杜甫  奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

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杜甫詩1500-1041-1539/2500

年:766年大暦元年55-169

卷別: 卷二三一  文體: 五言古詩 

詩題: 奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡 

交遊人物/地點: 漢中王 李瑀  詩文提及

韋侍御     詩文提及

蕭尊師     詩文提及

 

 

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

 

(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 


 

詩文(含異文) 秋日蕭韋逝,淮王報峽中。少年疑柱史【小年疑柱史】,多術怪仙公。不但時人惜,祇應吾道窮。一哀侵疾病,相識自兒童。處處鄰家笛,飄飄客子蓬。強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

 

 

 

『奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

少年疑柱史,多術怪仙公。 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

(下し文)
(漢中王の手札を奉ず 韋侍御、蕭尊師が亡するを報ず)

秋日 蕭、韋逝けりと,淮王 峽中に報ず。

少年柱史を疑い,多術 仙公を怪む。 

但だ時人の惜むのみならず,祇だ應に吾が道の窮するなるべし。

一哀 疾病に侵さるる,相識 兒童自りす。 

處處 鄰家の笛,飄飄 客子の蓬。 

強いて吟ず〈懷舊の賦〉,已に白頭翁と作りぬ。 

(現代語訳)
(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。


(訳注)

奉漢中王手札報韋侍御、蕭尊師亡

(漢中王から手紙をいただいた、それによると、韋侍御、蕭尊師が亡なったということである、よってこの詩を読んだのである。)

○漢中王 名を璃といい譲皇帝(寧王)の第六子で汝陽王璡の弟である。玄宗が蜀に幸したときに従って漢中に至り、漢中王に封ぜられ銀青光禄大夫・漢中郡太守を加えられた。のち粛宗を諌めて帝の怒りにふれ蓬州の刺史に貶せられた。ここには漢中王と称しているが蓬州の刺史として何かの事によって梓州に訪れて、梓州に滞在していた杜甫とあっていた。その房琯グループである、漢中王からの手紙が来たのである。

<これまでの漢中王の詩>

作時:762 寶應元年 杜甫51

639五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之一》 蜀中転々 杜甫 <544  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2945 杜甫詩1000-544-783/1500

640 五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之二》 蜀中転々 杜甫 <545  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2950 杜甫詩1000-545-784/1500

641五言律詩《戲題寄上漢中王,三首之三》 蜀中転々 杜甫 <546  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2955 杜甫詩1000-546-785/1500

643 《玩月呈漢中王》 蜀中転々 杜甫 <548  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2965 杜甫詩1000-548-787/1500

作時:763年 廣德元年 杜甫52歳 

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

703 《戲作寄上漢中王,二首之二〔自注:王新誕明珠。〕 蜀中転々 杜甫 <610  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3360 杜甫詩1000-610-866/1500

作時:766年大暦元年55-61

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <930 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6225

766年-61杜甫 《1556奉漢中王手札 -#2》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <931 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6230

766-61杜甫 1556奉漢中王手札 -#3》【3分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55-61 <932 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6235

韋侍御 房琯グループである、侍御史の韋某。

蕭尊師 房琯グループである、幼馴染であった道士蕭某。

 

秋日蕭韋逝,淮王報峽中。

秋の日に、韋侍御、蕭尊師が亡なったということを淮王というべき漢中王から峽中の自分のところに手紙で報知してくださった。

 

少年疑柱史,多術怪仙公。 

長寿であったかの老子と同じ地位である柱下史である韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられないし、いろいろな長生の術を熟知している仙人である蕭尊師がなくなるというのも奇怪なことだとおもうのである。

少年疑柱史 韋侍御は、まだ少年なのに死んだというのは信じられなくて疑問であること。この時代の少年は今の青年。柱史は秦の柱下史で御史とおなじ、ここでは、老子が柱下史であったことから、その地位にいた老子は長生きを下ではないかという疑問を言うのである。

多術怪仙公 この句は、道士であった蕭尊師についていうのであり、仙人である同氏は、不老長寿の業を知っているはずで、自分より早く死ぬはずがないと思っていたのでこの詩は怪しいというのである。

 

不但時人惜,祇應吾道窮。 

このお二人がなくなったことは、ただ、同時に世の人々が惜しむというのではなく、我々にとって、同じ目標を持っていた同志であり、その道が行き詰まってしまうということなのである。

時人惜 同時に世の人々が惜しむというのではなく(自分にとって特別に惜しむ人であった、それが下句の理由である。)

吾道窮 幼馴染であり、同時に房琯のサロンで、房琯グループとして、朝廷の刷新を図ろうとしていた同志であった。

 

一哀侵疾病,相識自兒童。 

自分は今執秒に侵されていているものの、この一哀の禮を尽くさねばならないと思うのは、我々が知り合ったのは子供の頃であったということである。

一哀 哀悼の意を表すこと。

 

處處鄰家笛,飄飄客子蓬。 

処処におこる隣家の笛の音にお二人のことを思い、飄々と轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことをつらく思うのである。

鄰家笛 晉の向秀、竹林の七賢の一人。字は子期。三国時代の魏および西晋の文人。河内郡懐県の人。『晋書』に伝があるほか、『世説新語』「言語篇」注と『太平御覧』巻四〇九に『向秀別伝』なる伝記の逸文が残る。ここは、向秀の文学作品に『思旧賦』があって、その中に、ある寒い日の夕暮れに昔の住まいを通り過ぎた際、どこからともなく笛の音が聞こえてきたため、嵆康・呂安と過ごした旧事を思い出し、感傷に堪えず作ったということを念頭においている。

客子蓬 轉蓬のように漂って旅の客となっていることで何もしてあげられないことで、次の句の〈懷舊賦〉につながってゆく。

 

強吟〈懷舊賦〉,已作白頭翁。 

だから、すでに白頭の翁になってしまった自分としては、せめて精いっぱい力強く、潘岳のように〈懷舊の賦〉を吟じようとするだけである。

懷舊賦 死を悼む哀傷の詩文を得意とした晉の潘岳は、愛妻の死を嘆く名作「悼亡」詩をかき、以降の詩人に大きな影響を与えた。ただ、潘岳の作る文章は修辞を凝らした繊細かつ美しいものであった。潘 岳(はん がく、247 - 300年)は、西晋時代の文人。字は安仁。中牟(河南省)の人。