杜甫  夔州歌十句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

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夔州における杜甫の住まい(2)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

 草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅を説明してみよう。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は「>」の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 上の概略図は、現在の奉節一帯の衛星写真(Google Maps Hybrid版)から地形の輪郭を取り、その上に地名を書き込んだものである。なお唐代の役所の所在地については厳耕望氏『唐代交通図考』第四巻を参考にした。

 

瀼、赤甲山、白塩山

―――――――――――――――――――――

 瀼西宅のそばを流れる草堂河は、杜甫のころはまだ固有の名前がついていなかったと思われる。長江にはたくさんの支流が注ぎ込むが、三峡一帯ではその険しい山谷から長江に流入する渓谷の流れを「瀼」と呼んでいたようである。そのことは、杜甫の自注に「江水の山谷を横通する処、方人は之を瀼と謂う」と記されていることからわかる(王洙本巻十五《1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》詩「市曁瀼西巓」への原注)。杜甫もそうした当地のならわしによって、瀼西宅の前を流れて長江に流入するその川を「瀼」とよんだのであろう。

 瀼西宅のもう一つ奥の東屯宅での作とされる1937_奉酬薛十二丈判官見贈》の詩では、その瀼水が滄溟(海原)のように大きい長江に流れ込むさまを、

 

 

東西兩岸坼,橫水注滄溟。

東西は両岸坼()け、横水は滄溟に注ぐ

碧色忽惆悵,風雷搜百靈。

碧色に忽ち惆悵す,風雷に百靈を搜む。

空中右白虎,赤節引娉婷。

空中に白虎右り,赤節 娉婷を引く。

自云帝里女,噀雨鳳凰翎。

自ら云う帝の里女なり,雨を噀く 鳳凰の翎。

 

と詠じている。

 杜甫は詩の中でその「瀼」という言葉を何度も用いている。ただ「瀼西」というのがほとんどで、他は「瀼東」「瀼は滑らか」(その異文で「瀼は闊し」)「瀼の岸」「瀼の上」などである。

 ところで、瀼という字はあまり見慣れない。杜甫以前で、夔州の西または東の瀼に言及したものは、四庫全書(電子版)の範囲内では『水経注』が最初である。巻三三に「白帝山城は周迴二百八十歩、北は馬嶺に縁()り、赤岬山に接し、其の間の平処は、南北相去ること八十五丈、東西七十丈。又東は東瀼渓に傍()い、即ち以て隍と為す」とあり、この東瀼渓が今の梅渓河ではなく草堂河を指すことは、馬嶺、赤岬山、白帝城との位置関係から明らかである。その東瀼渓が白帝城の「隍」すなわち水の無い城濠の役割を果たすと言っているのは、冬場に水位が下がったときのことである。

 唐以前の詩及び全唐詩で、地理に関する名詞として瀼の字が使われているのは十六首あるが、そのうち杜甫が十三例を占め、あとは中唐の劉禹錫の竹枝詞に「瀼西春水縠紋生」とあるのが一例、九江のことを述べた盛唐の元結が二例あるに過ぎない。つまり夔州の草堂河を詩の中に歌ったのは杜甫が最初で、しかもそのほとんどが杜甫で、瀼は杜甫の詩と強く結びついているということである。浣花(渓)が成都草堂時代を代表する詩語だったように、瀼は杜甫の夔州詩を代表する一つの言葉だと言ってよい。

 草堂河(東瀼水)両岸の地区を杜甫は瀼東、瀼西という言い方をしている。夔州に着いてまもないころの詩1527_夔州歌十絶句》其五で、

夔州歌十絶句其五 

(夔州歌十句,十首の五)

瀼東瀼西一萬家,江北江南春冬花。

瀼東 瀼西 一万家、江北江南春冬花あり。

背飛鶴子遺瓊蕊,相趁鳧雛入蔣牙。

背飛する鶴子は瓊蕊【けいずい】を遺し、相趁【おう】の鳧雛【ふすう】は蒋牙【しょうが】に入る。

と詠じ、草堂河の東岸、西岸に広がる民家が一万戸と述べている。『新唐書』巻四十、地理志によれば、夔州は奉節、雲安、巫山、大昌の四県全体で、戸数は一万五千六百二十、人口は七万五千(『通典』や『太平寰宇記』の記述も大同小異)である。これからすると草堂河両岸だけで民家一万戸というのは、多すぎるかもしれない。だが句作りの関係から誇張されている分を差し引いたとしても、この地区の人口が相当多かったことを、杜甫は驚きつつ詩の中で詠じているのである。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

杜甫詩1500-971-1473/2500

年:766年大暦元年55-108

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之六

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州             

茅堂 (山南東道 夔州 夔州) 別名:東渚、東屯            

 

 

夔州歌十句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

 

(夔州歌十句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『夔州歌十句,十首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之六

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

(下し文)
(
夔州歌十句,十首の六)

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。


(訳注)

夔州歌十句,十首之六

(夔州の風土についてのべている。十首の六:草堂の大瀼水北の東屯に百頃の耕作地があり、此処には雨が多く、稲作に適していると述べたもの)

 

東屯稻畦一百頃,北有澗水通青苗。

東屯の耕作地には稲のうねが百頃ばかりもある。その北には澗水があって苗のあるところに通じている。

○東屯 奉節県の東十里、白帝城の東に東瀼水がある、水源は長松嶺であり白帝山を経て大江に流れ入る。公孫述が東瀼水のほとりに稲田を開墾したので、其の地を東屯という。○稲畦 いねのうね。

〇一百頃 頃は百畝の面積。

○青苗 旧注に陵の名とするが披名ではない、上の稲畦の苗をいうにすぎぬ。

 

晴浴狎鷗分處處,雨隨神女下朝朝。

ここには人なれたかもめは晴れに乗じて処処にわかれて浴みしているし、雨を随えた神女は朝が来るたびに天からおりてくる。

○晴浴 晴れに乗じて東瀼水に浴するのであろう。

○狎鷗 人になれたかもめ。

〇雨隨神女 宋玉の「高唐賦」に巫山の神女のことばとして「『妾巫山之女也,為高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。』王因幸之。去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。』旦朝視之如言。故為立廟,號曰『朝雲』。」(妾は巫山の女なり、旦には朝雲と為り、暮には行雨と為る、朝朝暮暮、陽台の下に」とある。神女が来れば雨がこれに随う。

○下朝朝 下は雨がくだるということのようにも思われるが、上句の狎鷗を主とするのよりいうならば其の対句として此の句も神女を主とするのがよい、朝朝の二字は賦中の語を用いる。 

 

東屯の稲畦【とうけい】一百頃【けい】、北に澗水の青苗に通ずる有り。

晴れて浴する狎鷗【こうおう】は分かるること処処なり、雨を随えたる神女は下ること朝朝なり。
唐時代 地図山南 東・西道50