杜甫  秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

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杜甫詩1500-1034-1532/2500

年:766年大暦元年55-162

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:湖上亭 (山南東道 峽州 峽州)           

庾公樓 (江南西道 江州 江州) 別名:庾樓    

高唐 (河北道南部 博州 高唐)          

昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱        

交遊人物/地點:鄭審          書信往來(山南東道 峽州 峽州)

 

 

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

 

『秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

池要山簡馬,月淨庾公樓。

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。
詩文(含異文)     碧草逢春意【碧草違春意】,沅湘萬里秋。池要山簡馬,月淨庾公樓【月靜庾公樓】。磨滅餘篇翰,平生一釣舟。高唐寒浪減【高唐寒浪滅】,彷彿識昭丘。


(下し文)
(秋日 鄭監が湖上の亭に寄題す,三首の一)

碧草 春意に逢う,沅湘 萬里秋なり。

池は要う 山簡の馬,月は淨し 庾公の樓。

磨滅 篇翰を餘す,平生 釣舟一つなり。

高唐 寒浪減じ,彷彿 昭丘を識る。

(現代語訳)
(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。


(訳注)

秋日寄題鄭監湖上亭,三首之一

(秋の日に秘書少監鄭審が荊州の南湖のほとりにある亭に寄せ題した詩)大暦元年55

鄭監 秘書少監鄭審、この時荊蛮の地に謫貶されている。・秘書少監:古代の官職。図書助の別称。

湖上亭 山南東道 峽州南湖のほとりの亭。

 

碧草逢春意,沅湘萬里秋。

荊州は、此処と万里を隔てた沅水、湘水にかけて秋であって、春の意にはそむくが草は依然として緑である。

碧草逢春意 草が緑にうっそうと茂っているのが春と見紛う様だがよく見ると春の草むらとは違っているようだ。《1940秋日夔府詠懐奉寄鄭監李賓客一百韻》「春草何曾歇」と同じ意。

沅湘 洞庭湖に流入する河川名の沅水、湘水。・沅水:沅江(げんこう、Yuan River、簡体字:沅江、拼音: Yuán jiāng)、あるいは沅水(げんすい、拼音: Yuán shuǐ)は、中華人民共和国を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つで、その長さは湘江に次ぐ。沅江の上流には、源流となる南と北の二つの川がある。南の源流は「龍頭江」といい、貴州省都匀市の雲霧山脈から流れている。北の源流は「重安江」といい、貴州省麻江県の平月間の大山から流れる。両方の源流が合流して清水江と名を変え、鑾山(らんざん)に至り湖南省懐化市芷江自治県に入る。東へ流れて黔城で舞水と合流して沅江と名を変える。懐化市会同県、洪江市、中方県、漵浦県、辰渓県、湘西トゥチャ族ミャオ族自治州瀘渓県、沅陵県、常徳市桃源県、常徳市区を流れ、常徳市の徳山で洞庭湖に注入する。・湘水:湘江(しょうこう、Xiang River、拼音: Xiāng jiāng)、あるいは湘水(しょうすい)は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km

 

池要山簡馬,月淨庾公樓。

こんなところではあるが、高陽池というべき池があるから長官は、山簡の馬を迎えることでしょうし、また、庾樓に比すべきあなたの楼には月の光が清らかに照らすことだろう。

池要 池に向かう。

山簡馬 李白《秋浦歌十七首 其七》「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」(酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚【ねいせき】の牛。空しく白石爛【はくせきらん】を吟ずれば、泪は満つ  黒貂【こくちょう】の裘【かわごろも】。)山簡:(さん かん、生没年未詳)は、三国時代の魏および西晋の襄陽の刺史である。字は季倫。父は竹林の七賢の一人、山濤。別名「山翁」「山公」。生没年は未詳であるが、父で後代に竹林の七賢に数えられる山濤が河内郡懐県(現在の中国河南省)の人であり、山簡はその地で育った。その後の永嘉3年(309年)に魏及び西晋に仕え、襄陽に赴き刺史に任命された。また、後に「詩仙」と呼ばれる李白が著した「秋穂歌」には、酔うて上る 山公の馬との記述が見られ、帽子を後ろ向きに被り、馬に後ろ向きで乗馬するといった奇行を度々犯して、当時流行った襄陽童謡に歌われたといわれている。

月淨庾公樓 晉の庾亮(289 - 340年)は、中国東晋の政治家。字は元規。潁川鄢陵(現河南省鄢陵県)の出身。庾琛の子で庾彬、庾羲の父。325 、明帝の臨終の際、東晋建国の重臣である司徒の王導と共にその遺詔を受け、中書令として甥の成帝を補佐することになる。幼少の成帝の外戚として当時の権勢は王導を凌ぎ、寛大な融和政策をとる王導とは対照的に、庾亮は皇帝の権力強化のため、厳格な法治主義政策をとるなどして辣腕をふるった。山簡とともに、鄭監に比す。

 

磨滅餘篇翰,平生一釣舟。

自分はあなたからもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。しかし、平生の自分は、釣り船を一艘持っている。だからあなたのところいくじゅんびはできている。

磨滅餘篇翰 鄭監からもらった詩篇を持っているが、それを愛撫するあまり、それがすり減ってなくなるほどである。

一釣舟 自分は、釣り船を一艘持っている。764年廣德二年杜甫《1325 將赴荊南寄別李劍州》「路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。」(路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。)自分はこれから左右の鬢の毛のもつれた老体をもって急流の灩澦堆の路をとおり、一扁の釣舟に乗じて滄浪の天に入ろうとする。

 

高唐寒浪減,彷彿識昭丘。

巫山の夢の高唐のあたりで寒空の波が減ってきたようなので、三峡を下ってあなたの方に向かうことができないだろう、今から、もはやおぼろにあなたの方の昭丘がわかるような気がするのである。

高唐 高唐 (河北道南部 博州 高唐)高唐観という解釈をする。巫山縣北西、高唐賦の巫山、巫峽の水位が低いと船の航行が危険である。

寒浪減 冬季急流の水位が落ちていること。

昭丘 昭丘 (山南東道 荊州 當陽) 別名:昭邱 :楚の昭王の墓陵のあるところ、荊州當陽縣東南70里にある。

 

山簡について

1.杜甫

《卷九40北鄰 「明府豈辭滿,藏身方告勞。青錢買野竹,白幘岸江皋。愛酒晉山簡,能詩何水曹。時來訪老疾,步屧到蓬蒿。」

《卷一○64 王十七侍御掄許攜酒至草堂奉寄此詩便請邀高三十五使君同到》「戲假霜威促山簡,須成一醉習池迴。」

《卷一○65  王竟攜酒高亦同過共用寒字》「臥病荒郊遠,通行小徑難。故人能領客,攜酒重相看。自愧無鮭菜,空煩卸馬鞍。移樽勸山簡,頭白恐風寒。」

《卷一二49  章梓州水亭》「荊州愛山簡,吾醉亦長歌。」

2.李白

李白50  《襄陽曲四首其二》「山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。」(山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下。頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎る。)

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。

あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

3.その他

詠懐詩  阮籍

夜中不能寐、起坐弾鳴琴。薄帷鑒明月、清風吹我襟。

孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。徘徊将何見、憂思独傷心。

 

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。

この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

 

 

將赴荊南寄別李劍州

使君高義驅今古,寥落三年坐劍州。

但見文翁能化俗,焉知李廣未封侯。

路經灩澦雙蓬鬢,天入滄浪一釣舟。

戎馬相逢更何日,春風回首仲宣樓。

(将に荊南に赴かんとして李剣州に寄せ別る)

使君の高義今古を駆る、蓼落三年剣州に坐す。

但だ文翁の能く俗を化するを見て、焉んぞ李広の未だ侯に封ぜられざるを知らん。

路は灩澦【えんよ】双蓬の鬢で経て、天槍 浪に一釣舟で入る。

戎馬相い逢う更に何の日ぞ、春風 仲宜が楼に首を廻らさん。

廣徳2764-68 《將赴荊南寄別李劍州》764年廣德二年 杜甫<744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4050 杜甫詩1500-744-981/2500