杜甫  中夜   中夜江山靜,危樓望北辰。長為萬里客,有愧百年身。故國風雲氣,高堂戰伐塵。胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

(夜中の感懐をのべた詩。)夜中に江も山も静まりかえっている、このとき自分は高い楼で北辰星のある方をながめる。自分はずいぶん長期にわたって、万里の客となっているし、どんなに長くても人生百年の寿命ではないか、それしかもたぬ身においてはずかしくおもう。世が乱れているため故国には風雲の気がみなぎり、富貴の華堂の家も戦伐の塵にまみれている。その「負の運気」の源をたずねるとあの混血の胡雛めが恩をわすれて叛乱をしたために、それが天下に蔓延したにほかならぬ、ああ、かつて「開元の治」という太平の世を知っている者にとってこの「負の運気」はまことに憐れむべきことである。
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雲安から夔州へ

 

 雲安を出立できたのは、ようやく永泰二(七六六)年の晩春であった。(この年の十一月に改元して大暦元年となった。よってここでは夔州期全体を便宜的に大暦の年号で通すことにする。)雲安を去る日の朝、ちょっとしたハプニングがあった。昨晩まで月夜だったのに、夜中から突然風混じりの激しい雨になったのだ。杜甫は春の嵐のような雨音を聞きながら、いよいよ旅立ちかと思うと、船上で一晩中眠れなかった。翌朝、雨は上がったものの、辺りはまだもやったままで、どこもかしこもしっとりと湿っている。王氏への挨拶もできないまま、船は一路夔州へ向けて漕ぎ出した(《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》)。766年-69杜甫 《1502船下夔州郭宿,雨不得上岸,別王十二判官》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-69 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6295

 

 雲安から夔州までは水路でほぼ百六十里なので''、杜甫の一家を乗せた船は、一両日のうちに到着したであろう。杜甫が到着した夔州は、新旧唐書の地理志によれば、山南道に属し、奉節県、雲安県、巫山県、大昌県の四県を領していた。さらに一時期は都督府(下)が置かれていたこともあり、三峡の小さな町に、夔州都督府、夔州、奉節県の三つの役所があったことになる''。政治的軍事的には一地方の重鎮であり、唐代にはそれ相応の人口もあり繁華でもあった。

 まず確認しておかなければならないのは、それらの役所の場所である。従来多く考えられてきたように、それは梅渓河(西瀼水)の西岸ではなかった。あとでも触れるが、いずれも今の子陽山(後掲の簡錦松氏によれば唐代の赤甲山)から白帝山方面にあった''。夔州に上陸した杜甫は、梅渓河西岸ではなく、赤甲山、白帝山方面にある役所で夔州入りの手続きを済ませた違いない。ここからいよいよ杜甫の夔州時代が始まる。

 ほとんどの編年系のテキストで夔州詩の最初に置かれているのは、《1501_移居夔州作》の詩である。766年-68杜甫 《1501移居夔州郭》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-68 <931-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6290

夔州詩は、仇注本では巻十五から、巻二十一の真ん中まで、六巻半の分量である。夔州には七六六(大暦元)年の晩春から、七六八(大暦三)年正月の中頃まで滞在した。夔州に到着したのを仮に晩春の三月の真ん中だとして数えると、二十二ヶ月である。数えで杜甫の五十五歳から五十七歳までにあたる。

 足かけ三年、実質一年十ヶ月の夔州滞在ではあるが、この間に何度か居所を変えた。その詳細についてはあまり分かっていない。いろいろな意見が出されており、多いものでは、客堂→草閣(江辺閣)→西閣→赤甲→瀼西→東屯の六カ所を想定している人もいる''。そういう中で、一年目の客堂、草閣、赤甲への移居説はひとまず置くとしても、二年目晩春の瀼西と秋の東屯への移居はおおかたの一致するところである。

 杜甫が(西閣または赤甲から)瀼西へ引っ越したことは、いろいろな詩から総合的に判断できることであるが、より直接的には以下の詩からわかる。それは《1813_瀼西寒望》の詩に、瀼西への引っ越し計画を、

  「瞿唐春欲至、定卜瀼西居。」 

瞿唐には春に至らんと欲し、定(かなら)ず瀼西の居を卜さん。

766年-82杜甫 《1814瀼西寒望》五言律詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-82 <945 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6360

と述べており、そして実際に《18571861_暮春題瀼西新賃草屋,五首》の五首連作の詩を作っているからである。瀼西の住まいはこの段階ではまだ賃借りの状態であるが、その後間もなく杜甫によって買い上げられ、その住宅には果園も付属していたと考えられる。その証拠となる詩は、次の四首である。大暦二年の秋、その住宅を杜甫の娘婿の呉郎に、貸し与えることを述べた《2022_簡呉郎司法》の詩に、

  「古堂本買藉疏豁、借汝遷居停宴遊。」 

古堂 本(もと)買いしは 疏豁(からりとひろき)に藉()る、汝に借して居を遷さしめ 宴遊を停()めしめん。

と述べ、その年の晩秋の《2037_小園》の詩には、

  「客病留因藥、春深買為花。」 

(たび)に病んで 留(とど)まるは薬に因()る、春深くして 買うは花の為なり。

とあって、詩題にいう小園を晩春に買ったと述べているからである。この小園については浦起竜も「瀼西の果園なり」「買うとは園を買うにして、花を買うには非ざるなり」(巻三之六)というように、瀼西の四十畝のそれであったろう。そしてその果園が瀼西宅に附属していたものであることは、《2038_寒雨に朝行きて園の樹を視る》の詩に「わが柴門は樹を擁して千株に向(なんな)んとす」とあることからわかる。千株は「千橘」の典故を意識した千本にも近い蜜柑の木を意味する。さらに翌年正月、夔州を去るに当たって、その家屋と果園の不動産を南卿兄という人物に贈ることを詩題にした《2127_将に巫峡に別れんとして南卿兄に瀼西の果園四十畝を贈る》の詩が作られている。果園が何ヶ所でどこにあったかなどについては異説があるが、全体としてこの通説は正しいであろう。「瀼西宅」(《1916_阻雨不得歸瀼西甘林》による)に住んだのは、東屯に一時移り住み呉郎に貸し与えた時期を考慮外とし、多く見積もったとしても大暦二年の暮春三月から翌年正月まで十ヶ月足らずである。

 大暦二(七六七)年、五十六歳の杜甫が、野菜作りや稲田・蜜柑園の管理経営に力を入れるのが、この瀼西(東屯)に住んでいた一時期である。杜甫と農業の関わりを明らかにする上での基本作業として、その舞台となる瀼西の住まいがどこにあったのかをはっきりさせたい。そして杜甫はそれをどのように詩に詠じているのか。そうしたことを明らかにするのが小論の目的である。

 

瀼西の地理的位置

 瀼西宅の場所については、南宋以来、近年の厳耕望氏や多くの杜甫伝までもふくめて、ほとんどが梅渓河(西瀼水)西岸にあったと考えている。草草堂河は白帝山の東北方面から流れてきて、瞿塘峡口と白帝山南端部で長江に流入する川である。これによって瀼西宅が白帝山の西側にあるのか、東側にあるのか、大きく異なることになった。

 草堂河は白帝山の南端で長江に合流するが、そこから遡るかたちで杜甫の瀼西宅を説明してみよう。草堂河は、白帝山の東側を半周するとほぼ真っ直ぐな水路となり、左手に子陽山(唐代の赤甲山)、右手に今の赤甲山(唐代の白塩山)に挟まれた一段が続く。この部分の左岸が瀼西区で右岸が瀼東区である。その一段を過ぎると草堂河は【>】の字型に流れを転じて上流へ向かうが、そのカーブする箇所の左岸下部に杜甫の瀼西宅はあったとされる。そこは赤甲山の東側の山裾でもあり、その南面である。従って瀼西宅を陸路で出発し、その赤甲山の東麓を真北に越えて行けば、方向を転じてきた草堂河に再び出会うことになる。ちょうどそのあたりで、草堂河は石馬河と合流する。その合流地点はあたかもYの字型で、その合流点の北岸に杜甫の東屯の住まいがあった。東屯は瀼西宅からすると、北の方角にある。

 ここに作成した夔州杜甫住居周辺の概略図は、現在の奉節一帯の衛星写真(Google Maps )から地形の輪郭を取り(草堂河に水が入っている通常期であろう)、杜甫氏の雰囲気、現地を歩いてみて、予測して地名を書き込んだのである。なお唐代の役所の所在地については厳耕望氏『唐代交通図考』を参考にした。

瞿塘峡・白帝城・魚復

杜甫詩1500-1011-1509/2500

年:766年大暦元年55-139

卷別: 卷二三○  文體: 五言律詩 

詩題:中夜

作地點:夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州) 

及地點:草閣(山南東道 夔州 夔州) 別名:江邊閣

巫州 (黔中道 巫州 巫州)  別名:黔陽  

862  

 

中夜

(夜中の感懐をのべた詩。)

中夜江山靜,危樓望北辰。

夜中に江も山も静まりかえっている、このとき自分は高い楼で北辰星のある方をながめる。

長為萬里客,有愧百年身。

自分はずいぶん長期にわたって、万里の客となっているし、どんなに長くても人生百年の寿命ではないか、それしかもたぬ身においてはずかしくおもう。

故國風雲氣,高堂戰伐塵。

世が乱れているため故国には風雲の気がみなぎり、富貴の華堂の家も戦伐の塵にまみれている。

胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

その「負の運気」の源をたずねるとあの混血の胡雛めが恩をわすれて叛乱をしたために、それが天下に蔓延したにほかならぬ、ああ、かつて「開元の治」という太平の世を知っている者にとってこの「負の運気」はまことに憐れむべきことである。(中夜)

中夜 江山静かなり、危楼 北辰を望む。

長く万里の客と為るも、愧ずる有り百年の身。

故国 風雲の気、高堂 戦伐の塵

胡雛 恩沢に負く、嗟 爾 太平の人。

 

夔州東川卜居図詳細 002 

『中夜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

中夜

中夜江山靜,危樓望北辰。

長為萬里客,有愧百年身。

故國風雲氣,高堂戰伐塵。

胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

(下し文)
(中夜)

中夜 江山静かなり、危楼 北辰を望む。

長く万里の客と為るも、愧ずる有り百年の身。

故国 風雲の気、高堂 戦伐の塵

胡雛 恩沢に負く、嗟 爾 太平の人。

(現代語訳)
(夜中の感懐をのべた詩。)

夜中に江も山も静まりかえっている、このとき自分は高い楼で北辰星のある方をながめる。自分はずいぶん長期にわたって、万里の客となっているし、どんなに長くても人生百年の寿命ではないか、それしかもたぬ身においてはずかしくおもう。

世が乱れているため故国には風雲の気がみなぎり、富貴の華堂の家も戦伐の塵にまみれている。

その「負の運気」の源をたずねるとあの混血の胡雛めが恩をわすれて叛乱をしたために、それが天下に蔓延したにほかならぬ、ああ、かつて「開元の治」という太平の世を知っている者にとってこの「負の運気」はまことに憐れむべきことである。


(訳注)

中夜

(夜中の感懐をのべた詩。)

大暦元年夔州にあっての作。766年大暦元年55の作で、この年-139首目である。

 

中夜江山靜,危樓望北辰。

夜中に江も山も静まりかえっている、このとき自分は高い楼で北辰星のある方をながめる。○危楼 夔州寓居の西閣をいう。

○北辰 北極星、真北にある長安の方位をいう。

 

長為萬里客,有愧百年身。

自分はずいぶん長期にわたって、万里の客となっているし、どんなに長くても人生百年の寿命ではないか、それしかもたぬ身においてはずかしくおもう。

 

故國風雲氣,高堂戰伐塵。

世が乱れているため故国には風雲の気がみなぎり、富貴の華堂の家も戦伐の塵にまみれている。

○故国 ここでは長安をいうが、杜甫の生まれ故郷は洛陽近郊の偃師である

○高堂 富貴の家の華堂をいう。

 

胡雛負恩澤,嗟爾太平人。

その「負の運気」の源をたずねるとあの混血の胡雛めが恩をわすれて叛乱をしたために、それが天下に蔓延したにほかならぬ、ああ、かつて「開元の治」という太平の世を知っている者にとってこの「負の運気」はまことに憐れむべきことである。

○胡雛 張九齢は安禄山を見て幽州を乱す者はこの胡雛であろうといった、胡雛は禄山をさす。中華思想は異民族との混血児でもって同化政策を行い、「漢化」していく。ただ、西域の騎馬民族の戦の戦略、獰猛さは農耕民族の支配=「漢化」の融和できない問題点であった。現代における、ウイグル問題もこの問題と同じなのである。

○負恩沢 唐の天子の恩沢にそむく。

○太平人 太平の世に逢っている人民。
李白の足跡0000