杜甫  陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

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陪柏中丞觀宴將士,二首之一

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て詠んだもの)

極樂三軍士,誰知百戰場。

夔州都督府三軍の全軍の士がこの酒宴に招かれてみな楽しさを極めている、彼らが百戦場を往来した豪のものだとは誰が知っていようか。

無私齊綺饌,久坐密金章。

主人は、公平無私で誰にでも一様にした立派なご馳走を供せられる、座席が久しくなると皆が金印を帯びた主人の所へ接近してくる。

酒客霑鸚鵡,佳人指鳳皇。

そこで酔った賓客は鸚鵡螺の酒杯を恵まれて潤い、接客の佳人たちは鳳凰の琴を弾いてくれる。

幾時來翠節,特地引紅妝。

一体いつになればここに翠節が来任されて、特にこのような若い美人に招き入れられるということがあるのだろうか。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の一)

樂しみを極む 三軍の士,誰か知らん 百戰の場。

無私 綺饌齊しく,久坐 金章密なり。

酒客 鸚鵡に霑い,佳人 鳳皇を指す。

幾時か 翠節來りて,特地 紅妝を引かんや。

 

 

杜甫詩1500-1033-1531/2500

年:766年大暦元年55-161

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    陪柏中丞觀宴將士,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:             

交遊人物/地點:柏茂林      當地交遊(山南東道 夔州 夔州)

 

 

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

 

『陪柏中丞觀宴將士,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。
詩文(含異文)     繡段裝檐額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵【百戲後歌鐎】【案:刁斗也。】。江樹城孤遠,雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。


(下し文)
(柏中丞に陪して將士を宴するを觀る,二首の二)

繡段 檐額を裝い,金花 鼓腰に帖す。

一夫 先ず 劍を舞,百戲 歌樵に後る。

江樹 城孤遠なり,雲臺使 寂寥なり。

漢朝 頻り將を選ぶ,應に拜するなるべし 霍嫖姚。

(現代語訳)
(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。


(訳注)

陪柏中丞觀宴將士,二首之二

(柏中丞に陪席して中丞が将士に対し酒盛りをしたときの様子を見て、特に当時大流行していた「散楽」が演じられたのを詠んだもの)

柏中丞 御史中丞柏茂林、即ち、夔州都督であったということ。中丞都督の命は、大暦元年八月にあり、その任に就いたのは冬であった。杜甫は、柏都督のために、謝上表を代作した。

此処では柏中丞に陪席して、その酒宴で、当時もっとも流行し、大喝采を受けていた散楽の様子を述べている。

舞踊は宮廷や貴族の酒宴ばかりでなく、民間の酒場や行事でも頻繁に行われた。外国から様々な舞踊が伝えられ、その種類も大きく増加した。様々な階層のものが舞踊を好み、楊貴妃や安禄山は胡旋舞の名手であったと伝えられる。

舞踊は、ゆったりした動きの踊りを「軟舞」、テンポが速い激しい踊りを「健舞」と分けられた。「胡旋舞」や「胡騰舞」は健舞に含まれた。伝統舞踊に外国からの舞踏が加わっていき発展していった。

 

繡段裝檐額,金花帖鼓腰。

刺繍の縫い取りの織物で軒先を飾り付け、太鼓の胴には金色の造花を張り付ける。夔州においても散楽が催されるのである。

繡段 刺繍の縫い取りの織物。タペストリーのようなもの緞通のように敷くものではないが重厚さがあるもの。

裝檐額 軒先を飾り付け。

金花 金色の造花。

帖鼓腰 太鼓の胴まわりに張り付ける。

 

一夫先舞劍,百戲後歌樵。

一人の男がまず剣舞をする、それから異民族の樵の歌があって、そのあとに様々な散楽の出し物「百戯」が演じられたのである。

一夫先舞劍 一人の武太夫が剣舞を舞う。

百戲 様々な散楽の出し物。

歌樵 夔州にいる異民族の歌う樵歌。「夷歌幾處起漁樵」ということと同じ。散楽では、めったにない異民族のものほど喜ばれた。唐では、西域のものが最も喜ばれたという。

◎ここまでの四句は、六朝から唐時代に最も盛んになった散楽を示している。散楽は、「百戯」とも呼ばれる民間で行われる様々な娯楽のための技芸の総称である。次第に西域の技芸が取り入れられるようになり、盛唐では、宮廷でも左右教坊によって管轄された。散楽は、民間の音楽や角觝など武術、芝居も含まれるが、主流は曲芸や幻術(手品)、であった。内容は、竿木、縄伎(戯縄ともいう)、舞馬(象で行うこともある)、跳丸、弄剣、筋斗(とんぼ)、球伎、馬伎、呑刀、吐火、舞剣、植瓜、種棗、盤舞、杯盤舞などがあった。

散楽は、宮廷だけではなく、皇族や貴族の邸宅で行われた。また、長安には、大慈恩寺、青竜寺、大薦福寺、永寿寺などの寺の境内や門前に「戯場」が置かれ、散楽が演じられた。

安史の乱以後は、散楽も、各地の節度使のもとや地方の州で行われるようになった。

 

江樹城孤遠,雲臺使寂寥。

ここ長江三峡地区の岸辺に樹木の上に聳える夔州城は、都から離れ孤立していて雲台からの使者がめったに来ることもない。

江樹 三峡地区の岸辺に樹木。

城孤 都から離れ孤立している城。夔州城は白帝城とともに、三峡地区の重瑤池点であった。人口も数万人が棲んでいた。

雲臺 秦の咸陽城、漢の長安城は水上輸送を基本に置いた渭水に近く低地にあったが、長安城ない、皇城、大明宮は高台に作られたことを言う。

使 朝廷からの使者。夔州は駅伝制の陸路駅と水上交通の水路駅の両方があったので、使者は必ず立ち寄るところである。

寂寥 それでもめったにこないこと。

 

漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

漢朝の流れをくむ唐の中央朝廷では、しきりに大将を選抜されている折であるから、きっと、漢の霍去病の再来といわれている、柏中丞はその選任にあたっておられることであろう。

漢朝 下句に漢の大将軍、霍嫖姚を引き合いに出しているので、唐朝のことを言う。

頻選將 しきりに大将を選抜する。

應拜 拜は任命すること、しきりに大将を選抜、任命していたことをいう。

霍嫖姚 霍去病称ここでは、柏中丞に比している。霍 去病(かく きょへい、紀元前140 - 紀元前117年、Huò Qù-bìng)は、前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。

しかし宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったとされ、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていた模様だった。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。

 

李白《巻02-28 胡無人》「嚴風吹霜海草凋。 筋干精堅胡馬驕。 漢家戰士三十萬。 將軍兼領霍嫖姚。」

李白《巻四10塞下曲六首 其三》 「駿馬似風() ( 似一作如 ) 鳴鞭出渭橋。 彎弓辭漢月。 插羽破天驕。 陣解星芒盡。 營空海霧消。 功成畫麟閣。 獨有霍嫖姚。」

 

 

<同時期の“柏茂林”中丞につての作品>

(1)      1822  覽柏中丞(一作允)兼子姪數人除官制詞因述父子兄弟四美載歌絲綸(卷一八(四)一五七一)    紛然喪亂際,見此忠孝門。蜀中寇亦甚,柏氏功彌存。深誠補王室,戮力自元昆。三止錦江沸,獨清玉壘昏。高名入竹帛,新渥照乾坤。子弟先卒伍,芝蘭疊(一作壘)璵璠。同心注師律,灑血在戎軒。絲綸實具載,紱冕已殊恩。奉公舉骨肉,誅叛經寒溫(一作暄)。金甲雪猶凍,朱旗塵不翻。每聞戰場,欻激懦氣奔。聖主國多盜,賢臣官則尊。方當節鉞用,必祲沴根。吾病日迴首,雲臺誰再論。作歌挹盛事,推轂期孤(一作騫,非)。54杜甫 1822覽柏中允兼子姪數人除官制詞,因述父子兄弟四美,載歌絲綸》【4分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-54 <919 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6135

 

(2) 1823  覽鏡呈柏中丞(卷一八(四)一五七五)    渭水流關,終南在日邊。膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。起晚堪從事,行遲更學(    一作覺)仙。鏡中衰顏色,萬一故人憐。

(3) 1824  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其一(頁一五七六)    極樂三軍士,誰知百戰場。無私齊綺饌,久坐密金章。醉客沾鸚鵡,佳人指鳳凰    。幾時來翠節,特地引紅妝。

(4) 1825  陪柏中丞觀宴將士二首(卷一八(四)一五七六)    其二(頁一五七七)    繡段裝簷額,金花帖鼓腰。一夫先舞劍,百戲後歌樵(一作鐎)。江樹城孤遠,    雲臺使寂寥。漢朝頻選將,應拜霍嫖姚。

(5) 1826  奉送蜀州柏二別駕將中丞命赴江陵起居衛尚書太夫人因示從弟行軍司馬位(卷一八 (四)一五七八)    中丞問俗畫熊頻,愛弟傳書綵(益鳥)新。遷轉五州防禦使,起居八座太夫人。    楚宮臘送荊門水,白帝雲碧海春。與報(一作報與)惠連詩(一作書),不惜    ,知吾斑鬢總如銀。

(6) 2108 送田四弟將軍將夔州柏中丞命起居江陵節度使(一無使字)陽城郡王衛公幕(一云    〈夔府送田將軍赴江陵)(卷二一(四)一八三五)    離筵罷多酒,起舵(從《杜臆》,舊作地)發寒塘。回首中丞座,馳箋異姓王。    燕辭楓林日,雁度麥城霜。定(一作空)醉山翁酒,遙憐似葛疆。

 

<巻18-23

年:766年大暦元年55-158

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    覽鏡呈柏中丞

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:柏茂林      書信往來(山南東道 夔州 夔州)

 

 

覽鏡呈柏中丞

(身に着けている鏡を見て自分の衰えたことを嘆息して、柏中丞にこの詩を呈した)

渭水流關終南在日邊。

関中には、渭水が本流にして流れている。終南山は日輪の南辺のように長安にある。

膽銷豺虎窟,淚入犬羊天。

その地方は豺虎のような盗賊の巣窟となり、犬羊のような臭い異民族の吐蕃などの場所になっているので自分の膽もこれがために消えようとして、自分の涙はそちらに向かって注がれる。

起晚堪從事,行遲更學仙。

自分は、朝、遅く起きだすものであるから、とても、仕事に堪えられないし、また歩くのが遅いから、いまさら仙人から学ぶこともはばかられる。

鏡中衰謝色,萬一故人憐。

おまけに、鏡を見ると老衰してきた色が照いるのが分かるし、これでも万が一にもあなたが気の毒に思ってくださるなら、それだけを頼りにいていこうと思うのである。

 

(鏡を覽て柏中丞に呈す)

渭水 關,終南 日邊に在り。

膽は銷す 豺虎の窟,淚は入る 犬羊の天。

起きること 晚し 事に從うに堪んや,行くこと 遲し 更に仙を學ばんや。

鏡中 衰謝の色,萬一 故人憐まん。