杜甫 《巻1732秋興,八首之七》

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。
(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

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杜甫詩1500-983-1490/2500

年:766年大暦元年55-120 

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    秋興,八首之七

作地點:              目前尚無資料

及地點:昆明 (劍南道南部 嶲州 昆明)           

 

秋興,八首之七

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

 

(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

 

 

『秋興,八首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之七

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。
詩文(含異文)     昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。織女機絲虛月夜【織女機絲虛夜月】,石鯨鱗甲動秋風。波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。


(下し文)
(秋興,八首の七)
昆明の池水は漢時の功なり、武帝の旌旗【せいき】は眼中に在り。

織女の機糸は月夜に虚しく、石鯨の鱗甲は秋風に動く。

波は菰米を漂わして沈雲黒く、露は蓮房を冷ややかにして墜粉紅なり。

関塞  極天  唯だ鳥道、江湖 満地  一漁翁。

 
(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

京兆地域図002
(訳注)

秋興,八首之七

(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

 

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

昆明地 池の名、長安県西二十里にある、周回四十里、漠の武帝の元狩三年、詞更を発してこれを穿たせた。武帝はこれを演池(雲商にある)に象って作り、水戦を習わせた。武帝は身毒国(今の印度)と交通を開こうとしたが昆明国(雲南)が路を閉じたのによりこれを征伐しょうと欲したのである。

漢時功 漢代にしでかした事功であることをいう。

武帝旌旗在眼中 武帝旌旗とは武帝の造った楼船上の旋旗をいう。「史記」(平準書)「是時越欲與漢用船戰逐,乃大修昆明池,列觀環之。治樓船,高十餘丈,旗幟加其上,甚壯。」にいう、武帝大いに昆明地を修め、楼船を治む、高さ十余丈、旗職を其の上に加う、甚だ壮なり、と。また「西京雑記」にいう、《西京雜記》 「明池中有戈船、樓船各數百艘。樓船上建樓櫓,戈船上建戈矛,四角悉垂幡,旄葆麾蓋。照灼涯涘。」(昆明地中には曳船・楼船各よ数百鰻あり、楼船の上には楼櫓を建て、曳船の上には曳矛を建て、四角に幡を垂れ、施族裸魔、涯漠を照灼す、と。船容の壮んなさまを想像できる。在眼中とは今猶お彷彿としてこれを見ることをいう。此の句は表面は漢の武帝をいうが、実は漢を借りて唐を言うもので玄宗の事をいうのである、作者の《寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻》「無複雲台仗,虛修水戰船。蒼茫城七十,流落劍三千。」(復た雲台【うんだい】の仗【じょう】なし 虚しく修む水戦の船。蒼茫【そうぼう】城 七十、流落 剣 三千。)儀式をおこなう際にも、とても以前のような儀仗を御殿に並べることは無く、漢の武帝がむだな舟戦の準備したものの無駄に終わって都は攻め落とされたようなものだ。はるかに茫漠たる地方まで味方の城は七十も安史軍にうばわれ、集められた趙の三千の剣士がちりぢりに散じた様に九節度使軍も散りじりになった。

の語がある、玄宗もまたかつて船をここに置いたことを知ることができる。

 

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

織女横絲虚夜月 曹牝の「志怪」にいう、昆明池には二石人を作り、東西相望ましめ、牽牛織女に象る、と。また張衛の「西都賦」の注にいう、牽牛織女を左右に作り以て天河に象る、と。織女があれば織機がある、よって機杼絲という。虚夜月とは織女の石機の形体のみいたずらに月下に存ることをいう。

石鯨鱗甲動秋風 「西京雑記」にいう、昆明地には玉石を刻して鯨魚をつくる、雷雨に至る毎に常に鳴き吼え鬐尾皆動く、と。動秋風とは今日なお鱗甲が秋風に動きつつあるがごとくであることをいう。

 

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

菰米 彫蔀米というものである、まこもに似ている植物で、みのる、一種の米である。

沈雲黒 沈雲とは水底にうつっている米の影をたとえていう、米のもみは黒いというのにより雲色もまた黒い。

蓮房 はすのはなぷさ。

墜粉紅 粉は蓮花の花粉である、墜粉はこぼれおちる花粉、紅とは黄粉のふるびですこしくあかみを帯びることをいう。

 

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

○関塞 せきしょ、とりで。夔州の城塞をいう。

極天 天にいたる、鳥道の高いことをいう。

鳥道 飛鳥のすぎる道。

江湖 江と湖、夔州及び荊南をかけていう。

滿地 土地全部の意であり「到る処」という意。

一漁翁 自己の漂泊すること一漁翁のごとくであることをいう。水べりの隠遁者。
長安付近図00長安の近郊