杜甫  秋興,八首之三   

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。  信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。  同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

766-116杜甫 《巻1728秋興,八首之三》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-116 <979 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6575 

 

 
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秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

(秋興 八首 之〔一〕)

玉露 凋傷す 楓樹の林、巫山巫峡 気 蕭森たり。

江間の波浪 天を兼ねて沸き、塞上の風雲 地に接して陰(こも)る。

叢菊両(ふたた)び開く他日の涙、孤舟一(ひとえ)に繋ぐ故園の心。

寒衣 處處 刀尺を催(うなが)し、白帝城高くして 暮砧 急なり。

 

 

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之二 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州別名:夔府、信州、夔國     

 

秋興,八首之二

(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。 

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり、地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろい染めてきたのである。

 

(秋興 八首 の〔二〕)

夔府の孤城 落日 斜めなり、毎【つね】に北斗に依りて 京華を望む。

猿を聽いて 實に下す 三聲の涙、使を奉じて、虚しく隨ふ、八月の槎。

畫省の香爐、違ひて枕に伏し、山樓の粉蝶、悲笳に隱る。

請ふ、看よ、石上 藤蘿の月、已に映ず、洲前 蘆荻の花。

 

杜甫詩1500-979-1486/2500

年:766年大暦元年55-116

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之三 

 

 

秋興,八首之三

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

(秋興,八首の三)

千家 山郭に 朝暉 靜かなり,一日江樓 翠微に坐す。 

信宿 漁人 還た 汎汎,清秋の燕子は故に飛飛。 

匡衡 疏を抗り 功名薄く,劉向 經を傳えて 心事 違う。 

同學の少年 多く賤からず,五陵の衣馬 自ら輕肥たり。 

瞿塘峡・白帝城・魚復夔州東川卜居図詳細 002 

『秋興,八首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之三

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 
秋興,八首之三(含異文) 千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微【百處江樓坐翠微】【日日江樓坐翠微】。信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 


(下し文)
(秋興,八首の三)

千家 山郭に 朝暉 靜かなり,一日江樓 翠微に坐す。 

信宿 漁人 還た 汎汎,清秋の燕子は故に飛飛。 

匡衡 疏を抗り 功名薄く,劉向 經を傳えて 心事 違う。 

同學の少年 多く賤からず,五陵の衣馬 自ら輕肥たり。 
山麓の千戸の郭に朝日は静かに射し、緑の香気に川辺の楼に一日を坐す

一二夜泊りの釣人は点々と舟を浮かべ、澄んだ秋空に燕は何度も飛び廻る

今、匡衡は上奏しても功名薄く、いまの劉向は経書を講じても事志と違う

同学の若者らは多く立身出世し、五陵で軽裘肥馬得意の身分となっている


(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

 


(訳注)

秋興 八首 之〔三〕

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

 

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

千家山郭 千家は戸数をいう、山郭は山によっているそとくるわ、作者の居処である。瀼西に引っ越す前に作った《1553_白塩山》の詩では、瀼東地区には千戸の民家があったと述べている。

白鹽山【白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】

卓立群峰外,蟠根積水邊。他皆任厚地,爾獨近高天。

白榜千家邑,清秋萬估船。詞人取佳句,刻畫竟誰傳。

766-90杜甫 1568白鹽山【案:白鹽崖高千餘丈,在州城東十七里。】》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-90 <953 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6400

瀼西宅の周辺は、その対岸の瀼東地区ほどには民家が密集していないが、瀼西の地そのものが狭いこともあり近隣との距離はかなり近かった。瀼西宅では杜甫のすぐ近辺に住まう農夫や漁夫や樵夫たちの生活の息吹が聞こえ、彼らと関わりを持ちながら生活していた。○靜朝暉 あさ日のひかりがしずかにさしている。

○江楼 江辺の棲、しばしば見える酉闇であろう。

○坐翠微 山の半腹に坐す。江楼が翠徴中に在るのである。山気の青線色なるものを翠徴という。坐翠徴を山が楼前を繰ることと解く説があるがよろしくない。楼前を繰ることを言おうとするならば「対二翠徴こというべきである。

杜甫にとって、瀼西宅やその回りの畑や果樹園、そして瀼西宅のある江村は、衣冠を脱ぎ捨てることのできる休息の地であり、本来の自分を取り戻せる地、心安まる静かな場所である。城内に居てそこを思うと、早く駆けつけたくて心うきうきする場所であった。

 しかし瀼西の地は一方ではまた、さきの《1920_甘林》の詩に「喧と静とは科を同じうせず、出と処とは各の天機なり」と述べていたように、そこは「出」すなわち出仕や仕官に対する「処」の場所、すなわち隠遁的世界でもあった。瀼西宅を隠遁地と見なした詩句はたくさん挙げることができる。ここに引きこもって長安や故郷を思うとき、気分は落ち込み、孤独感におそわれ、無為のままに老いが迫ってくるという焦燥感に駆られたりもしたのである。

客観的には人里離れた荒涼とした場所ではなく、市場にもそう遠くないし、村祭りも盛んに行われ、増水期には舟の往来も多く、漢族や現地の少数民族が入り交じり、人の気配が思ったよりは色濃くただよっていると言える。このほかにも、ここでは述べないことにするが瀼西宅への来客も少なくなかったし、士人階層との社交は城内だけではなく、杜甫の家でもしばしば行われていた。もちろん問題は、瀼西の地が客観的にどういう土地かということではない。その地を杜甫がどのように感じてどのように詩に描いているかである。

 

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

○信宿 宿は宿、再宿を信という一夜二夜、船が漁することをいう。

還汎汎 汎汎は舟のぷかぷかうかぶさま、還というのは彼もまた自分の如くつねに漂泊しつつあることをいう。

○故飛飛 燕は秋の社日に立ち去って翌年の仲春にまた来る。今去るべくしてまだ去らずにいる、ゆえに「故に」という。

 

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

○匡衡抗疏 漢の元帝の時、匡衛はしばしば疏をたてまつって便宜を陳べ、遷って光禄大夫・太子少傳となった。抗疏は上疏の意、疏は上奏の文章をいう。杜甫は宰相房琯と党派をなして、貨幣悪鋳、などの経済政策の賀蘭進明、第五琦らと対立し、これに敗れ、房琯は左遷、これをを救おうとして論争し、肅宗の逆鱗に触れたことがある、また左拾遺としてしばしば疏をたてまつったのであろう、因って匡衝を以て自ずから比する。

○功名薄 衛は光禄大夫となったが作者はかえって官位より退けられ、華州参軍に左遷されるに至ったことをいう。

劉向傳經心事違 前漢の末、劉向は禁中の経書を校して世に残し、其の子歆もまた父の職をついだ、すなわち父子経を伝うである。心事違とは伝経の心事を遂げることができないとの意。其の子が不肖であり己の業をつぐことの向歆父子の伝経の如くであることを得ないことを嘆じたものであろう。

 

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 
これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

○同学少年 幼少の時同じく学んだ人人。

○不賎高位高官となっているものをいう。

〇五陵長安の近地で富貴豪快の徒の住居する処である。五陵とは漢の高祖の長陵、恵帝の安陵、景帝の陽陵、武帝の茂陵、昭帝の平陵をいう。

○衣鳥目軽肥 軽衣を着、肥馬に跨ることをいう。豪奪なさまをいう。これらは、杜甫の巻十53 少年二首など多く述べている。

杜甫 少年行

少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500

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少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

 

李白

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166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

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197-#2 《巻3-25 結客少年場行 -#2》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <197-#2> Ⅰ李白詩1422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5658

263#1 《巻五 34少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】#1》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 720000<263#1> Ⅰ李白詩1527 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6183

263#2 《巻五 34少年行#2》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1528 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6188

263#3 《巻五 34少年行#3》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#3> Ⅰ李白詩1529 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6193

263#4 《巻五 34少年行#4》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳-2 <263#4> Ⅰ李白詩1530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6198