杜甫 垂白【白首】
垂白馮唐老,清秋宋玉悲。江喧長少睡,樓迥獨移時。
多難身何補,無家病不辭。甘從千日醉,未許七哀詩。
(白髪頭に感じたことを述べる)
白髪を垂れて漢の馮唐とも思われる自分も老いてしまった。時あたかも、清秋となり、宋玉の言う「悲愁」の気もいっぱいになってきた。しかし、長江のほとりに入れば、江水の流れはやかましいほどしているし、一人時間をやり過しているには江辺の楼閣の遥かなところを眺めるのである。しかし、天下多難の時に、この身は何ら世のためにはなっていないばかりか、家もなくし、持病がひどくても、「郎官」を辞すこともできない。だから、自分は好き好んで「玄石飲酒,一醉千日」と言われるように過ごしていこうと思うし、まだまだ、死ぬわけにはいかないし、ましてや「魏の七哀詩」のように悲しんだ哀傷賦などに詠われるわけにはいかないのである。
766年-135杜甫 《1703垂白【白首】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-135 <1007> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6715
杜甫詩1500-1007-1505/2500
年:766年大暦元年55歲-135
卷別: 卷二三○ 文體: 五言律詩
詩題:垂白【白首】
作地點: 夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)
及地點:巫州 (黔中道 巫州 巫州) 別名:黔陽
垂白【白首】
垂白馮唐老,清秋宋玉悲。
江喧長少睡,樓迥獨移時。
多難身何補,無家病不辭。
甘從千日醉,未許七哀詩。
(白髪頭に感じたことを述べる)
白髪を垂れて漢の馮唐とも思われる自分も老いてしまった。時あたかも、清秋となり、宋玉の言う「悲愁」の気もいっぱいになってきた。
しかし、長江のほとりに入れば、江水の流れはやかましいほどしているし、一人時間をやり過しているには江辺の楼閣の遥かなところを眺めるのである。
しかし、天下多難の時に、この身は何ら世のためにはなっていないばかりか、家もなくし、持病がひどくても、「郎官」を辞すこともできない。
だから、自分は好き好んで「玄石飲酒,一醉千日」と言われるように過ごしていこうと思うし、まだまだ、死ぬわけにはいかないし、ましてや「魏の七哀詩」のように悲しんだ哀傷賦などに詠われるわけにはいかないのである。
(垂白【白首】)
垂白 馮唐の老い,清秋 宋玉の悲。
江 喧しくして長く睡も少く,樓 迥かにして獨り時を移す。
多難 身 何をか補わん,無家 病むも辭せず。
甘んじて從う 千日の醉,未だ許さず 七哀の詩。
『垂白【白首】』 現代語訳と訳註解説
(本文)
垂白【白首】
垂白馮唐老,清秋宋玉悲。
江喧長少睡,樓迥獨移時。
多難身何補,無家病不辭。
甘從千日醉,未許七哀詩。
(下し文)
(垂白【白首】)
垂白 馮唐の老い,清秋 宋玉の悲。
江 喧しくして長く睡も少く,樓 迥かにして獨り時を移す。
多難 身 何をか補わん,無家 病むも辭せず。
甘んじて從う 千日の醉,未だ許さず 七哀の詩。
(現代語訳)
(白髪頭に感じたことを述べる)
白髪を垂れて漢の馮唐とも思われる自分も老いてしまった。時あたかも、清秋となり、宋玉の言う「悲愁」の気もいっぱいになってきた。
しかし、長江のほとりに入れば、江水の流れはやかましいほどしているし、一人時間をやり過しているには江辺の楼閣の遥かなところを眺めるのである。
しかし、天下多難の時に、この身は何ら世のためにはなっていないばかりか、家もなくし、持病がひどくても、「郎官」を辞すこともできない。
だから、自分は好き好んで「玄石飲酒,一醉千日」と言われるように過ごしていこうと思うし、まだまだ、死ぬわけにはいかないし、ましてや「魏の七哀詩」のように悲しんだ哀傷賦などに詠われるわけにはいかないのである。
(訳注)
垂白【白首】
(白髪頭に感じたことを述べる)
初句の起二字をもって題とす。
垂白馮唐老,清秋宋玉悲。
白髪を垂れて漢の馮唐とも思われる自分も老いてしまった。時あたかも、清秋となり、宋玉の言う「悲愁」の気もいっぱいになってきた。
馮唐老 漢の馮唐、白髪にして、郎官であった。杜甫も老いて、郎官になったので比したもの。馮唐は孝行で知られ、文帝の時に郎中署長となった。あるとき文帝は彼に「貴方はどうして郎となったのか?家はどこにある?」と尋ねたので、馮唐はありのまま答えた。文帝は「私は鉅鹿で戦った趙将李斉の賢明さを聞いて以来、鉅鹿のことを思わない日は無い。貴方は彼を知っているか?」と聞いた。馮唐は「李斉は廉頗、李牧には敵いません」と言った。文帝は「廉頗や李牧を将にできれば匈奴を怖れることもないのだが」と嘆息したが、馮唐は「陛下が廉頗や李牧を得たとしても用いることはできないでしょう」と言ったため、文帝は怒って禁中に入っていった。しばらくして文帝は馮唐を召し出し、「どうして公衆の面前で私を辱めず、人のいないところで言わないのだ?」と叱責した。馮唐は「私は田舎者で隠すことを知らなかったのです」と答えた。
清秋宋玉悲 《楚辭》卷八《九辯》「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,……皇天平分四時兮,竊獨悲此廩秋。……靚杪秋之遙夜兮,心繚悷而有哀。」
九辯 第一~ニ段(とおし) 宋玉 <00-#19>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 648 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2224
江喧長少睡,樓迥獨移時。
しかし、長江のほとりに入れば、江水の流れはやかましいほどしているし、一人時間をやり過しているには江辺の楼閣の遥かなところを眺めるのである。
樓迥 江辺の楼閣の遥かなところを眺めること。
多難身何補,無家病不辭。
しかし、天下多難の時に、この身は何ら世のためにはなっていないばかりか、家もなくし、持病がひどくても、「郎官」を辞すこともできない。
無家 故郷に帰ることができなく一族で集まる家がないということ。通常は妻がいないことを言う、妻の家に行くこと、妻の閨に行くことができないことを言う。
病不辭 持病がひどくても、「郎官」を辞すこともできない。この地の刺史の援助がかなうのも、「郎官」であるがためである。
甘從千日醉,未許七哀詩。
だから、自分は好き好んで「玄石飲酒,一醉千日」と言われるように過ごしていこうと思うし、まだまだ、死ぬわけにはいかないし、ましてや「魏の七哀詩」のように悲しんだ哀傷賦などに詠われるわけにはいかないのである。
千日醉 《太平御覽》卷八百四十五〈飲食部三·酒下〉“晉·張華《博物志》:「劉玄石曾於中山酒家沽酒,酒家與千日酒飲之。至家大醉,其家不知,以為死,葬之。後酒家計向千日,往視之,云巳葬。於是開棺,醉始醒。俗云:『玄石飲酒,一醉千日』。」”
七哀詩 魏の曹植、王粲、張載らが同題で歌っている。七哀とは “①痛み、②義にして、③感じて、④怨みて、⑤耳目見聞して、⑥口歎じ手て、⑦鼻酸して” の七つの哀しみを賦する。
曹植《七哀詩》
明月照高樓,流光正徘徊。上有愁思婦,悲歎有餘哀。
借問歎者誰?言是宕子妻。君行踰十年,孤妾常獨棲。
君若清路塵,妾若濁水泥;浮沈各異勢,會合何時諧?
願為西南風,長逝入君懷。君懷良不開,賤妾當何依!
明月 高楼を照らし、流光 正に徘徊す。上に愁思の婦あり、悲歎して余哀あり。
借問す 歎ずる者は誰ぞと、謂うう是れ 客子の妻なりと。君行きて十年を踰え、孤妾 常に独り棲む。
君は清路の塵の若く、妾は濁水の泥の若し。浮沈 各の勢を異にし、会合 何れの時にか諧わん。
願わくは 西南の風となり、長逝して 君が懐に人らんことを。君が懷 良に開かずんば、賤妾 当に何れにか依るべき。
七哀詩 魏詩<33-2>文選 哀傷 667 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1885
《昭明文选·卷二十三》
東漢、王粲、《七哀詩三首》
一
西京亂無象,豺虎方遘患。復棄中國去,遠身適荊蠻。
親戚對我悲,朋友相追攀。出門無所見,白骨蔽平原。
路有飢婦人,抱子棄草間。顧聞號泣聲,揮涕獨不還。
未知身死處,何能兩相完?驅馬棄之去,不忍聽此言。
南登霸陵岸,迴首望長安。悟彼下泉人,喟然傷心肝。
二
荊蠻非我鄉,何為久滯淫?方舟溯大江,日暮愁我心。
山崗有餘暎,巖阿增重陰。狐狸馳赴穴,飛鳥翔故林。
流波激清響,猴猿臨岸吟。迅風拂裳袂,白露霑衣衿。
獨夜不能寐,攝衣起撫琴。絲桐感人情,為我發悲音。
羈旅無終極,憂思壯難任。
三
邊城使心悲,昔吾親更之。冰雪截肌膚,風飄無止期。
百里不見人,草木誰當遲?登城望亭隧,翩翩飛戍旗。
行者不顧返,出門與家辭。子弟多俘虜,哭泣無已時。
天下盡樂土,何為久留茲?蓼蟲不知辛,去來勿與諮。
張載 七哀詩二首
【其一】
北芒何壘壘,高陵有四五。
借問誰家墳,皆雲漢世主。
恭文遙相望,原陵郁膴膴。
季世喪亂起,賊盜如豺虎。
毀壤過一抔,便房啟幽戶。
珠柙離玉體,珍寶見剽虜。
園寢化為墟,周墉無遺堵。
蒙蘢荊棘生,蹊徑登童豎。
狐兔窟其中,蕪穢不復掃。
頹隴並墾發,萌隸營農圃。
昔為萬乘君,今為丘中土。
感彼雍門言,凄愴哀今古。
【其二】
秋風吐商氣,蕭瑟掃前林。
陽鳥收和響,寒蟬無餘音。
白露中夜結,木落柯條森。
朱光馳北陸,浮景忽西沉。
顧望無所見,唯睹松柏陰。
肅肅高桐枝,翩翩棲孤禽。
仰聽離鴻鳴,俯聞蜻蛚吟。
哀人易感傷,觸物增悲心。
丘隴日已遠,纏綿彌思深。
憂來令發白,誰雲愁可任。
徘徊向長風,淚下沾衣襟。