杜甫  秋興,八首之五  

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班 
(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

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杜甫詩1500-981-1488/2500

 

年:766年大暦元年55-118

卷別: 卷二三○  文體: 七言律詩 

詩題: 秋興,八首之五 

及地點: 大明宮 (京畿道 京兆府 長安別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿     

     故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關別名:秦關     

 

 

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

 

(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。

 

 長安城図 作図00

『秋興,八首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之五

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班 
蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。

西望瑤池降王母【案:楊貴妃初度女道士,故唐人多以王母比之。】,東來紫氣滿函關【案:唐以老子為祖,屢徵符端。】。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班【幾迴青瑣點朝班】。 


(下し文)
(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。


(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

大明宮-座標02
(訳注)

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

 

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

○蓬莱宮闕 蓬莱宮の門閥をいう。蓬莱宮は大明宮の別称である、「雍録」にいう、丹鳳門よりして北すれば含元殿あり、又北すれば宜政殿あり、又北すれば紫宸殿あり、三殿南北相い沓す、皆、山上に在り、紫宸殿に至り又北して蓬莱となれば山勢尽く、と。蓬莱宮は竜首岡に在りて地勢が最も高い。「唐会要」にいう、宮、北は高原に拠り、南は爽壇を望む、天晴れ日朗なる毎に南、終南山を望めば掌に指すが如く、京城の坊市街陌、檻内に在るが如し、と。其の眺望を想像することができよう。

○対南山 南山は長安の南にある終南山である。

○承露金莖霄漢間 漢の武帝は建章宮に承露盤を設けた、銅柱の高さは二十丈、大きさは七囲、上に仙人掌があって盤を承ける、この盤に天の露を承けさせ、それに玉屑をまぜて飲み、長生を求めたのである。金茎とは銅柱をいう。此の銅柱は建章宮の西に建てられたものである。建章宮は長安城外の西北隅に在ったもの、唐の大明宮は長安の東北に位する、唐代には金茎を建てたことはなく、また武帝時代の銅柱が残存していたわけでもない。此の一句は作者が架空に憩いを設けたものに過ぎない。恐らくはすでに崩御している玄宗の求仙をほのめかせたものであろう。

 

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

○西望瑤池降王母 瑤池降王母の事は《巻二07同諸公登慈恩寺塔》(惜しい哉瑤池の飲 日は日晏し昆侖の邱丘)惜むべきことである、瑶池西王母のところで酒を飲んで帰らなくなっているのと同じことだ、そのまま昆侖邱で日がくれかかって来ているということではないか。

瑶池王母のこと。本来は、東の理想国に対して、西の理想国の母とした女仙人を示すが、ここでは、周の穆王が西に巡符して崑崙に遊び、彼女に会い、帰るのを忘れたという話が「列子」にみえるところから、そのうえ、彼女の性が楊なので、玄宗が楊貴妃に溺れることを指す。

同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39

○東来紫気満函関 「関尹内伝」にいう、関(函谷関をいう、函谷関は河南省陝州霊宝県の西南にある)の令尹喜かつて楼に登り東極に紫の気ありで西に邁くを望見して日く、応に聖人の京邑を経過するあるなるべしと、乃ち斎戒す、其の日果たして老君(老子)青牛車に乗じて来たり過ぐるを見る、と。此の句は、唐が老子を尊んだので瑞気のあることをいうのである。《巻十八79承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句,十二首之九》「東逾遼水北滹沱,星象風雲喜共和。 紫氣關臨天地闊,黃金臺貯俊賢多。」と同一用意である。貴妃、老子を帯びていうものと考える。

 

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

○雲移雉尾開宮扇 雲移の雲は扇影を形容していう、移とは扇影が開くことをさす、唐の儀衛志によると、唐には雉尾の障扇(雉の尾でつくった物をさえぎるうちわ)があり、天子が御座におでましになろうとするときは左右より扇を合し、天子の坐が定まれば扇を去った。扇を去るとはすなわち雉尾でつくった宮扇がうち開かれることである。なお《至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二》「「麒麟不動爐煙上,孔雀徐開扇影還。」と見える。至日遣興,奉寄北省舊閣老、兩院故人二首 其二kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 281

〇日繞龍鱗識聖顏 日繞とは日光が竜鱗をめぐること、竜鱗とは天子の衣は裏表といって巻き竜の模様をえがいたが、その模様の竜のうろこをいう。日光が御衣をめぐって照らすのによっておのずと聖顔をしりわけることができるのである。聖顔は天子のおかおをいう。粛宗についていったものである。

 

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

〇一臥滄江 滄江はひろい江水、夔州を流れる長江をいう。

 秋節を歳晩といっている。

○青 宮門をいう、その門の上頭を鎖状波状に彫刻して青色で塗るのによって青という。

○点朝班 点は点検などの点である、朝位に参列する者の姓名のうえに点をつけてしらべることをいう。これを玷辱の玷(けがす)ではない。朝班は朝の班列で、位の上下によって班列が異なる。