杜甫  奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

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杜甫詩1500-1037-1535/2500

年:766年大暦元年55-165

卷別:    卷二三一              文體:    五言律詩

詩題:    奉寄李十五祕書【案:文嶷。】,二首之一

作地點:              夔州(山南東道 / 夔州 / 夔州)

及地點:              雲安 (山南東道 夔州 雲安) 別名:南楚         

奉節 (山南東道 夔州 奉節) 別名:魚復        

楚王臺 (山南東道 夔州 巫山)          

交遊人物/地點:李文嶷      書信往來(山南東道 夔州 雲安)

 

 

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

 

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

奉寄李十五祕書文嶷。二首之二

行李千金贈,衣冠八尺身。

飛騰知有策,意度不無神。

班秩兼通貴,公侯出異人。

玄成負文彩,世業豈沈淪。

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之二)

行李 千金の贈,衣冠 八尺の身。

飛騰 策有るを知る,意度 神無くんばあらず。

班秩 通貴を兼ぬ,公侯 異人を出だす。

玄成 文彩を負う,世業 豈に沈淪せんや。

 

 

『奉寄李十五祕書文嶷。二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

避暑雲安縣,秋風早下來。

暫留魚復浦,同過楚王臺。

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。
詩文(含異文)     避暑雲安縣,秋風早下來。暫留魚復浦【暫之魚復浦】,同過楚王臺。猿鳥千崖窄,江湖萬里開。竹枝歌未好,畫舸莫遲回【畫舸莫輕回】【畫舸且遲回】【畫舸且輕回】。


(下し文)

(李十五祕書文嶷に寄せ奉る。二首之一)

避暑した 雲安縣,秋風 早に下り來る。

暫く留る 魚復の浦,同じく過る 楚王の臺。

猿鳥 千崖窄く,江湖 萬里開く。

竹枝 歌未だ好からず,畫舸 遲回する莫れ。

(現代語訳)
(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)之一

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。


(訳注)

奉寄李十五祕書文嶷。二首之一

(雲安に滞在している秘書省の官である宗室李文嶷に寄せ奉った詩。)

765年永泰元年杜甫54歳の時、雲安か夔州奉節魚復で知り合った李文嶷がおそらく雲安に行っているということで、この詩を送ったものと思われる。

 

避暑雲安縣,秋風早下來。

今あなたのいるところは、自分が、雲安縣で暑さを避けていたところですが、秋風は早い時期から吹き降ろしてきました。

雲安 山南東道夔州雲安、別名、南楚という。765年永泰元年初秋から、766年永泰二年暮春まで足掛け10か月長期滞在をしている。雲安において、杜甫は、二十首、プラス、草堂逸詩拾遺三首の23首作っている。

765年永泰元年54-51 《雲安九日,鄭十八攜酒陪諸公宴》 杜甫index-15 杜甫<851 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4990

765年永泰元年54-43 《十二月一日,三首之一》 杜甫index-15 杜甫<843 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4950 杜甫詩1500-843-1161/2500765年永泰元年54-43

765年永泰元年54-44 《十二月一日,三首之二》 杜甫index-15 杜甫<844 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4955 杜甫詩1500-844-1162/2500765年永泰元年54-44

765年永泰元年54-45 《十二月一日,三首之三》 杜甫index-15 杜甫<845 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4960 杜甫詩1500-845-1163/2500

秋風 夏季は同じように暑いが、地理的に、秋風が早く吹くのでしのぎやすい面もあるというほどの意。この句で、李文嶷が鄆州に行っていると判断できるもの。

 

暫留魚復浦,同過楚王臺。

その後、しばらくしてから、魚復浦に逗留してあなたとご一緒に楚の襄王と瑤姫のまじりあいの陽雲臺を訪ねました。

魚復浦 山南東道 夔州 奉節縣東南にある。

同過 李文嶷と一緒に過ごしたことをいう。

楚王臺 山南東道夔州巫山、陽雲臺をいう。巫山縣の西北にあり、高さ百二十丈もあるという。宋玉、『高唐賦』に、「襄王與宋玉遊於雲夢之臺,望高唐之觀。又曰。巫山神女去而辭曰:『妾在巫山之陽,高丘之阻,旦為朝雲,暮為行雨朝朝暮暮,陽臺之下。』

 

猿鳥千崖窄,江湖萬里開。

雲安は、猿と鳥が鳴き叫んで、多くの崖が集まって平地の少ない窄いところであった、そして、前途江湖の地方へ出れば、はてしなく萬里のてんが開いている。

千崖窄 雲安の地は、平地が少なく、杜甫は、飲み水にも困ったとその詩に書いている。そして同時期の詩に、夔州奉節には平地が多いといっている。杜甫 《1520寄韋有夏郎中》「猶聞上急水,早作取平途。」(猶お聞く 急水を上ると,早く平途を取るを作せ。)あなたは長江下流域からなお急流をさかのぼって行かれるとのことだが、早くここの平地に来るようにされたら良いとは思うが、どうだろうか。

766年-159杜甫 《1520寄韋有夏郎中》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-159 <1031 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6835 

江湖 長江、洞庭湖など荊州方面をさしている。

 

竹枝歌未好,畫舸莫遲回。

巴渝地方の土謡もよいことは良いが卑俗すぎて好きに離れない、そうでない良いものもあるけれど、あなたの奇麗な船もつなぎとめたままで、ぐずぐずなされておるようですが、私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか。

竹枝歌未好 竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうが、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものが多く、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されているものがおおく、その卑猥な似たフレーズを繰り返し、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる部分が、文学的でない分、杜甫が好きになれなかったということであろう。おそらく、李文嶷も房琯グループであったので、儒者は竹枝詞が好きではないという、杜甫との共通認識があるものと思われる。

畫舸 李文嶷の奇麗な船もつなぎとめたままであること、長期間雲安、夔州方面に滞在していること。

莫遲回 ぐずぐずなされておることは良くないのではないか、(私と一緒に三峡、長江を下っていこうではありませんか)というほどの意。

 

 

<竹枝詞について>

竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興ったものといわれている。唐代、楚の国は、北方人にとっては、蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようだ。そこで、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。それらは竹枝詞と呼ばれ、巴渝の地方色豊かな民歌の位置を得た。下って唱われなくなり、詩文となって、他地方へ広がりをみせても、同じ形式、似た題材のものは、やはりそう呼ばれるようになった。現在も「□□竹枝」として、頭に地名を冠して残っている。

  竹枝詞をうたうことは、「唱竹枝」といわれ、「唱」が充てられた。白居易に「怪來調苦縁詞苦,多是通州司馬詩。」 とうたわれたが、ここからも、当時の詩歌の実態が生き生きと伝わってくる。後世、詩をうたいあげることを「賦、吟、詠」等というのと大きく異なる。

  竹枝詞という呼称は、詩題に似ているが違うものである。強いて言えば、形式を表す点では詞牌に列するものであり、実際にその扱いを受けているものである。

「竹枝」「女兒」という「あいのて」がある

共通する点は、節奏は、七絶のそれと同じで、押韻も第一、二、四句でふむ三韻。この形式での作詞は根強く、現代でも広く作られている。現代の作品は、生活をうたった、典故を用いない、気軽な七絶という雰囲気である。

竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうようになる。用語は、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものは、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されている。似たフレーズを繰り返した、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる。