杜甫  秋興,八首之六   

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。
(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

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杜甫詩1500-982-1489/2500

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

 

(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。

 

 

年:766年大暦元年55-119

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  秋興,八首之六

作地點:        目前尚無資料

及地點:瞿唐峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘、瞿唐     

樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭   

 

秋興,八首之六

(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

 

(秋興,八首の六)

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦䌫【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。

長安城図 作図00 

 

『秋興,八首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之六

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。
詩文(含異文)  瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。朱簾繡柱圍黃鶴【朱簾繡柱圍黃鵠】,錦纜牙檣起白鷗。迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。


(下し文)
(秋興,八首の六)

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦䌫【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。


(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

興慶宮00
(訳注)

秋興,八首之六

(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して、現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

 

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

瞿唐峽 夔門、夔州にある、すでに見える。重慶市と湖北省の境界をなす巫山を長江(揚子江)が浸食して形成した大峡谷。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までで全長196km。その間が瞿唐峡,巫峡,西陵峡の三つの峡谷に大別されることから,三峡と呼ばれる。山地の上昇運動に先行して下方浸食が営まれたことにより形成された。その中心部は花崗岩であるが,長江の流れが石灰岩層を貫くところでは両岸が迫り,川幅が100mに満たない地点もあり,断崖絶壁をなして水面から崖の上まで500mをこえる。

曲江 長安中心部より東南東数キロのところにある池の名。また、地名。風光明媚な所。

曲江三章 章五句(1) 杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52

曲江三章 章五句 (2):kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 52 

曲江二首 其一 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 244

曲江二首 其二 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 245

曲江封酒 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 246

曲江封雨 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 247

曲江陪鄭八丈南史 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 248

万里 夔州と長安との距離の遠いことをいう。

風煙接素秋 「素秋にあたって風煙相い接する」ことをいう、素は白に同じ、秋の色を五行思想で白とする。

 

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

花萼夾城 花萼夾城は元来は別物であるがここは一に見なしていっている。唐の南内(南の御所)を興慶宮という、宮の西南隅に花萼相輝・勤政務本の楼があり、玄宗の開元二十六年六月、苑安及を遣わし花萼樓を広め夾城を築いて芙蓉苑に至らせた。芙蓉苑は曲江の園である、夾城とは左右に障壁を築いた道路のこと、他人に見られぬためと、危害に対する警備のためとによって隔するのである。この夾城の道路は更に複道といって高下二重に道を設け天子は高い方の道をとおる。花萼樓よりつづく夾城であるのにより一つにみなす。

通御気 御気とは天子の気をいう、天子の在る所には雲気がある、これを御気という、通とは長安より夔州まで通り、通っていることをいう。いわゆる風煙相接すである。

芙蓉小苑 小さい芙蓉苑ということ。曲江のほとりに秦の時には宜春苑を置いたが、漢の文帝は曲江の曲の字をにくみ、かつ其の地に芙蓉の多いことにより芙蓉園といった。唐もまた離宮を置き芙蓉園という。夾城・芙蓉園については更に《巻二06楽遊園歌》「青春波浪芙蓉園,白日雷霆夾城仗。」(青春 波浪 芙蓉の園、白日 雷靂 爽城の供)この春真っただ中にあって、波をたたえている芙蓉園がある、そこに、真昼であるのに雷靂がとどろくかとおもわれるような音をたてて爽城の路に天子の旗指物の列が通られている。

・青春 はる、五行の考えでは春の色を青とする。・芙蓉園 長安城の東南にあり、曲江の西南に位する。これと香園とは秦の宜春下苑の地であり、園内に芙蓉池がある。・雷霆 かみなり、いかずち。これは車馬・音楽などの音をたとえていう。・爽城仗  仗は天子行幸の儀使(はたさしものをつらねた行列)をいう。宮廷警護の軍隊のみが使用する武器。夾城とは垣壁を以てはさんだ道路、開元二十年に大明宮より芙蓉園までこの道路を築いた。

樂遊園歌  杜甫38

人辺愁  辺愁とは杜甫が南の辺地夔州においての愁いをいい、入辺愁とは苑が我が辺愁の中に入ることをいう。この辺愁は作者が辺地である夔州にあっての自己の愁いをさしていっている。

 

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

朱簾繡 珠をかざったすだれ。ぬいとりの切れを施したはしら、離宮に属するものである。○囲黄鶴 黄鶴は伝説上の鳥の名(黄鶴伝説)、これが実物であるか否かについては異説がある。実物とするものは真っ白ではない鶴、池苑中に棲む鳥とする。別説は簾柱のぬいとりの模様とみる。今は模様とする説の法を採用する。

錦纜牙檣 にしきのともづな、象牙の飾りを施した帆ばしら。池苑に浮かべられる御船のさまである。

起白鴎 白鴎は池水に棲むしろいかもめ。起とは水に浮かんでいたものが御船のすぎるのによって飛びたつことをいう。

 

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

歌舞地 天子が遊幸せられ歌や舞をしてお楽しみになったところ。すなわち曲江の離宮あたりをさしていう。

秦中 關中と京兆のことというの類、秦の都した地、すなわち長安をさす。

帝王州 帝王が居住せられる州、都たるべき処であることをいうが、その血が再三にわたって、ウイグルや吐蕃に蹂躙されているころ。第七第八の句は前後置きかえ、倒句法でみるのがよい。

 

 

瞿塘峡の入口と曲江のほとりとは、澄みわたる秋万里の風煙で繋がっている

天子の御気は花萼楼から夾城に通じ、辺境の憂患が芙蓉苑まで入り込んでいた

朱簾繡柱 美殿は黄鶴をとりかこみ、錦纜 牙檣 麗船は白鷗をおどろかす

遥かに望めば感にたえない歌舞遊宴の地よ、長安は昔から帝王の都する地であったのだ

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。