杜甫 夔府書懷四十韻#1
昔罷河西尉,初興薊北師。不才名位晚,敢恨省郎遲。
扈聖崆峒日,端居灩澦時。萍流仍汲引,樗散尚恩慈。
(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1
むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。
自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。
かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。
自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。
766年-132杜甫 《1614夔府書懷四十韻》#1 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-132 <995> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6655
杜甫詩
1500-995-1502-#1/2500
年: 大曆元年
寫作時間: 766年
寫作年紀: 55歲
卷別: 卷二三○ 文體: 五言古詩
詩題: 夔府書懷四十韻
詩序:
作地點: 目前尚無資料
及地點:夔州 (山南東道 夔州 夔州) 別名:夔府、信州、夔國
崆峒山 (隴右道東部 岷州 崆峒山)
灩澦堆 (山南東道 夔州 夔州)
恒山 (河北道南部 定州 恒山(恆山)) 別名:恆山
大騩山 (都畿道 河南府 大騩山) 別名:具茨山
綠林山 (山南東道 荊州 當陽)
青草湖 (江南西道 岳州 巴陵) 別名:巴丘湖、雲夢大澤
交遊人物/地點:
夔府書懷四十韻 #1
(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1
昔罷河西尉,初興薊北師。
むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。
不才名位晚,敢恨省郎遲。
自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。
扈聖崆峒日,端居灩澦時。
かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。
萍流仍汲引,樗散尚恩慈。
自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。
夔府書懷四十韻#1
昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。
不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。
聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。
萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。
#2
遂阻雲臺宿,常懷〈湛露詩〉。
翠華森遠矣,白首颯淒其。
拙被林泉滯,生逢〈酒賦〉欺。
文園終寂寞,漢閣自磷緇。
#3
病隔君臣議,慚紆德澤私。
揚鑣驚主辱,拔劍撥年衰。
社稷經綸地,風雲際會期。
血流紛在眼,涕灑亂交頤。
#4
四瀆樓船汎,中原鼓角悲。
賊壕連白翟,戰瓦落丹墀。
先帝嚴靈寢,宗臣切受遺。
恆山猶突騎,遼海競張旗。
#5
田父嗟膠漆,行人避蒺藜。
總戎存大體,降將飾卑詞。
楚貢何年絕,堯封舊俗疑。
長吁翻北寇,一望卷西夷。
#6
不必陪玄圃,超然待具茨。
凶兵鑄農器,講殿闢書幃。
廟算高難測,天憂實在茲。
形容真潦倒,答效莫支持。
#7
使者分王命,群公各典司。
恐乖均賦斂,不似問瘡痍。
萬里煩供給,孤城最怨思。
綠林寧小患,雲夢欲難追。
#8
即事須嘗膽,蒼生可察眉。
議堂猶集鳳,正觀是元龜。
處處喧飛檄,家家急競錐。
蕭車安不定,蜀使下何之。
#9
釣瀨疏墳籍,耕巖進弈棋。
地蒸餘破扇,冬煖更纖絺。
豺遘哀登楚,麟傷泣象尼。
衣冠迷適越,藻繪憶遊睢。
#10
賞月延秋桂,傾陽逐露葵。
大庭終反樸,京觀且僵尸。
高枕虛眠晝,哀歌欲和誰。
南宮載勳業,凡百慎交綏。
『夔府書懷四十韻』 現代語訳と訳註解説
(本文)
夔府書懷四十韻#1
昔罷河西尉,初興薊北師。
不才名位晚,敢恨省郎遲。
扈聖崆峒日,端居灩澦時。
萍流仍汲引,樗散尚恩慈。
(下し文)
夔府書懷四十韻#1
昔 河西の尉を罷,初めて薊北の師 興る。
不才名位 晚し,敢て恨まむや 省郎の遲きを。
聖を扈す 崆峒の日,端居す 灩澦の時。
萍流 仍お汲引せらる,樗散 尚お恩慈せらる。
(現代語訳)
(夔州にて事をに感じたことをのべる。)#1
むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。
自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。
かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。
自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。
(訳注)
夔府書懷四十韻#1
(夔州にて事をに感じたことをのべる。)大暦元年秋の作。
昔罷河西尉,初興薊北師。
むかし自分が河西の尉を罷めたころちょうど薊北の謀反のいくさが興った。
○罷河西尉 天寶十四年十月のはじめに「河西の尉」という赴任地が示されてきた。河西の尉は河西節度判官の尉。当時、涼州(甘粛省武威県)にあった河西節度使の節度判官の尉(副官)の地位のことは友人の高適から聞いていて、高適もこの職についてすぐ退任している。
《巻三39》官定後戯贈 |
官定まりて後 戯れに贈る |
不作河西尉、淒涼為折腰。 |
河西の尉と作らざるは、淒涼 腰を折るが為なり。 |
老父怕趨走、率府且逍遥。 |
老父 趨走を怕れ、率府に且つ逍遥す。 |
耽酒須微禄、狂歌託聖朝。 |
酒に耽るには微禄を須【ま】ち、狂歌して聖朝に託す。 |
故山帰興尽、囘首向風飇。 |
故山 帰興尽き、首を囘らして風飇に向かう。 |
○薊北師 薊州は安禄山の根拠地、叛乱を起こした場所。
不才名位晚,敢恨省郎遲。
自分は、不才であるから名位を得ることが遅いのはあたりまえかもしれないので、どうして郎官となったのがおそいなどと恨むことがろうか。
○名位晚 官途に就くのが非常に遅かったこと。
○省郎遲 尚書省の郎官となることが遅かったこと。廣徳二年六月嚴武が推薦して、節度使。検校工部員外郎となり、緋衣魚袋をたまわる。
扈聖崆峒日,端居灩澦時。
かつては崆峒山の方面へ天子のおともをしたこともあった自分であるが、今は、灔澦堆のそばになにもせずにじっとして暮らしている。
○扈聖 肅宗に扈従する。
○崆峒 崆峒山のこと。古くは空同山と稱した,甘肅省平涼市以西に位置する。,六盤山支脈に屬す,南北に走向し,延長は約100km,山脈幅は平均15km,主峰は翠屏峰で海拔2123m,ぜっぺきは垂直高度683米もある。崆峒山には自然景觀が集り、人文景觀は一身に和ぐ,有「西來第一山」、「西鎮奇觀」、「中國道教第一山」等美譽,山上有道觀禪院八台九宮十二院四十二座建築群、と七十二處石府洞天などが,大多く集中、分布して「五台」區に在る。
《巻六55洗兵行》「已喜皇威清海岱,常思仙仗過崆峒。」(己に喜ぶ皇威の海岱を清うするを、常に思う仙仗の崆峒に過りしを。)一方にはもはやわが天子の御威光が渤海・岱山の遠方までを鎮定するに至ったことを喜ぶとともに、他方には我が君がかつて崆峒山のあたりまで御通過になったことはわすれられぬことである。
洗兵行 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ990 杜甫特集700- 295
○端居 なにもせずにいる。
○灩澦 山南東道夔州の灩澦堆。江中の石の名、奉節県の西南、瞿塘峡に差し掛かる前にある。瞿塘は峡の名、四川省夔州府にある。その峡口に灩預石がある、唯は石のこと、その石が水量を示す標準となる、「灩預堆が馬ぐらいに見えるのであれば、瞿塘峡を下ってはいけないし、灩預堆が象の大きさに見えるのであれば瞿塘峡を昇ることはできない」の語がある。古楽府の歌に「淫予(灔澦)大なること馬の如くなれば、瞿塘下るべからず」という。・瞿塘灩預堆 長江瞿塘峽口的險灘。
在四川省奉節縣東。
唐李白《長干行》之一: “十六君遠行, 瞿塘灩澦堆。” 王琦注引《太平寰宇記》: “ 灩澦堆, 周回二十丈, 在夔州西南二百步蜀江中心瞿塘峽口。《1515灩澦堆》「巨積水中央,江寒出水長。沈牛答雲雨,如馬戒舟航。天意存傾覆,神功接混茫。干戈連解纜,行止憶垂堂。」
766年-91杜甫 《1515灩澦堆》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-91 <954> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6405
萍流仍汲引,樗散尚恩慈。
自分は、萍流の際においてもひきたててくれる人があったし、ウドの大木みたくような様な身でありながら皇恩をかたじけなくしている。
○萍流 浮き萍が漂流するがごとく流浪する。
○仍汲引 井戸水をくみ上げるように地位を引き立ててもらうこと、嚴武が推薦してくれたことを言う。
○樗散 樗は悪い木の名前、散は役に立たず打ち捨てられること。樗は「荘子」逍遥遊篇に、散木は同書人間世篇に見える。樗は無用の大木の名、散木とは不材のためうちすててある木をいう。ここは老朽無用の地にあることをいう。《巻五35送鄭十八虔貶台州司戶》「鄭公樗散鬢成絲,酒後常稱老畫師。」
○尚恩慈 天使の恩義。