杜甫  覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

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  2015年10月26日 の紀頌之5つのBlog  
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杜甫詩1500-1028-1526/2500

年:766年大暦元年55-156

卷別:    卷二三一              文體:    七言律詩

詩題:    覽物【峽中覽物】

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              潼關 (京畿道 華州 潼關)    

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳            

 

 

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

 

覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

安史の乱当時の勢力図 

 

『覽物』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

覽物【峽中覽物】

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

(下し文)
覽物【峽中 物を覽る】

曾て掾吏と為って三輔に趨く,憶う 潼關に在りて詩興多かりしことを。

巫峽は忽ち 華岳を瞻るが如く,蜀江は猶お黃河を見るに似たり。

舟中 病を得て衾枕を移し,洞口 春を經て薜蘿長ず。

形勝 餘り有り 風土惡しし,幾時か 首を回して一たび高歌せん。

(現代語訳)
(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

京兆地域図002
(訳注)

覽物【峽中覽物】

(夔州三峡の山水景色を見て、帰郷の情を動かしたことを述べる。)

峽中覽物 夔州急峻な三峡の山水、長江に注ぎ込む支流の山水、長江本流の流れの風景を味わってみることを言う。

 

曾為掾吏趨三輔,憶在潼關詩興多。

かつて朝廷の左拾遺から都の三輔の扶風行政区にある華州司功参軍の掾吏に左遷されたことがあったが、そこで思い出すのは、潼関あたりでは、詩興を掻き立てるものが多かったことである。

掾吏 758年左拾遺から華州司功参軍に出されたことを言う。この時、政権批判の内容で科挙試験問題を作っている。

757年至徳二載 《乾元元年華州試進士策問五首 (23) 全体》 杜甫<1509-T 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4340 杜甫詩1500/2500

三輔 都の付属の行政区画で、京兆・扶風・馮翊を三輔といい、華州は扶風に属す。

○潼關 潼関は関中平原の東部、秦嶺山脈の北、渭河、洛河の南、華山の東に位置し、山西、陝西、河南の3省を結ぶ交通の要衝であり、古来より軍事家による争奪の地となった。

詩興多 古戦場、名所旧跡が多く、五岳、交通の要衝、・・・。

 

巫峽忽如瞻華岳,蜀江猶似見黃河。

ではここ巫峽を見るとどうであろうか、たちまち、五岳の華嶽を見るようであり、蜀から流れてくるこの長江の流れは、黄河に匹敵するものとみるのである。

巫峽 長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。

華岳 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。

蜀江 蜀の成都付近を流れる川。長江上流の一部。「蜀江の錦(にしき)」の略。

黃河 中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。

 

舟中得病移衾枕,洞口經春長薜蘿。

ただ、自分は、船中で病気がひどくなったために、養生して回復するには陸に上がって衾枕を移したのである、そうすれば、洞庭湖の入り口で春を迎えられ、少しすれば、薜蘿が長くなるのを見届けることになるであろう。

移衾枕 杜甫は、喘息の持病があり、762~764年蜀中輾転している間に杖が必要となった。それでも故郷に帰る一段階として船でゆっくりと荊州、湖南に向かおうとして蜀を出発、忠州、渝州、雲安、夔州奉節と進んだが、喘息の症状が悪化し、陸に上がり奉節の牛居に移って、かなり真剣に農業に従事している。

洞口 荊州を経て、ひとまずの目標、洞庭湖付近に向かいたいと思っていること。

○薜蘿 姫カズラ、初夏には藤棚を見るということ。この表現で、春から初夏くらいまで洞庭湖で過ごして洛陽長安に向かおうと思っていたのであろう。このころ一番世情が安定していたのが洞庭湖付近であった。

 

形勝有餘風土惡,幾時回首一高歌。

今いる夔州は景勝は素晴らしいのであるが、何せ、瘴癘の風土が良くない、いつになったら故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望んでひとたび高らかに詩吟することができるだろうか。

形勝 1 風景がすぐれていること。また、その土地。景勝。「形勝の地」2 敵を防ぐのに都合のよい地勢・地形。要害。

風土惡 異民族の風俗が入り混じっており、炎熱の地であり、雨の多い地の雨期乾期があり、瘴癘の気が多い、特に水が良くないということ。(夔州での作品の半分近くはこの風土につて触れた詩を書いている。)

幾時 いつの時か、来年(767)の春には動けると思っている。

回首 故郷の方に首を回らして帰り、華岳、終南山、黄河、に望むこと。

一高歌 首聯下句「詩興多」を受けて、詩を高らかに吟じようということ。

唐時代 地図山南 東・西道50