杜甫  夔州歌十句,十首之九  

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

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夔州における杜甫の住まい(5)

雲安⇒ 客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯

 

瀼西宅と白帝城

―――――――――――――――――――――

白帝山(城)は、西方向で比較的近く、地続きだから陸路でも行けるし、視界にも入る。杜甫が詠じる白帝城は、夔州城とは、つまり州の役所とは別物であった。そのことは杜甫自身が「白帝と夔州は各(おのおの)城を異にす」(1527_夔州歌十絶句》其二)と述べていることから明らかである。とはいえ厳耕望氏によれば、夔州城は白帝城と連接していた。

 

夔州歌十句,十首之二

(夔州の歌 十句,十首の二)

白帝夔州各異城,蜀江楚峽混殊名。

白帝 夔州 各の城を異にす,蜀江 楚峽 殊名を混ず。

英雄割據非天意,霸主并吞在物情。

英雄 割據は天意に非らず,霸主の并吞するは物情に在り。

そしてそれは白帝城の北にあり、白帝城よりはずっと大きく、旧赤甲城の場所にあった(注'⑹'参照)。もちろん唐代の夔州城は梅渓河の方にはなかった。一方、白帝城には旧都督府の役所があったのではないかと思う。杜甫が夔州に滞在していたとき、夔州都督府は既に廃されていたが、白帝城は州より一つ上位の都督府的な役所(防禦使など)として、一部機能していたのではなかろうか。杜甫は白帝山の西閣に住んだことがあり、白帝城をひどく気に入って何度も詩に描いたが、夔州城にはあまり心惹かれていないようだ。

 

 

 さて、大暦二年の冬は、成都を去り三峡を下り始めてから数えると三年目になる。それなのに、いまだ夔州に滞っている。杜甫はそんな自分を隠遁生活者のように見立て、現世の栄辱を達観し是非曲直を没却しようとしている。20100_寫懷二首》其一に、

 

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

鄙夫のわれは 巫峡に到り、この三歳は あたかも燭を転ずるが如し

全命甘留滯,忘情任榮辱。

命を全うして 留滞に甘んじ、忘情任榮辱。 情を忘れて 栄辱に任す

  ……

 

編蓬石城東、采藥山北谷。

(むかしよもぎ)を編みてすまう 石城の東、薬を采()る 山北の谷

  ……

 

曲直吾不知、負暄候樵牧。

曲直は 吾は知(あずかりし)らず、暄(ひだまりのぬくもり)を負()にして 樵牧を候()

勞生共乾坤,何處異風俗。

冉冉自趨競,行行見羈束。

無貴賤不悲,無富貧亦足。

萬古一骸骨,鄰家遞歌哭。

鄙夫到巫峽,三如轉燭。

全命甘留滯,忘情任榮辱。

朝班及暮齒,日給還粟。

編蓬石城東,采藥山北谷。

用心霜雪間,不必條蔓綠。

非關故安排,曾是順幽獨。

達士如弦直,小人似鉤曲。

曲直我不知,負暄候樵牧。

という。石城がどれを指すか確定できないが、漢の旧赤甲城、六朝の旧巴東城、唐の夔州城、白帝城などは歴代いずれも梅渓河以東、赤甲山、白帝山の周辺にあった。ただいずれの地であるにせよ「石城の東」といえば草堂河の方になり、決して梅渓河の方にはならない。だからこの詩で、「石城の東に蓬を編む」というのは、白帝城の西ではなく、東方面の粗末な瀼西宅で生活を営むことを指すことになる。

 だから同じ年の秋1940_秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻》の冒頭で、瀼西宅の居所を、

秋日夔府詠懷奉寄鄭監李賓客一百韻

 

絶塞烏蠻北、 孤城白帝邊。

絶塞 烏蛮の北、孤城 白帝の辺。

飄零仍百里,消渴已三年。

 

と概括して述べているのである。

 次の詩からは、日没の方角から瀼西宅が白帝城の東にあることがわかる。杜甫の母方のおじ筋にあたる親戚で侍御四なる人物が使者として夔州に来ていたが、彼がいよいよ夔州を出発するとき杜甫の家を訪れた。それを送別したのが1934_巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗(巫峡の敝廬(あばらや)にて、侍御の四舅が別れて澧朗(レイロウ)に之()くに、贈り奉る》758年の詩である。

 

巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗

(卷一九34

江城秋日落,山鬼閉門中。

江城に 秋の日は落ち、山鬼のごときわれは 閉じし門の中にあり

行李淹吾舅,誅茅問老翁。

行李(使者)として 吾が舅はここに淹(ひさ)しかり、茅(かや)を誅()りてすまう この老翁のわれを おとずれ問う

赤眉猶世亂,青眼只途窮。

赤眉 猶お世亂,青眼 只だ途窮。

傳語桃源客,人今出處同。

傳語す 桃源の客,人は今 出處 同じ。

一句目の「江城」は1508_白帝城に上る二首》其一に「江城は変態を含み、一たび上れば一回新たなり」とあるように白帝城を指している(夔州詩には江城は四度出てくるがみな白帝城とみなしてよい)。この時、瀼西宅で秋の日が暮れていったが、日が沈んでいく西の方角には、江城すなわち白帝城が見えていた。もしも瀼西宅が梅渓河西岸にあるなら、そのような現象は起こりようがない。このことから瀼西宅は白帝城の東の方向であることがわかるのである。

瞿塘峡・白帝城・魚復 

 

年:-766年大暦元年55-111

卷別:    卷二二九              文體:    樂府

詩題:    夔州歌十句,十首之九

作地點:              目前尚無資料

及地點:              夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國  

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟            

 

 

夔州歌十句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

(夔州歌十句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。
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夔州東川卜居図詳細 002 

 

『夔州歌十句,十首之九』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

夔州歌十句,十首之九

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(含異文)            武侯祠堂不可忘【武侯生祠不可忘】,中有松柏參天長。干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。
(下し文)
(夔州歌十句,十首の九)

武侯の祠堂 忘る可からず,中に松柏の天に參して長き有り。

干戈 滿地 客愁 破れ,雲日 火の如し 炎天にも涼し。

(現代語訳)
(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。


(訳注)

夔州歌十句,十首之九

(夔州の風土についてのべている。十首の九:夔州の永安宮の傍、赤甲山の麓にある武侯廟は松柏が茂っているが、世界何処でも戦火がおさまらず、旅愁は散じ、この地の炎天も雲によって涼しくなると歌う。)

 

武侯祠堂不可忘,中有松柏參天長。

諸葛亮、武侯の祠堂こそは、忘れかねる、この祠堂廟の庭には、天にまじわらんばかりに伸びた松柏が茂っている。

○武侯祠堂 武侯は蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

杜甫《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》

遺廟丹青落,空山草木長。

猶聞辭後主,不復臥南陽。

(武侯の廟)

遺廟 丹青落ち、空山 草木長し。

猶お聞くがごとし 後主を辞するを、復た南陽に臥せず。

(夔州の諸葛亮の廟をたずねてよんだ詩。)

いまのこっている廟はふるぼけて絵の具が落ちてしまい、さびしい山にただ草や木がたけたかく伸びている。ここへおまいりすると孔明の英霊がなお存在して彼が後主に出陣の暇乞いをしたときの声音をそのまま聞くようである。

彼はあのときは畢生の決心をかためて立ちあがったので、あれ以来は決してふたたび南陽に臥ていようなどのかんがえはもたなかったのである。

766年-87杜甫 《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-87 <950 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6385

○參天 手に突き刺すように伸びる。そして、それが交わるように伸びていることをいう。

 

干戈滿地客愁破,雲日如火炎天涼。

そこへくると世界は戦だらけでも、自分の旅愁は散じてしまい、雲日。火のごとき焼け焦げの炎天にも涼しく感ぜられるのであることも忘れられない。

○干戈滿地 国中どこでも干戈を交えて戦っている。

○客愁破 旅をしている自分の旅愁は散じてしまう。
唐時代 地図山南 東・西道50