 

夔州歌十句,十首之四

(夔州の風土についてのべている。十首の四:夔州の杜甫草堂から臨む景色を述べたもの)

赤甲白鹽俱刺天,閭閻繚繞接山

赤甲山も白塩山もともにそびえて天をつきさしている。村里の家家がうねうねと山のいただきまでつづいている。

楓林橘樹丹青合,複道重樓錦繡懸。

それをながめると楓の林、橘の樹がまじって丹青の色がいっしょになり、複道や重楼は錦繍がつるしてあるかのようにうつくしくみえる。

 

(夔州歌十句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。

 

 

夔州歌十句,十首之五

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)

大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。

いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

 

(夔州歌十句,十首の五)

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。

夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十句,十首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之五

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。
夔州歌十句,十首之五(含異文)

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花【江南江北春冬花】。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。


(下し文)
(夔州歌十句,十首の四)

赤甲 白塩俱に天を刺す、閭閻【りょうえん】繚繞【りょうじょう】山【さんてん】に接す。

楓林 橘樹 丹青合し、複道 重楼 錦繍【きんしゅう】懸かる。


(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)

大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。

いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。


(訳注)

夔州歌十句,十首之五

(夔州の風土についてのべている。十首の五:夔州の杜甫草堂から臨む大瀼水と長江の景色を述べたもの)

 

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

大瀼水の東側と西側とにわかれて一万戸ほどの人家があり、長江の南北にわたって春も冬も花がたえたことがないのである。

○瀼東瀼西 夔州の人は山潤の江に通ずるものを瀼という。奉節県の東に大瀼水があり、北より南に流れてほとんど直角に長江にそそぐ。瀼東瀼西とはこの水の東西をいう。大瀼水の発源地は達州の万頃池である。

○江北江南 長江は大瀼水とはちがい西より東へ流れる、よって北岸、南岸をいう。

 

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

いまふと川辺を見ると、たべあきたのだろうか、鶴の子らは白米を残して、背中ちがいに飛んでゆくし、鳧の雛どもはあとから前なるものをおうて歩き、菰の芽ぐんだ中へはいってゆく。

○背飛 相いそむいてとぶ。

○瓊蕊 瓊蕊は或は玉英のことといい、或は、白花のことという、恐らくはそのいずれでもなく白米をたとえていったものであろう。

○相趁 趁はあとからくっついてゆくこと。

○蒋牙 菰のつのぐみ、蘆芽の類をいう。

 

 

(夔州歌十句,十首の五)

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。