杜甫  詠懷古跡,五首之四  

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。
(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

766-125杜甫 《巻1737詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-125 <988 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6620

 

 
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杜甫詩1500-988-1495/2500

年:766年大暦元年55-125

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟            

 

 

詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

 

(詠懷古跡,五首の四)

蜀主 窺いて 三峽に幸す,崩年 亦た永安宮に在り。

翠華 想像す 空山の裡,玉殿 虛無なり 野寺の中。

古廟 杉松に水鶴巢くい,時 伏臘に村翁走る。

武侯の祠屋 常に鄰近,一體 君臣 祭祀同じ。

 

瞿塘峡・白帝城・魚復 

『詠懷古跡,五首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。
詩文(含異文)     蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮【案:劉備改魚復為永安,仍於州西置永安宮。】。翠華想像空山裡【翠華想像寒山裡】,玉殿虛無野寺中。古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同【案:自注:殿今為寺,廟在宮之東。】。


(下し文)
(詠懷古跡,五首の四)

蜀主 を窺いて 三峽に幸す,崩年 亦た永安宮に在り。

翠華 想像す 空山の裡,玉殿 虛無なり 野寺の中。

古廟 杉松に水鶴巢くい,時 伏臘に村翁走る。

武侯の祠屋 常に鄰近,一體 君臣 祭祀同じ。

(現代語訳)
(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

蜀中転々圖
(訳注)

詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

《謁先主廟》【劉昭烈廟在奉節縣東六里。】(夔州魚腹縣の蜀漢の先主、劉備、諡号昭烈帝の祠廟に謁したことを詠んだ詩)(諡号である昭烈皇帝の祠廟は奉節縣の東、六里に在る。)

 

766年-87杜甫 《1512武侯廟【案:廟在白帝西郊。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-87 <950 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6385

766年-88杜甫 《1513八陣圖》五言絶 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-88 <951 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6390

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蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

蜀主窺呉 蜀王は三国の時の蜀漢の劉備、字は玄徳をいう、呉は呉の孫権の領土をいう。「蜀志」にいう、先主(劉備)孫権の関羽を襲いしを忿り、遂に諸軍を帥いて呉を伐ち、秭帰に次る、222年、章武二年、猇亭に敗れ、歩道より魚復に還り、魚復を改めて永安と為す。三年四月、永安に殂す、と。呉を窺うとはこの事をさす。・先主廟 蜀漢の先主劉備、字は玄徳の廟である。諡号である昭烈皇帝の祠廟。奉節県の東六里、白帝城の西郊にあたる地にある。・劉昭烈 昭烈帝(しょうれつてい)は、中国の皇帝の諡号の一つ。三国時代の蜀漢の劉備(在位:221 - 223年)。『蜀書』先主伝では「昭烈帝」と記されている。

幸三峡 秭帰は帰州に在るので三峡の内にある、幸は行幸、劉備を正統の天子とみなして下した辞である。

崩年 劉備の卒した年、すなわち223年、章武三年四月をいう。

永安宮 上に見えるごとく劉備は草武二年 に魚復を永安と改めそこに永安宮を置いたのである。「清一統志」にいう、永安宮城は今の夔州府奉節県治赤甲山にあると。

 

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

翠華 天子の旗。

想像 すがたをおもいうかべてみる。

空山裡 人のいない山のうち。

玉殿 美しい御殿、永安宮の宮殿をいう。

虚無 がらんどうであることをいう。

野寺中 作者の自注に 「殿は今臥竜寺と為る、廟は宮東に在り」とある。殿は作者の当時には変じて臥竜寺となっていたものゆえ野寺という。

 

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

古廟 ふるびた劉備の廟。作者の自注に、廟は宮の東に在るといっているので、上の宝殿すなわち野寺の東が廟である。この廟は奉節県東六里、白帝城の西郊、豊渓の側にあるものである、「謁先主廟詩を

水鶴 こうづるの類の鶴。

時 一年、四時。

 夏の伏日、冬の臘日、伏日とは五行思想で金気が此の日に至って伏することをいう、夏至の後第三庚日を初伏、第四庚日を 中伏、立秋後の初庚日を末伏となす、いわゆる三伏である。冬の臘日には百神を祭る、唐は冬至後の辰日に宗廟に享する。さらに「臘日」詩を参看せよ。臘日 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 232

 

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

走村翁 村の老人が祭りをなすために 奔走することをいう。

武侯詞星 武侯は諸葛亮をいう。此の祠屋はすなわち「武侯ノ廟」詩にうたっている廟、及び「夔州歌」の第九首(本書にはとらぬ)の「武侯ノ嗣堂忘ルべカラズ」の嗣堂と同一のものである、上述の先主廟の西に在るものである。766年-111杜甫 《巻1539夔州歌十句,十首之九》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-111 <974 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6525

長鄰近 長の字は或は常に作る、同意である。この長または常の字は成都の嗣廟を帯びていうものである。成都においても先主廟があってその酉が武侯廟である。

今ここの夔州においてもまた同様である。よって長鄰近といっている。

一体君臣 君臣一体というのに同じ。 君たる先主と臣たる諸葛亮と同体にして離れぬ。

祭祀同 同じようにまつられておる。