杜甫  諸將,五首之二    

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

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年:766年大暦元年55-128

卷別:    卷二三○              文體:    七言律詩

詩題:    諸將,五首之二

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              朔方節度使 ( 靈州 朔方節度使) 別名:朔方      

潼關 (京畿道 華州 潼關)  

 

 

諸將,五首之二

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

 (諸將,五首の二)

韓公の本意  三城を 築くは,天驕の 漢旌を拔くを  絶たんと 擬すればなり。

豈に謂はんや 盡く 回紇の馬を煩はし,翻然として 遠く朔方の兵を 救はんとは。

胡 來りて 潼關の隘きを覺えず,龍 起こりて 猶お晉水の淸きを聞く。

獨り 至尊をして社稷を憂へしめれば,諸君 何を以てか 升平に答へん。

 

安史の乱当時の勢力図 

諸將,五首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

諸將,五首之二

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。
詩文(含異文)

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵【案:郭子儀以孤軍起朔方,灃(澧)上之戰,克復長安;新店之戰,再收東都,皆用回紇之力。】。

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清【案:唐高祖次龍門,代水清。】。獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。


(下し文)
(諸將,五首の二)

韓公の本意  三城を 築くは,天驕の 漢旌を拔くを  絶たんと 擬すればなり。

豈に謂はんや 盡く 回紇の馬を煩はし,翻然として 遠く朔方の兵を 救はんとは。

胡 來りて 潼關の隘きを覺えず,龍 起こりて 猶お晉水の淸きを聞く。

獨り 至尊をして社稷を憂へしめれば,諸君 何を以てか 升平に答へん。

(現代語訳)
(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。


(訳注)

諸將,五首之二

(外征や衛戍の指揮統率をする者たち、諸将軍や節度使たち、辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たちについて、第二首は吐蕃の乱について諸将を責める。)766年大暦元年の作。

○諸将 諸将軍。命を受けて軍を統帥して、外征や衛戍の指揮統率をする者たち。諸将軍や節度使たち。辺疆防衛のためにおかれた軍団の長たち。作者は安史の乱に遭い、大唐の軍部の不甲斐なさを歎いてこの詩を作った。詩中に或はその人を明言し或は明言しない。

 

韓公本意築三城,擬天驕拔漢旌。

韓国公である張仁愿が中宗の時に黄河の北に東城、中城、西城の三城をきずいたが、これの本意は匈奴、吐蕃の異民族があばれて漢(唐)の旗を抜き取ってならないから、抜かせる行為をすっかり根絶しょうということだった。

韓公 張仁愿をいう、仁愿は中宗の景竜二年に左衛大将軍・同中書門下三品に拝し、韓国公に封ぜられた。

本意 築城の本意。

築三城 漢・武帝の時、匈奴の降服を受け入れるために塞外に築いた城塞。その後、唐代になって、張仁愿が唐の時代に突厥の攻撃を防ぐため河北に再興したもの。彼は神竜三年に河北(長城を出た黄河の北)において三つの受降城を築いた、東城は楡林の直北にあたり、中城は払雲祠で朔方軍の直北にあたり、西城は霊武の直北にあたる。

擬絶 絶無にしようとの準備。

天騎 匈奴自ずから称して「天ノ筋子」という、回紇も匈奴の種族やあるゆえに天輪という。

拔漢旌 漢のはたをぬきとる、漠と戦って勝ちそのはたを取る、漢を借りて唐をいう。○豊謂 意外にも。

 

豈謂盡煩回紇馬,翻然遠救朔方兵。

それが意外にも騒乱がおこると翻って一一匈奴の種族たるウイグルの兵をわずらわしてその手を借りて遠く朔方軍の方をたすけてもらわねばならない始末であった。

煩回紇馬 安禄山の乱の時も、吐蕃の乱の時も、唐は回紇、ウイグルより援助を受けたことをいう。

翻然 かえって。

救朔方兵 朔方軍の兵とは朔方節度使郭子儀の兵をいう、子儀は前後ともに回紇の兵を借り用いて功を立てた。

 

胡來不覺潼關隘,龍起猶聞晉水清。

おまけに安史軍をやっと殲滅させたと思ったら、吐蕃のえびすは長安に入寇し、堅固な潼関の険扼を無視してそれを突破せんとした。だがさすがに吾が唐は祖皇の竜のごとく起こられた太原の地において今でも晋水の水清くながれていると聞く、決して悲観するにはあたらない。

胡來不覺潼關隘 胡は吐蕃をさす。潼関は華州の東に在る、隘は・隘:せまい。道が険しくて狭い所。険隘。要害の地を謂う。廣徳元年(763)10月、吐蕃が涇州へ来寇した。刺史の高暉は城を以てこれに降り、彼の為に道案内となって、吐蕃軍を 深く引き入れる。 吐蕃軍が奉天、武功へ来寇し、京師はパニックとなった。代宗皇帝は兵を動員しようとしていたが、 吐蕃軍は既に便橋を渡ったので、慌てふためいて為す術を知らなかった。代宗皇帝は陜州へ疎開する。 官吏はあちこち逃げ回り、六軍は逃げ散った。代宗皇帝は詔を下して、雍王・李适を関内元帥とし、 郭子儀を副元帥として吐蕃軍に当たらせることとした。この時の吐蕃はまさに潼関の険を無視して東に突破しょうとする勢いのあったことをいう。

龍起猶聞晉水清  ・龍起 唐王朝の高祖李淵の挙兵をいう。 ・龍 天子の譬喩。 ・猶 なお。それでも。まだ。やはり。なお…ごとし。また、すら。さえ。ここは、前者の意。 ・聞 聞こえてくる。 ・晉水 太原を流れる川で、唐の高祖李淵が挙兵した太原を指す。 ・清:清らかである。澄んでいて、外夷に穢されていないことを謂う。杜甫《巻五27北征》「煌煌太宗業,樹立甚宏達!」我が唐が大帝国と為し、繁栄を誇ったのは太宗の帝業が煌煌とかがやいていることなのだ。その樹立された諸制度は広大であり且つ終始をつらぬいて後々の世までつづくのであり、唐の国運が中絶することなどありはしないのだ。・煌煌 かがやくさま。・太宗業 太宗の為された輝かしい帝業。・樹立 うえつけ立てたこと。・宏達 宏大通達、大きくて且つ終始をつらぬきとおることをいう。といっているごとく国初の祥瑞をあげて国運の衰えるはずのないことをいう。

北征 #12 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 219

 

獨使至尊憂社稷,諸君何以答升平。

ただ至尊の天子ばかりに社稷のことをご心配させ申しあげるのではすまぬことでないか、諸君はこの升平の恩沢に対し何事を以てこれにお答えしようとするのであるか。

至尊 時の天子、代宗をさす。

○諸君 郭子儀以下の諸将をさす。

この二句は、乱に対して、ウイグル民族に依存して、積極的な対応策が講じられなかった六軍の将軍たちの無能ぶりを批判、宦官により堕落した諸将を批判している。
黄河二首の背景 杜甫三者の思惑が合致