杜甫  諸將,五首之一    

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

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杜甫詩1500-990-1497/2500

 

年:766年大暦元年55-127

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

 

 

諸將,五首之一

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

 

(諸将 五首の一)

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

 

京兆地域図002 

諸將,五首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之一    

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。


詩文(含異文)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。昨日玉魚【案:漢楚王戊太子死,天子賜玉魚一雙以斂。】蒙葬地,早時金碗【案:盧充與崔少府女幽婚,贈充金碗,乃向時殉葬物也。】出人間。見【案:音現。】愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷【案:於顏切,紅色也。】【曾閃朱旗北斗閒】。多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。


(下し文)
(諸将 五首の一)

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。

(現代語訳)
(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。


(訳注)

諸將,五首之一

(唐朝廷の郭子儀以外の諸将は宦官によって無力化し、宦官の讒言で追い詰められた僕固懐恩は、吐蕃、ウイグルと結託し入寇の手引きをしている、諸将は目を覚ませと訴えている。)

○諸将 将軍らをいう。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。第一首は長安の近西、吐蕃の侵入の路を守る将軍に対してのべている。766年大暦元年55の作。

杜甫は、下臣のあり方。安史軍、異民族からの守りと国の施政のために、朝廷の構成人用を整える必要がある。その第一は、長安の守りを固めること。

【春秋左傳】文公十八年(609) 是以堯崩而天下如一,同心戴舜以為天子,以其舉十六相,去四凶也。

漢、建武二十八将と雲台三十二将部下の二十八将が天の星座の生まれ変わりであるとされていることであろう。この本では、劉秀の家臣で特に重要な二十八人について、その初登場のときに数字をつけているが、これはその二十八人が劉秀にとって特別な将軍であるからである。それが建武二十八将である。一般には雲台二十八将と書かれることが多いが、四人が追加された後の三十二将と紛らわしいので、この本では建武二十八将と雲台三十二将として区別しておく。後漢時代には雲台二十八将という表現はなく、建武元功二十八将、中興二十八将、光武二十八将であるし、そもそも二十八将は雲台に描かれる前から二十八将であったので雲台二十八将という表現は適切ではない。

杜甫《巻十二45 述古,三首之二》「舜舉十六相,身尊道何高。」根本的にいうと、むかし舜は十六人の賢相をあげて用いた、それで自身は尊くなり、その道は高尚である。(粛宗も宰相16人であるがとても酷いものが多いということ。)〇十六相 八元八憶と称する十六人のかしこい宰相をいう、事は「左伝」(文公十八年)にみえる。この時粛宗が任じたは宰相が16人であったためにこういう表現をしたのである。

肅宗の宰相十六人 韋見素・崔圓・房琯・裴冕・崔渙・李麟・苗晉卿・張鎬・王璵・呂・李峴・第五琦・李揆・蕭華・裴遵慶・元載。

654 巻十二45述古,首之二》 蜀中転々 杜甫 <559  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3025 杜甫詩1000-559-799/1500

僕固懐恩はもともとウィグルを構成する九つの部族の一つ・ブクゥの出身、ウィグルを安禄山らから切り離し唐側に引き入れるために娘をウィグルの王子に嫁がせるほど唐の皇帝のために自分も家族も犠牲にして働いた人物である。足かけ十年にも及ぶ大乱が平定されてふと気づけば、彼の娘の嫁いだウィグルの王子はカガンになっていた。

 平和が訪れると、自ら武器を手に戦うことのなかった役人たちはこの婚姻関係や彼の出自を不気味に思い始めたのである。彼の抜群の軍功を妬む人々が宮廷内に「懐恩に二心あり」との悪意ある噂を広めるのはきわめて容易であった。

 

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

漢朝は、都長安を守るため、その陵墓を終南山と対して京師の附近に配置したが、千年後の今日において、なお、異民族である、吐蕃、ウイグルが関中内に侵入してくるのである。

○漢朝 漢を借りて唐をいう。

○陵墓 帝王のみささぎ、公卿のはか。

○南山 終南山。

○胡虜 北方のえびす。前には安禄山の軍、後には吐蕃、ウイグル(匈奴)の軍。

○千秋 多くの歳月を経た今において。

○入関 主として関中の地の東西に在るものをさしている。東は函谷関、西は玉門関・陽関の類。

 

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

つい昨日のようであるが、異民族の彼らが陵墓の発掘をやるので、やっと埋葬の場所で玉魚に土をかぶせたばかりなのに、早くも盗掘され、今日は金のお碗が世間へ出てくるというありさまだ。

○玉魚 玉で造った魚形の偲びもの、貴人が身につけるもので埋葬のときこれを陵墓の中に入れてやる。

○蒙 土をかぶせられてあることをいう。

○金碗 黄金で造ったおわん、これもまた貴人の用いる品で陵墓中に埋められる。

○出人間 陵墓が盗掘であばかれて世間へあらわれでる。

 

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

現在また愁わしくも西戎、吐蕃が馬に汗して西域の辺境に再三にわたって、せまってきているが、その地は、かつて玄宗開元のとき、我が官軍は朱旗をひらめかして、天の北斗星まで殷殷としていたのである。

○見愁 現在眼のまえにあって愁うべきことの意。

○汗馬西戎 西戎は吐蕃をさす、吐蕃は763年広徳元年十月に入遷して長安に入り、764年広徳二年秋にも西辺に入寇し、翌永泰元年九月にも長安に大挙入寇した、詩句は思うに最近の人造についていう、汗馬は西域の馬の総称でもあり、吐蕃が長駆してあせした馬にのることをいう。

○曾 往年をさしていう。

○朱旗北斗 朱旗はあかい色のはた、官軍の旗をいう、北斗は天上の北斗星をいう、長安城は北斗にかたどったというが、唐王朝が次の「殷」の字とで粛々と治めていたことを言う。

○殷 殷殷として、切々としている,懇ろである.あかぐろい、旗色の盛んなことをいう。「殷」字は、或は「閒」に作る、ならば閑暇の意、旗がしずかにひるがえることをいう。

 

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

いま多くの武官どもが涇水、渭水の流域すなわちごく京師、関中の地の近地で守禦をしておるのである。将軍たるものしばらくは蹴鞠などせず、そしてにっこりともせず油断なく防禦に力をつくすべきである。

○多少 おおくの。

○材官 武技の臣、或る武芸にすぐれた武官。肅宗の宰相十六人の生き残りの奸臣。

守涇渭 官軍(郭子儀軍)が涇水、渭水の関中の地を守ることをいう、二水の流域は長安地方を示す。765年、永泰元年九月、回紇・吐蕃が兵を合して涇陽を囲んだとき、郭子儀軍の堅い守りに、暮に及んで二軍ともに退いて北原に屯した。また、同月、郭子儀は諸道の節度使を遣わし各の兵を出して要害に駐屯させようと請うたが、諸将は猶お蹴鞠を撃って楽みを為していた。このことによって末尾の二句があるのである。

○将軍 材官らを統べる長官をさす。

○且 しばらく。

○破愁顔 愁わしいかおつきを破って笑顔となること、娯楽に意を傾けることをいう。この時、唐朝廷、唐軍(郭子儀軍以外)はほとんど宦官によって動かされていたことを言う。

僕固懐恩という人物は君主に背き、母を捨て、天下万民が恥だと している人物なのに、君らは彼に付き従い、以前の功績を捨てて 新たな怨恨を生もうとしていた。

 

(諸将 五首の一)

漢朝陵墓對南山,胡虜千秋尚入關。

昨日玉魚蒙葬地,早時金碗出人間。

見愁汗馬西戎逼,曾閃朱旗北斗殷。

多少材官守涇渭,將軍且莫破愁顏。

 

漢朝の陵墓は南山に対し、胡虜千秋 尚お関に入る。

昨日玉魚葬地に蒙わる、早時金碗 人間に出づ。

見に愁う 汗馬 西戎の逼るを、曾て朱旗を閃かして 北斗も殷なり。

多少の材官 涇渭を守り、将軍 且つ 愁顔を破ること莫れ。