杜甫  存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

766-167杜甫 1620存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-167 <1039 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6875 

 

 
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杜甫詩1500-1039-1537/2500

年:766年大暦元年55-167

卷別:    卷二三一              文體:    七言

詩題:    存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

交遊人物/地點:鄭虔          詩文提及

 

 

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】

(存歿口號,二首の一)

【案:每篇 一存一歿なり。是の時 席謙、曹霸は存り、畢曜、鄭虔は歿す。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

 

『存歿口號,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

存歿口號,二首之一【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。
詩文(含異文)     席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。玉局他年無限笑【玉局他年無限事】,白楊今日幾人悲【案:自注:道士席謙善彈棋,畢曜善為小詩。】。


(下し文)
存歿口號,二首之一

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

席謙 見ず 近ごろ 棋を彈ずる,畢曜 仍ほ傳う 舊小詩。

玉局 他年 無限に笑う,白楊 今日 幾人か悲しむ。

(現代語訳)
(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)之一

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】


(訳注)

存歿口號,二首之一

(死んでいったもの生きている人の事、それぞれの思いのほどを口ずさんだ詩:席謙と畢曜)

【案:每篇一存一歿。是時席謙、曹霸存、畢曜、鄭虔歿。】

この詩篇毎に、まず生きている一人、次に死没した人というように述べる。この時、席謙と曹霸は生きていて、畢曜、鄭虔は死没している。

席謙 生卒年待考,乃是一個道士,人,善彈棋。

<道士席謙>

《卷一二49  章梓州水亭》

    原注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。

    城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。

 

曹霸 曹霸(704770郡人,唐沛国(今亳州市)人,魏武王曹操后代、曹魏高贵乡公曹髦后人,官左武唐玄宗期画家,能文善画,人甚至以其祖先“三曹”比之,有“文如植武如操字画抵丕流” 之美誉。

《巻13-69丹青引贈曹霸將軍》

746廣徳2年764年―3-1 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <652  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3590 杜甫詩1000-652-912/1500 746-1

746廣徳2年764年―3-2 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <653  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3595 杜甫詩1000-653-913/1500746-2

746廣徳2年764年―3-3 丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <654  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3600 杜甫詩1000-654-914/1500746-3

746廣徳2年764年―3-4 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <655  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3605 杜甫詩1000-655-915/1500746-4

746廣徳2年764年―3-5 《丹青引,贈曹將軍霸》 蜀中転々 杜甫 <656  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3610 杜甫詩1000-656-916/1500746-5

 

畢曜 詩人。杜甫が長安で士官活動をしているとき、近所に住んでいた。二人とも、貧乏生活の中でわずかな金を出し合い酒を酌み交わしている。

<畢四曜>

《卷六20  偪側行贈畢四曜》

《卷六21 贈畢四曜》

《巻八19 秦州見敕,薛三璩授司議郎,畢四曜除監察,與二子有故,遠喜遷官,兼述索居,凡三十韻》

 

鄭虔 鄭虔も、安史軍に捕らえられ、脅迫されて偽政府の水部郎中に任じられていたが、このころひそかに長安に逃げ帰った。そうして杜甫と再会し、互いにその無事を喜びあい、久しぶりに杯を交わしている。鄭虔との再会を喜びながら、杜甫の心の中には長安脱出の決心が固まりつつあった。そうして四月に入ってのある日、長安西城の金光門から鳳翔に向かって脱出した。一説によれは、脱出の前に、朱雀街の南の懐遠坊にある大雲経寺に僧の賛公を訪れて決意を打ち明け、そこに数日間滞在して安史軍の目をくらました

 

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766年大暦元年55-46-#1奉節-37-#1 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -1 杜甫index-15 杜甫<909-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5795

766年大暦元年55-46-#2奉節-37-#2 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -2 杜甫index-15 杜甫<909-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5800

766年大暦元年55-46-#3奉節-37-#3 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -3 杜甫index-15 杜甫<909-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5805

766年大暦元年55-46-#4奉節-37-#4 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -4 杜甫index-15 杜甫<909-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5810

766年大暦元年55-46-#5奉節-37-#5 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -5 杜甫index-15 杜甫<909-#5> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5815

766年大暦元年55-46-#6奉節-37-#6 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -6 杜甫index-15 <909-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5820

766年大暦元年55-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -7 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825

766年大暦元年55-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司滎陽鄭公虔 -8 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830

 

 

席謙不見近彈棋,畢曜仍傳舊小詩。

席謙殿は近ごろ棋を彈いているのを見ていない、畢曜殿は死後の今なお、以前に作った小詩を世に伝えている。

彈棋 駒をはじいて陣地を競う遊戯。四角い中高の盤の両方に6個または8個の白黒の石を並べ、対座した二人が交互にその石をはじいて、相手の石に当たれば取り、当たらなければ取られる。指石。いしはじき。古代的一種棋戲。二人對局,白黑棋各若干枚,先放一棋子在棋盤的一角,用指彈擊對方的棋子,先被擊中取盡的就算輸。

仍傳 死後の今なお世に伝えている。

舊小詩 生前に作った詩篇。絶句、律詩、など樂府古詩の場合も四句、六句というたんぺんであった。

 

玉局他年無限笑,白楊今日幾人悲。

往年、玉の棋盤に対して席謙とともに無限に笑いあったものだが畢曜の方は、彼の墓の白楊についていまだに悲しんでいるものが幾人いるだろうか、きっと自分一人だろう。

玉局 玉の棋盤にたいすること。

他年 往年。

無限笑 無限について、心おきなく笑い転げたというように笑いに対しての場合と、仕事にも影響が出るほど棋盤遊戯をしたというように理解もできる。肅宗測位間もないころのある時期、房琯グループはサロンに集まって論議ばかりしていた時期がある。そのことが賄賂事件の引き金になった。ここではそのことを示唆するものと解釈できる。

白楊 墓陵の周り主に西側に植えるものである、葉の裏側が白い柳である。

幾人悲 幾人が悲しんでくれるだろうか、だれもいないだろう、私だけであるということ。

 

【原注】道士席謙。呉人。善彈棋。畢曜善爲小詩。

【杜甫の註】席謙は道士であり、呉の人である。よく将棋をはじいている。(生きている人)畢曜はよく小詩を作った。(死んでいった人)】