杜甫  詠懷古跡,五首之五   

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。
(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに快復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

766-126杜甫 《巻1738詠懷古跡,五首之五【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-126 <989 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6625

 

 
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杜甫詩1500-989-1496/2500

 

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詠懷古跡,五首之四【案:若本作〈詠懷〉一章、〈古跡〉四首。】

(「古跡に於ける詠懐」:第四首は夔州の先主廟についての感をのべている。)

蜀主窺幸三峽,崩年亦在永安宮。

むかし蜀の先主(劉備、昭烈皇帝)が呉国の境土を窺うために三峡へ行幸した。ところが敗軍をして崩じた年もやはり三峡の内であるここの永安宮においてであった。

翠華想像空山裡,玉殿虛無野寺中。

今や当時の宝殿はがらんどうになって野寺とかわったなかに存しておるばかりであって、自分はだれも人のいぬ山のなかであの時の翠華の旗はどのあたりに建てられたであろうかなどと想像してみるのである。

古廟杉松巢水鶴,時伏臘走村翁。

寺のとなりのふるびた先主の廟に生えておる杉だの松だのには水鶴が巣くうているし、一年・四時・伏日・脱臼などのそれぞれの祭日には村の老人などがあちこち奔走している。

武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。

それから諸葛武侯の祠屋は、成都でもそうであったが、ここでも、いつも先主の廟ととなりあって、傍ちかくにあり、君臣一体 はなれずに同じょうに祭祀をいとなまれているのである。

 

(詠懷古跡,五首の四)

蜀主 窺いて 三峽に幸す,崩年 亦た永安宮に在り。

翠華 想像す 空山の裡,玉殿 虛無なり 野寺の中。

古廟 杉松に水鶴巢くい,時 伏臘に村翁走る。

武侯の祠屋 常に鄰近,一體 君臣 祭祀同じ。

 

 

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年:766年大暦元年55-126

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    詠懷古跡,五首之五

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

 

 

詠懷古跡,五首之五

(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに快復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

(詠懷古跡,五首の五)

諸葛が大名 宇宙に垂る,宗臣の遺像 肅として清高。

三分 割據 籌策を紆らす,萬古 雲霄 一羽毛。

伯仲の間に 伊呂を見る,指揮 若し 定らば蕭曹を失せん。

福移りて 漢祚 恢に復し難し,志 決するも 身は殲く 軍務の勞に。
瞿塘峡・白帝城・魚復

 

『詠懷古跡,五首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

詠懷古跡,五首之五

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。

三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。

福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。
詩文(含異文)     諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。伯仲之間見伊呂【案:張輔〈樂葛優劣論〉:「孔明將與伊、呂爭儔,豈與樂毅為伍?」】,指揮若定失蕭曹【案:崔浩《典論》云:「諸葛亮不能與蕭、曹匹亞。」】。福移漢祚難恢復【福移漢祚終難復】【運移漢祚難恢復】【運移漢祚終難復】,志決身殲軍務勞。


(下し文)
(詠懷古跡,五首の五)

諸葛が大名 宇宙に垂る,宗臣の遺像 肅として清高。

三分 割據 籌策を紆らす,萬古 雲霄 一羽毛。

伯仲の間に 伊呂を見る,指揮 若し 定らば蕭曹を失せん。

福移りて 漢祚 恢に復し難し,志 決するも 身は殲く 軍務の勞に。

(現代語訳)
(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに快復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

夔州東川卜居図詳細 002
(訳注)

詠懷古跡,五首之五

(「古跡に於ける詠懐」:第五首は諸葛廟について孔明の事に感じてよんだものである。)

武侯廟 (山南東道 夔州 奉節) 別名:諸葛廟、武侯祠、武侯祠堂、孔明廟        蜀漢の諸葛亮、字は孔明をいう、後主の223年建興元年、武郷侯に封ぜられた。廟は夔州府魚復縣の永安宮の傍、赤甲山の麓にあった。

《巻一九27諸葛廟》

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。

君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。

蟲蛇穿畫壁,巫覡醉蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

766-98杜甫 1927諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-98 <961 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440

 

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。

諸葛孔明の大いなる名は宇宙に垂れておるが、この宗臣というべき人の遺像は廟内に粛然として清く高くたっている。

諸葛 諸葛亮、字は孔明をいう。

杜甫詩の諸葛亮関連詩

巻七19  遣興五首

昔時賢俊人,未遇猶視今。嵇康不得死,孔明有知音。

卷一五70 古柏行

孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。

卷一四68 承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作二首 其一

孔明多故事,安石竟崇班。他日嘉陵淚,仍霑楚水還。

卷一六08 八哀詩之三、贈左僕射鄭國公嚴公武

諸葛蜀人愛,文翁儒化成。

卷一九27  諸葛廟

久遊巴子國,屢入武侯祠。竹日斜虛寢,溪風滿薄帷。君臣當共濟,賢聖亦同時。翊戴歸先主,并吞更出師。蟲蛇穿畫壁,巫覡綴蛛絲。欻憶吟梁父,躬耕也未遲。

卷一七38  詠懷古跡五首 其五

諸葛大名垂宇宙,宗臣遺像肅清高。三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。運移漢祚終難復、志決身殲軍務勞。

卷二○91  上卿翁請修武侯廟遺像缺落時崔卿權夔州

大賢為政即多聞,刺史真符不必分。尚有西郊諸葛廟,臥龍無首對江濆。

宗臣 後世の尊び仰ぐ所の臣、孔明をさす。語は「漢書」の蕭何曹参傳賛にみえる。

通像 すなわち《巻1737詠懷古跡,五首之四詩の「武侯祠屋常鄰近,一體君臣祭祀同。」にいう祠の中にある像。

粛清高 厳粛にしてさっぱりとして高い。

 

三分割據紆籌策,萬古雲霄一羽毛。

孔明は天下を三分鼎割して其の一に割拠するについて謀をめぐらし、其の 声名は万古にわたって雲霄に高く飛ぶ一つの鳳毛のごとく仰ぎ瞻られている。

三分割拠 天下を三分してその一に割拠することをいう、当時魏は曹操、呉は孫権、蜀は劉備と天下が三つに分かれる。

紆籌策 紆の字を用いているが回または運の字の意に用いる。漢の高祖の語に、「籌策ヲ帷幄の中に運らす」とある。孔明がはかりごとをめぐらしたことをいう。

萬古雲霄一羽毛 諸説紛紛の句である。万古は永久に、雲霄は くも、おおぞら。一羽毛は鸞鳳風の一羽毛をいう。“孔明の声名の飛揚することは鸞鳳が高く翔って雲霄に独歩するがごとくともに匹をなすものがない”との意である。更に愚見を以てこれを補足するならば此の句は独り鳳毛の高翔をいうのみではなく、「衆人仰ぎて之を瞻る」ことをいったものであろう。

 

伯仲之間見伊呂,指揮若定失蕭曹。

孔明の人物は伊尹・呂尚と兄たりがたく弟たりがたしという関係にある、天下、もしこの人の指揮のもとに従うとしたならば、漢の肅何・曹参以上の人物であるのだ。

伯仲之間見伊呂 伊呂を伯仲の間に見るということ。伊は殿の伊声、呂は周の呂尚(太公望)、伊声は湯玉を輔け、呂尚は文王武王を佐けた。孔明の人物はこの両者の間にある。伯仲は兄弟の順位である。

指揮若定失蕭曹 「漢書」(陳平伝)に、「指揮即チ定マラン」の語がある。指揮定とは指揮が一定することである、天下皆孔明の指揮に服するに至ることをいう。粛曹は漢の高祖の参謀である黄何・曹参をいう。失二粛軍とは粛菅があっても無いにひとしい、粛曹以上である、薫曹もいうに足らぬことをいう。

 

福移漢祚難恢復,志決身殲軍務勞。

惜しいことに運命が移って漢室の帝位も、ついに恢復することがむつかしく、五度にわたる北伐は軍務の骨折りのために、身体が滅び、蜀漢を滅ぼすことになってしまったのである。

○福移 蜀漢の国運が他へうつる。運命は魏に帰した。

○漢祚 蜀漢のさいわい、所とは帝位をさす。

○難恢復 恢 1 広い。大きい。「恢恢」2 盛んにする。大いに。「恢復」。

○志決 魂を伐つの志が決することである。孔明の「後出師表」に、「鞠躬尽瘁、死シテ後己マン」とあるのは志決の度をみることができる。

出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683

出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

 

○身殲 殲は尽きること、滅することである。建興12年(234年)春2月、第5次の最後の北伐を行った。諸葛亮は屯田を行い、持久戦の構えをとって五丈原で司馬懿と長期に渡って対陣した。しかし、同時に出撃した呉軍は荊州および合肥方面の戦いで魏軍に敗れ、司馬懿も防御に徹し諸葛亮の挑発に乗らなかった。諸葛亮は病に倒れ、秋8月(『三国志演義』では823日)、陣中に没した(五丈原の戦い)。享年54

○軍務労 軍務について骨折ったこと。孔明は軍中の事は巨細となく自ずから決し、或は商征し或は北伐した、皆軍務に労した事である。