杜甫  秋興,八首之八  

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。
(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。

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杜甫詩1500-984-1491/2500

年:766年大暦元年55-121

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    秋興,八首之八

作地點:              目前尚無資料

及地點:              昆吾亭 (京畿道 京兆府 長安)           

樊川 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:御宿         

紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

渼陂 (京畿道 京兆府 鄠縣) 別名:西陂         

 

 

秋興,八首之八

(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。

また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。

綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。

この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。

(秋興,八首の八)

昆吾 御宿 自ら逶迤(いい)たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。

香稲  啄み余す 鸚鵡の粒、碧梧  棲み老ゆ  鳳凰の枝。

佳人と翠を拾いて春に相い問い、仙侶と舟を同じくして晩に更に移る。

綵筆【さいひつ】は昔曾て気象を干【おか】せしに、白頭  吟望して低垂【ていすい】に苦しむ。

鳳翔から華山長安付近 

秋興,八首之七

(秋の感興をのべた詩である。第七首は長安の昆明地のことを思い、現在自己のこれと遠く離れていることを歎じている。)766年大暦元年55-120の作。

昆明池水漢時功,武帝旌旗在眼中。

漢代の人の功によって長安の昆明池はできたものであるが、あの池の水に武帝の楼船の旌旗がうかんでいたさまは今もはっきり眼のなかにあるようである。

織女機絲虛月夜,石鯨鱗甲動秋風。

だが、あそこでは織女の石像の機織糸もいたずらに夜の月の下に形体ばかりをとどめ、石造の鯨の鱗甲もむなしく秋風に動きつつある。

波漂菰米沈雲黑,露冷蓮房墜粉紅。

そうして黒くみのった菰米は波にただよわされてその影が沈める雲の黒きが如くみえ、露冷やかに置いた蓮の花房からはおちちる花粉が赤らみながらこぼれている。

關塞極天唯鳥道,江湖滿地一漁翁。

(自分はそんな様子を思い浮かべるのだが)ここの城塞から長安の方をながめやると、唯だ鳥の通い路が一すじ天にとどくように高く横たわっておるばかりで、此の身は江湖到る処、漂泊を事としておるひとりの水べりの隠遁者の翁として存在するにとどまるのである。

(秋興,八首の七)
昆明の池水は漢時の功なり、武帝の旌旗【せいき】は眼中に在り。

織女の機糸は月夜に虚しく、石鯨の鱗甲は秋風に動く。

波は菰米を漂わして沈雲黒く、露は蓮房を冷ややかにして墜粉紅なり。

関塞  極天  唯だ鳥道、江湖 満地  一漁翁。

 

漢長安と昆明湖 昆明杜渠 

 

年:766年大暦元年55-119

卷別:  卷二三○        文體:  七言律詩

詩題:  秋興,八首之六

作地點:        目前尚無資料

及地點:瞿唐峽 (山南東道 夔州 夔州) 別名:瞿塘、瞿唐     

樂遊原 (京畿道 京兆府 長安) 別名:宜春北苑、宜春北院、宜春苑、太平公主山莊、曲江、樂遊苑、樂遊園、江頭   

 

秋興,八首之六

(秋の感興をのべた詩である。第六首は、昔年、天子が樂遊原、曲江の離宮へ御遊になったことを追想して現時の荒廃を歎じている。)766年大暦元年55-119の作。

瞿唐峽口曲江頭,萬里風煙接素秋。

この夔州の瞿塘峡の口、夔門、と長安の曲江の頭とは万里の遠きを隔てているのであるが、秋にあたりて風煙はるかに相接しておる。

花萼夾城通御氣,芙蓉小苑入邊愁。

すなわち彼の地の興慶宮の花萼樓、爽城から曲江まで天子の気がかようておるし、かの芙蓉園の中の小苑の出来事さえ、思い出して自分のここでの愁いのこころのなかにはっきりはいってくる。

朱簾繡柱圍黃鶴,錦纜牙檣起白鷗。

芙蓉園に御遊のおりに同行した時、御殿には繍柱がたちならび、珠のすだれがかけつらねられ、黄鶴のぬいとり模様がぐるりととりかこみ、御船遊びのときには錦纜牙檣のすぎるところ白い鴎を飛びたたせた華燭で長閑なものであったが、しかるにいまのありさまはどうであるか。

迴首可憐歌舞地,秦中自古帝王州。

古来、秦中より、長安は帝王の居住あそばされる州であるにかかわらず、首を巡らせば、ウイグルや吐蕃に蹂躙され、あの盛んに歌舞の遊びをきわめられた場所も憐れむべき状態に陥っておるではないか。

 

(秋興,八首の六)

瞿塘峡口【くとうきょうこう】と曲江の頭と、万里の風煙  素秋に接す。

花萼【かがく】の夾城【きょうじょう】  御気通い、芙蓉の小苑  辺愁 入る。

朱簾 繡柱 黄鶴 を囲み、錦䌫【きんらん】  牙檣【がしょう】白鷗を起たしむ。

首を廻らせば憐れむ可し 歌舞の地よ、秦中は古より帝王の州。

 

秋興,八首之五

(秋の感興をのべた詩である。第五首は長安宮殿の盛をいい、自己のかつて朝班に立ったことを追憶する。766年大暦元年55-118の作。

蓬萊宮闕對南山,承露金莖霄漢間。 

蓬莱宮の宮門は、終南山を正面南に対している。それから承露盤の銅柱がおおぞら天のがわの間にまで高くそびえていたのである。

西望瑤池降王母,東來紫氣滿函關。 

西の方をのぞむと瑤池には西王母の仙女が降りるし、東をみれば紫の瑞気がやって来て函谷関にいっぱいになる。

雲移雉尾開宮扇,日繞龍鱗識聖顏。 

かような形勢をびかえた宮殿において、朝廷へ天子出御のそのおりには、雲かとまごう団扇がおしうつったかとおもうと雉尾の宮扇がさっと左右に開かれ、日光が御衣の竜鱗をめぐるのによってそれと聖顔をしって伏おろがむ。これらはみな過去の事となったいま、自分は一たび江辺に高臥して、ただ歳の晩れんとするのに驚く。

一臥滄江驚晚,幾迴青瑣照朝班。 

たしかに、青瑣の宮門において朝班につくための点検をうけたことはいくたびであっただろうか、これでもおりおり朝班の点検をうけたことがあった自分である。

 

(秋興,八首の五)

蓬莱の宮闕 南山に対し、承露の金茎 霄漢の間。

西のかた瑶池を望めば 王母 降り、東来の紫気は  函関に満つ。

雲は移りて 雉尾宮扇を開き、日は繞って 龍鱗 聖顔を識る。

一たび 滄江に臥して歳の晩れたるに驚き、幾廻か青瑣にて朝班に点せられしぞ。

 

秋興,八首之四

(秋の感興をのべた詩である。第四首は長安の喪乱に思いを馳せる。)766年大暦元年55-116の作。

聞道長安似弈棋,百年世事不勝悲。

聞く所によると長安の政局は弈棋の如く勝敗常なしとのことであるが、百年このかた世上のできごとは悲しみにたえぬものがある。

王侯第宅皆新主,文武衣冠異昔時。

みやこの王侯の第宅は、今は、皆、別な主人がはいりこんでいるというし、衣冠をつけた文武の臣も昔時のそれとはちがった人物となっている。

直北關山金鼓振,征西車馬羽書遲。

北をみれば関山に金鼓の音が振うており、西をみれば車馬が征伐のために動いて危急を報ずる撤文が馳せ飛んでおる。

魚龍寂寞秋江冷,故國平居有所思。

今や秋の江水冷やかに魚竜のたぐいもひっそりと蟄居しているが、自分の今もそのようでこのちにいるのであるが、常日頃、故国の長安のことについてはこうしたいつももの思いをしているのである。

(秋興,八首之四)

聞道【きくなら】く   長安は奕棋(えきき)に似たりと、百年の世事 悲しみに勝【た】えず。

王侯の第宅【ていたく】  皆な新主にして、文武の衣冠 昔時に異なる。

直北の関山 金鼓震い、西征の車馬 羽書 馳す。

魚龍 寂寞として 秋江冷やかなり、故国 平居  思う所有り。

 

秋興,八首之三

(秋の感興をのべた詩である。第三首は夔州の朝景をのべ、且つ自己の感懐を叙している。766年大暦元年55-116の作。

千家山郭靜朝暉,一日江樓坐翠微。 

山地の城郭のほとりに千戸ばかりの家屋があり、そこに朝日が静かにさしている。自分は毎日翠微の中において江楼に坐している。

信宿漁人還汎汎,清秋燕子故飛飛。 

江上をみると一、二停泊する漁人がおり、やっぱりぷかぷか舟をうかべている、秋であるのに燕の子らはたち去っておらず、だからわざとらしく飛んでいるということである。

匡衡抗疏功名薄,劉向傳經心事違。 

今匡衡ともいうべき自分は天子に上疏をしたが功名を得ることは薄い。今劉向というべき自分は経書を伝家の業としようとねがったが心事はくいちがった。

同學少年多不賤,五陵衣馬自輕肥。 

これに反して同学の少年輩は如何にとみると彼らの多くは高貴の地位にのぼって、自然、長安の五陵あたりで軽衣肥馬の姿で得意にやっている。

(秋興,八首の三)

千家 山郭に 朝暉 靜かなり,一日江樓 翠微に坐す。 

信宿 漁人 還た 汎汎,清秋の燕子は故に飛飛。 

匡衡 疏を抗り 功名薄く,劉向 經を傳えて 心事 違う。 

同學の少年 多く賤からず,五陵の衣馬 自ら輕肥たり。 

 

秋興,八首之二

(秋の感興をのべた詩である。この第二首は夔州の暮景とかねて異土の感をのべている。766年大暦元年55-114の作。

夔府孤城落日斜,每依南斗望京華。 

夔州の孤城に夕日が斜めに落ちてしまうと、いつものことで、自分は北斗星の方位によって長安、京華の方をながめるのである。

聽猿實下三聲淚,奉使虛隨八月 

ここでは猿の声を聴いては、「水經注」にある古人の言うたとおり、まことに「三声に涙裳を沾す」であり、地方に在るとはいえ工部員外郎として御命を奉じているとはいえいたずらに「八月の楂」を身に随えてここから離れ得ずにいる。

畫省香爐違伏枕,山樓粉堞隱悲笳。 

そうしてかつては親しんだ画省と言われる門下省の香炉に違うて病の枕に伏しっつあるが、城楼のひめがきは今や暮色に隠れて悲しい胡笳がきこえている。

請看石上藤蘿月,已映洲前蘆荻花。 

こんなことを考えている間にあれを見てほしい、というのも、石上を照らす藤蘿のひまもる月がはやくも長江の洲のあたりの蘆荻の花に映ろい染めてきたのである。

 

(秋興 八首 の〔二〕)

夔府の孤城 落日 斜めなり、毎【つね】に北斗に依りて 京華を望む。

猿を聽いて 實に下す 三聲の涙、使を奉じて、虚しく隨ふ、八月の槎。

畫省の香爐、違ひて枕に伏し、山樓の粉蝶、悲笳に隱る。

請ふ、看よ、石上 藤蘿の月、已に映ず、洲前 蘆荻の花。

 

秋興 八首 之〔一〕玉露凋傷楓樹林

(秋の感興をのべた詩である。この第一首は秋の時節に逢って旅居を傷むことをいっている。)766年大暦元年55-114の作。

玉露凋傷楓樹林,巫山巫峽氣蕭森。

露の白玉が置くにつれて楓樹の林が凋ませられ傷われ、巫山巫峡にわたって秋の気配がしんしんとしてきた。

江間波浪兼天湧,寒上風雲接地陰。

長江の上に起こる波浪は天をもあわせんばかりに高く湧きたち、夔州の城塞にうごく風雲は低く地面にまで接近して曇を生じているのがわかる。

菊叢兩開他日淚,孤舟一繫故園心。

自分は去年雲安から奉節で見、今年奉節で二度目の一叢の菊花の開くのを見ているが、いま異郷の花として見る花もいずれは後日思い出のものとなって感傷の涙をながさせることだろう。自分はここまで乗ってきた一つの舟をもっぱら繋ぎとめているのだけれど、それは早晩機会があればそれにのってこの山峡を下り、故郷にかえる思いの心からしていることなのである。

寒衣處處催刀尺,白帝城高急暮砧。

すでに、秋も深まって処処で寒衣を製するために刀尺の用意がはじまってきた、白帝城の高くそびえるあたりでは、夕ぐれになっても新旧布の砧をうつ音がいつまでもせわしくきこえる。これをきくとますます故郷への思いが増してくるのである。

(秋興 八首 之〔一〕)

玉露 凋傷す 楓樹の林、巫山巫峡 気 蕭森たり。

江間の波浪 天を兼ねて沸き、塞上の風雲 地に接して陰(こも)る。

叢菊両(ふたた)び開く他日の涙、孤舟一(ひとえ)に繋ぐ故園の心。

寒衣 處處 刀尺を催(うなが)し、白帝城高くして 暮砧 急なり。

 

 

『秋興,八首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋興,八首之八

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。

香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。

綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。
詩文(含異文)     昆吾【案:亭名,在藍田。】御宿【案:川名,在樊川。】自逶迤,紫閣峰陰入渼陂【案:一本二句倒轉。】。香稻啄餘鸚鵡粒【香稻啄殘鸚鵡粒】【紅稻啄餘鸚鵡粒】【紅稻啄殘鸚鵡粒】【紅飯啄餘鸚鵡粒】【紅飯啄殘鸚鵡粒】,碧梧棲老鳳皇枝。佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。綵筆昔遊干氣象【綵筆昔曾干氣象】,白頭吟望苦低垂。


(下し文)
(秋興,八首の八)

昆吾 御宿 自ら逶迤(いい)たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。

香稲  啄み余す 鸚鵡の粒、碧梧  棲み老ゆ  鳳凰の枝。

佳人と翠を拾いて春に相い問い、仙侶と舟を同じくして晩に更に移る。

綵筆【さいひつ】は昔曾て気象を干【おか】せしに、白頭  吟望して低垂【ていすい】に苦しむ。

(現代語訳)
(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。

また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。

この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。


(訳注)

秋興,八首之八

(秋の感興をのべた詩である。第八首は、岑參兄弟と長安城西勝遊を思い、今の衰老を歎息したものである。766年大暦元年55-121の作。

【解説】 「昆明の池水」は、漢の武帝が長安の西郊に築造した人工の池である。唐代には菰や蓮の生える湿地になっていて、痕跡をとどめてはいたようだ。杜甫は漢の武帝時代の昆明池について幻想し、そこがいまは荒涼とした枯れ野になっていることを描く。

 尾聯においては現実にかえり、夔州から都に通じるのは一本の険しい道しかないといい、自分は都から遠く離れた江湖の地で釣りをする「一漁翁」に過ぎないと、隠者の自分の生活をいう。「江湖」は川や湖の地という意味から、「漁翁」の語とともに、楚辞を踏まえる隠者の常套語である。

 

昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。

長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

○昆吾御宿 昆吾は地名、昆吾亭 (京畿道 京兆府 長安)うをいい、御宿は川名であり、御宿川は、樊川 (京畿道 京兆府 萬年) の別名である。揚雄の「羽猟の賦」序にいう、「武帝廣開上林。東南至宜春鼎湖御宿昆吾。旁南山。西至長楊五柞。北繞黃山。濱渭而東。周袤數百里。穿昆明池。象滇河。」(武帝広く上林を開き、東南、宜春・鼎湖・昆吾・御宿に至る、)と。「長安志」にいう、昆吾亭は藍田県境に在り、御宿川(樊川)は万年県の西南四十里にあり、と。長安より美に至ろうとするときに経過すべき処である。

○透 うねっているさま。

紫閣峰陰入渼陂 渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。

渼陂 (京畿道 京兆府 鄠縣) 別名:西陂   

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。とみえる。

 

香稻啄餘鸚鵡粒,碧梧棲老鳳皇枝。

途中では秋は、香稲に鵜鵡の啄むべき粒がのこされており、碧梧には鳳凰の棲むべき枝が棲み古されていたりした。

香稻啄餘鸚鵡粒 香稲には鸚鵡の啄むべき粒が啄みのこされている。この鸚鵡は富貴の家にあってはここに産する米粒を以て飼養されたもの。

碧梧棲老鳳皇枝 碧梧には鳳凰が棲むべき枝が棲みふるされてある。この鳳凰はかってはこの枝に棲んでいたはずである。今鳳凰はおらずして枝のみあることをいう。稲は水についていい、梧桐は陸についていう。香稻、碧梧は昆吾御宿から紫閣、渼陂に関していい、玄宗楊貴妃がいないことを言い、秋節をいう。

 

佳人拾翠春相問,仙侶同舟晚更移。

また、春は、佳人の野あそびして《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」様子をたずねたり、夏は、李郭仙舟の故事のように仙人なかまと同じ舟にのって晩になってもかまわず場所替えをして遊んだものだ。

○佳人拾翠春相問 佳人拾翠とは《洛神賦》に「或は明珠を採り、或は翠羽を拾う」とある意を用いている。賦においては女神たちが水辺に嬉戯することをのべたもので嬉戯の際には首飾である明珠や翠羽をおとすものがあり、それをおたがいに或は採り或は拾うことをいっている。ここの佳人拾翠は春の野あそびを試みる美人たちが他人のおとした翠羽を拾うことをいう。春相問は、これは自己を主としていったもので作者自己が問うことをいったものであろう、問とは問遺・問労などのかたくるしい意ではなく、様子をみるというくらいの軽い意である。此の句は春節をいう。此の句及び次句は渼陂についていう。

仙侶同舟晚更移 仙侶同舟は李郭仙舟の故事《後漢書·郭太傳》「李膺與郭泰同舟而濟,從賓望之,以為神仙,故稱“李郭仙舟”。」に基づく。後漢の李が郭泰(林宗)と舟を同じくして水を渡ったとき、衆賓はかれらを望んで神仙と為したという。其の実は作者が岑參兄弟らと渼陂の遊びを為したことなどをさすのである。晩更移の移は一処に遊びあきてまた他処に移りゆくことをいう。此の句は、仙侶の句は友人の岑參杜甫を「李郭仙舟」に比して詠った「渼陂行」夜の舟遊び、「此時驪龍亦吐珠,馮夷擊鼓群龍趨。湘妃漢女出歌舞,金支翠旗光有無。」の川の女神、湖の女神、竜神らとの夜遊の意をいう。

 

綵筆昔遊干氣象,白頭吟望苦低垂。

この自分は昔はかつて文彩の筆を以て天の気象をもおかししのいだことのあるものであるが、いまや老衰して白髪あたまをかかえて、この諸詩篇を吟じつつ長安の方をながめやるに、どうも、下向き加減であたまがたれさがり、気持ちがふさぎがちでこまり、いくじがなくなったものだと思うのである。

筆昔曾干気象 筆は文彩ある筆をいう。干気象とは《巻二22奉留贈集賢院崔于二學士【案:國輔、休烈。】》詩に「氣衝星象表,詞感帝王尊。」(気は衝く星象の表、詞は感ぜしむ帝王の尊)“急な雨にずぶぬれになった”とあるのと同じく其の勢いが天の気象をもおかししのぐことをいう。干気象とはただ気が山水を凌ぐことであり、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》《巻三12 渼陂行》巻三13 渼陂西南臺》らの詩篇のことをさす。  

○白頭吟望 仇氏は張遠の説によって吟を今の靴字だとして今と改めている、拘泥の見というべきである、余は故に吟の字に復する。白頭吟望とは白頭の身を以て今製した詩篇を吟じかつ長安の方を望むことをいう。

○苦低垂白頭の低く垂れるのにくるしむ、意気の甚だ揚がらぬことを嘆ずる辞である。

 

 

昆吾から御宿への道は 地形のままにうねり、やがて紫閣峰の北側が渼陂の水面に影をさす。

鸚鵡がつつき残した稲の瑞穂、鳳凰が棲み古した碧梧の古木。

春には佳人と連れ立って翠草摘みにゆき、仙人の仲間と舟遊びして 夜は席を移す。

かつて詩文の筆は 天象に迫るほど冴えていたが、いまは遠くから吟唱して白髪頭を垂れるだけ。

 

昆吾 御宿 自ら逶迤(いい)たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。

香稲  啄み余す 鸚鵡の粒、碧梧  棲み老ゆ  鳳凰の枝。

佳人と翠を拾いて春に相い問い、仙侶と舟を同じくして晩に更に移る。

綵筆【さいひつ】は昔曾て気象を干【おか】せしに、白頭  吟望して低垂【ていすい】に苦しむ。